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小玉ユキ

【総評】『坂道のアポロン』~アニメならではの「音」の表現

『坂道のアポロン』の最終回、面白かったですね。
いや~、あのシーンとか、泣けたわ~。

…とか書いとけば観た気になれそうな感じがしますが、
私の住んでいる長崎県は、このアニメの舞台となった場所なのに、
ノイタミナの放送が10日遅れなのです。
つまり、現時点で私は最終2話を観てません!

お隣り佐賀県でも1日遅れだというのに…。

なので、この記事は原作とアニメを比較させた総評である事を、
皆様に予めご了解頂けると助かります。

なお、手前味噌になりますが、こちらも合わせてご覧下されば、
より理解が深められるのではないかと思います。
このアニメのストーリーに横たわる文化的背景を解説したものです。

【短評】『坂道のアポロン』~佐世保の街とその歴史


それでは、どうぞ。


―――


さて、一口に「原作とアニメを比較する」と言ってしまうのは簡単ですけど、
そもそもアニメと漫画の違いって何でしょうか。

これは言わずもがな、"表現"方法の違いですね。

当道場では、小説・漫画・アニメ・映画の表現の違いを、
メディア論の観点から、このように定義しています。

【叙述】 小説 <<<< 漫画 >> アニメ > 映画 【映像】

小説は叙述によって1つの事を詳細に説明出来ます。
「佐世保」と3文字に記すだけで、1つのイメージを断定して伝えられます。
映画は映像によって10をいっぺんに映し出す事が出来ます。
「佐世保」の風景を映すだけで、大雑把にですが全てを伝えられます。
ですが、「佐世保」の文字だけではそこがどんな所なのか分かりませんし、
風景だけではそこが本当に「佐世保」なのかが分かりません。

優れた小説は1つの叙述で10を伝えようと表現し、
優れた映画は10の映像で1つを伝えようと表現します。
どんな表現をしても、結果としてユーザーに伝わる情報は同じですが、
優れた作品は伝わる情報の質量が違います。これが"表現力"です。

漫画はちょうどその中間にあります。
叙述と映像の両方を使って幅広く表現する事が可能です。
アニメは漫画と映画の中間ぐらいか、映画に極めて近い表現になります。


アニメと映画の違いは何か?

アニメは映画と違い、漫画と同様に伝える必要の有る無しによって、
表現を選択して付け足したり、カットしたりする事が出来ます。

例えばモブキャラですね。映画はどんな脇役でも必ず動きがありますが、
アニメではそれを伝える必要が無い場合、静止画を使えば良い訳です。
逆に言えば、アニメは制作者に「動かす」意志が無ければ、
人も物も、決して動かないという事も意味してます。


では、漫画とアニメの違いは何か?

漫画は小説のように、1つの表現を静止させて伝える事が出来ます。
アニメでもかつて庵野秀明という人が予算の都合で取り入れましたが、
それを表現と呼ぶかどうかは賛否の分かれる所です。

アニメは映画のように、連続的な表現で伝える事が可能です。
漫画でも連続カットでやろうと思えば可能ですが、
コマ割りやページ数を考慮しても物理的に限界があります。

何を当たり前の事を言ってやがる、と思うなかれ。
『坂道のアポロン』のアニメの表現力がどれほど優れているかを知るには、
実はこの違いこそが、最も重要なポイントとなるのです。


―――


『坂道のアポロン』の原作とアニメの表現の違いを、
第7話のシーンから具体的に見ていきましょう。


【原作】 ~第5巻より

坂道のアポロン


【アニメ】 ~第7話より

千太郎薫


まず、カットです。

原作の方は、平面的なカットのコマを多層化させて右側に割り、
薫と千太郎の目がかち合うカットに読者の視線を誘導した後、
2人の呼吸がぴったり重なる瞬間を捉えた中央の大きな2コマに、
自然と目が集まるような構図を作っていますね。
いわゆる「視線誘導」というテクニックです。

中央の2コマはお互いが対面し、寄り添うように描かれてます。
2人の距離感が縮まるのを、コマ割りによって表現しているのです。
「凄い演奏をしてる」というのが伝わってくるような、
原作の中でも屈指の名シーンです。


