↑ゴンの表情に注目。
『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博は、ビジョンを持っている。
『レベルE』を連載していた頃に作者自身が語っていたように、
最初に着想があり、それを自分の中で暖めておき、
時間を置いてから何かのきっかけで別のヒントを得た時、
それが最初に得た着想と結び付く事があるそうだ。
卵は放っておくだけでは孵化しない。
抱卵して暖める事で、新しい命が内側から殻を破る。
冨樫が休載するのは、抱卵が必要な為だろう。
そこでようやく冨樫のビジョンが作品に落とし込まれる。
読者から見たら、それは「変わった」という認識だろう。
少年漫画の読者が望むものは、少年漫画であるからだ。
読者の認識と違う、象徴性が強まった『幽白』を見て、
つまらないとか、面白くないという意見が出ても然りと言える。
だが、冨樫の漫画は決して劣化した訳ではない。
"象徴"が読者の理解を越え、認識が一致しなくなっただけだ。
それは次作の『レベルE』で証明された。
最初に着想があり、それを自分の中で暖めておき、
時間を置いてから何かのきっかけで別のヒントを得た時、
それが最初に得た着想と結び付く事があるそうだ。
卵は放っておくだけでは孵化しない。
抱卵して暖める事で、新しい命が内側から殻を破る。
冨樫が休載するのは、抱卵が必要な為だろう。
そこでようやく冨樫のビジョンが作品に落とし込まれる。
『幽☆遊☆白書』の頃は、まだビジョンは無かった。
他の少年漫画のプロットに着想を得て、それを流用して
自分流にアレンジしているような作品であった。
だが、『幽白』は魔界編より以降、少年漫画から脱却する。
連載によって洗練され、むくむくと起き出した冨樫の"象徴"が、
少年漫画の枠組の中に収まり切れなくなったのだ。
冨樫は勧善懲悪を越えた"人間性"を描こうとした。
読者の『幽白』の認識は、暗黒武術会の『幽白』である。
暗黒武術会のプロットを魔界統一トーナメントでもやれば、
読者の支持をずっと維持する事は出来ただろうが、
冨樫はそれを許さず、連載を終わらせた。
読者から見たら、それは「変わった」という認識だろう。
少年漫画の読者が望むものは、少年漫画であるからだ。
読者の認識と違う、象徴性が強まった『幽白』を見て、
つまらないとか、面白くないという意見が出ても然りと言える。
だが、冨樫の漫画は決して劣