それに対しアニメの方は、薫の表情を映す時は上からの視点、
千太郎の表情を映す時は下からの視点と、
ステージの高さを意識した立体的なカットが用いられていました。
演奏時はそれぞれのカットに移り変わっています。

映画的と言えばそれまでですが、2人の息の合うシーンも、
別々のカットに切り替わって連続的に流れてしまっていたので、
原作よりも距離感が出てしまっていた気がします。

これは、アニメ版の方が劣っているという意味ではなく、
瞬間を捉える事の出来る漫画という媒体の良さが出ただけでしょう。


では、なぜアニメ版の第7話の演奏シーンがYoutubeで出回り、
音楽情報サイトで絶賛され、神回と呼ばれるようになったのでしょうか。
どうやって2人の音楽が融合する瞬間を捉えたのでしょうか。

言うまでもありませんね、それは「音」です。
漫画には絶対に出来ない表現方法で、プロの耳をも唸らせるほどの、
強固な説得力を持たせる事に成功しているのです。


―――


JAZZ JAPAN編集長の三森隆文さんは、薫と千太郎のセッションを、
「3分31秒の奇跡、ジャズそのものだ」と評されています。

引用:エムファウンド

この評価に、もう1つだけ観点を加えるなら、
それは映画的な観点から見た「動き」でしょう。

第7話の演奏シーンは、映画では絶対に出来ない「音の動き」です。
映画はその道を極めた演技のプロが演じるとは言え、
違うジャンルのプロを演じた場合、体のどこかに必ず"嘘"が出ます。


同じ長崎県を舞台にした『奈緒子』の映画版でも、
三浦春馬さんが演じた"波切島の疾風"・壱岐雄介の走りは、
とても希代の陸上ランナーとは思えないほど違和感だらけでした。
音楽をテーマにした映画でも、『BECK』の主人公の
佐藤健さんが演じた"エンジェルボイス"のコユキの歌声は、
何と無音でした。再現不可能だったのです。

これは俳優さんの演技力が乏しかったのではなく、
映画という媒体には出来ない表現だったからです。
人間にカメハメ波が出せないのと同じです。
ゆえに、映画では別のプロの方にそのシーンを演じてもらい、
手元のアップを多用したりしてカットを工夫してます。

ですが、長尺の演奏シーンを撮るとなると、
その工夫にも当然ながら限界があります。
同じカットの繰り返しになってしまうからです。
『のだめカンタービレ』の水川あさみさんも長尺に挑戦してますが、
観る者を圧倒するほどのパフォーマンスには追い付いてません。
やはりこれが、映画という媒体で出来る表現の限界なのです。


―――


しかし、アニメにはそれが出来るという事を、
『坂道のアポロン』のスタッフは証明してしまいました。
「祭りジャズ」や「喧嘩セッション」などなど、
文字に表すだけではイメージしか伝わらなかった「音」の説得力を、
アニメという動きのある表現媒体を使って表したのです。

吹き込んである「音」が凄いのは当たり前ですよね。
薫役がプロのジャズピアニストである松永貴志さんで、
千太郎役がスーパー学生ドラマーの石若駿さんなのですから。
それと同じくらい凄いのは、制作スタッフによる「音の動き」です。

前述の通り、アニメは制作者に「動かす」意志が無ければ、
人も物も、決して動く事はありません。
ゆえに、何をどのように「動かす」かによって、
ユーザーに伝わる情報の質量が違ってくるのです。


第7話の演奏シーンは、瞬間を表現した原作に対し、
連続的な流れを最初から最後まで"嘘"なく見せる事で表現しています。

薫が演奏を始めた事に対する千太郎の驚き。
千太郎が自分の要求に応じてくれた事に対する薫の戸惑い。
だけど以心伝心、会話もなくお互いの心が通い合い、
地下スタジオで練習していた時間が蘇ってきます。
そして徐々に高まっていく会場の気運と、2人の意気。
同じ空間を共有する為にどんどん人が集まり、
それを作り出した2人は汗だくの笑顔で演奏を終える。

これらを「音の動き」で表現すべく、凄腕の演奏家が付けた「音」を
"嘘"にしないよう、全く静止させずにアニメーションに落とし込んでいる。
原作では途中で回想が入るのですが、それすら「音」で表現してます。
大変な質量の情報が、3分31秒の中に凝縮されています。

一連の流れが歯車のようにがっちりと噛み合い、誰が見聞きしても、
「凄い演奏をしてる」というのが伝わってきますよね。
それほどの説得力を、「音の動き」で持たせているのです。

漫画にも出来ない、そして映画にも出来ない表現。
まさに、アニメならでは、と言えるのではないでしょうか。


―――


このように、『坂道のアポロン』は圧倒的な表現力を持っています。
ごくごく当たり前の事を羅列しただけなのですが、
「誰にでも分かる」表現というのは、実はとても凄い事です。
確かな技術の裏打ちが無ければ、"嘘"が見破られてしまいますから。
アニメもお金をかけて作る以上、ごまかしや妥協があるものです。
しかし、『坂道のアポロン』の制作スタッフは、それを許さなかった。
もはや一流の映画や小説と、何ら変わりはありません。


このアニメに"嘘"があるとすれば、長崎県民から見た、
千太郎や律子らの"長崎弁"くらいでしょうか…。
ええ、分かってます。日本全国に向けて作るからには、
表現表現と小うるさい長崎県民の意見などゴミ箱にやるしかないと。

それでも、第9話の淳一との別れのシーンで千太郎が言った、
「淳兄…!今日のセッション、俺ぃ一生忘れんけんな。」
この台詞は、感情のこもった本物の長崎弁でした!


総評は以上です。
このアニメへの理解をさらに深めて頂けたなら幸いです。


この記事はアニプレッションに投稿しました。


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『坂道のアポロン』~佐世保の街とその歴史


坂道のアポロン


↑混ざり合う2つの魂。


『坂道のアポロン』の舞台となった、長崎県佐世保市。

県内で2番目に人口が多く、ハウステンボスのある所として知られており、
作者・小玉ユキ先生の故郷でもあります。
私は今この街に住んで、翻訳家の仕事をしています。


長崎県には「南北問題」というのがあり、経済の流動性を見ると、
「北」の佐世保市が活発で、積立金を減らさず収支を安定させているのに対し、
「南」の長崎市は停滞していて、減債基金を切り崩す事で健全な収支を保ててます。
そのせいか、長崎県の経済政策はおおむね南高北低になっています。

佐世保の足腰の強さの秘訣は、何と言っても民業にあり、
ハウステンボス以外にも、一代で成功を収めたジャパネットたかたや、
あのマクドナルドを撤退させるに至った佐世保バーガー、
地方都市の中では日本一元気なアーケード街など、
地域振興のモデルケースとしても全国的に名前を知られています。

なぜ佐世保がこんなに上手くいってるのか?
理由は、軍港と造船の街してのもう1つの顔にあります。


佐世保市の町並み
引用:まちあるきの考古学様(http://www.koutaro.name/machi/sasebo.htm)より

佐世保

↑佐世保川を挟んで、東側に市街地、西側に造船所と軍港がある。


上の地図を見て頂けるとこの地域の地理的特性を一望できる思いますが、
田園広がる人口4000人ほどの小さな集落だった佐世保は、
明治19年(1886)5月の軍港設置の勅令から都市計画が立てられ、
同年9月には家屋を無秩序に建築する事を制限しました。
その為、市街地と港が東西に綺麗に分かれており、
東側にある市街地の道路はタテヨコ揃うように、碁盤目状に整備されてます。

この都市計画があったからこそ、アクセスの分散が防がれ、
人が一ヶ所に集まるコンパクトな街並みが作られたと言えます。
旧海軍府グッジョブ。お上のおかげやでぇ。


―――


長崎県では今年の4月から「ノイタミナ」を再び放送するようになりました。
『のだめカンタービレ』以来、60分に増枠してからは初めてですが、
理由はもちろん前半30分枠の『坂道のアポロン』。後半はカケラも流しません。
そもそも長崎では『ワンピース』ですら深夜アニメ扱いです。

県と佐世保市は観光振興の期待を寄せているそうですが、
地域振興課で宣伝をしていた記憶はありません。
ここは来月アップ予定のクールジャパン論で詳しく述べましょう。


『坂道のアポロン』では、主に市街地が舞台となっています。
作中で練習場所として利用していた「ムカエレコード」のある三ヶ町と、
薫と律子がスティックを買った「フルヤ楽器店」のある四ヶ町のアーケード街も、
最初の都市計画通り、見事なほどに真っ直ぐに作られてますよね。
これ、直線に繋がったアーケードとしては日本一の長さらしいです。

薫と千太郎が通う「佐世保東高」ですが、佐世保には東高は無いんですよ。
アニメ版の第2話で出てきた亀山八幡宮の位置から言っても、
地図上で赤く囲われた市街地エリアの最上部付近にある
「佐世保北高」の事だと見て間違いないでしょう。

同じく第2話では、鹿子前(かしまえ)行きのバスに乗って海水浴に行ってますが、
ここは地図の西側、佐世保重工の先にある西海パールシー辺りでしょうか。
第3話で出てきた眼鏡岩は、北高より更に北側に行った眼鏡岩公園にあります。
小玉ユキ先生と同じ佐世保市出身・久保ミツロウ先生の『モテキ』にも、
下関が舞台とのたまいながら、なぜかこの岩が出てきましたね。

オープニングで出てくる道路は、国道35線だと思われます。
薫と千太郎はこの道を南に下って帰宅します。

北高 → 亀山八幡宮 → 三ヶ町(ムカエレコード) → 四ヶ町(フルヤ楽器店)


―――


こんな佐世保ですが、旧海軍府の軍港は昭和20年(1945)に米軍に接収されました。
昭和30年(1955)に陸軍が撤退しますが、その後も海軍による統治は続き、
現在も多くの米軍さんが佐世保には滞在し、Yナンバーの車が市街地を走ってます。
佐世保と米軍さんは、切っても切り離せない間柄なんですね。

昭和25年(1950)には朝鮮戦争が勃発しますが、佐世保は連合軍の作戦基地となり、
三ヶ町と四ヶ町には米軍向けの飲食店・バー・キャバレーが激増しました。
特需景気の恩恵を受けるのと同時に、米国の文化もまた持ち寄られます。
前述のハンバーガーもそうですし、そしてジャズもまた然り、という訳です。
佐世保は戦後の日本きってのジャズの街でもあるんですよ。
当時は東京に次いで日本で2番目にレコードが売れ、地価は東京より高かった所です。
今でも九州最大規模のジャズフェスティバルが佐世保で毎年開催されていて、
ジャズは米軍さんの心だけでなく、佐世保市民の心も捉えています。


『坂道のアポロン』は昭和41年(1966)頃の佐世保を描いてるそうです。
アニメ版の第4話では、この街と米軍との関係がよく表されていました。
アメリカ人の父を持つハーフの千太郎が、なぜ不良になったのか。
なぜ白人のジャズが好まれ、黒人のジャズが嫌われるのか。

翻訳家の仕事というのは、言ってみれば他人を知る事です。
薫が千太郎の生い立ちに触れて涙を流したように、
他人を言葉の意味を知るには、その人の背景までを知らなくてはなりません。
言葉の通じない相手に対し、千太郎のように怒りをぶつけるのか、
それとも淳一のように理解で包んであげるのかは、
まさにこの街が半世紀に渡って経験してきた葛藤でもあるのです。
私は佐世保で翻訳家をしている事に浅からぬ縁を感じてます。

ジャズというのは、1つの答えでもあります。
『坂道のアポロン』では、米国生まれのジャズを通じて人と人との心を通わせます。
ジャズは西洋の音楽技術と、アフリカ系移民の魂が融和した音楽です。
薫と千太郎、生まれも育ちも全く異なる2つの魂が混ざり合うテーマは、
米国の文化を受け入れた佐世保が舞台だからこそ説得力が生まれるのです。

佐世保の街の文化背景を知れば知るほど、『坂道のアポロン』は面白くなります。
この記事が同作品の理解の一助となってくれる事が、私の希望です。


総評はこちら → 『坂道のアポロン』~アニメならではの「音」の表現
 



ご清覧ありがとうございました。

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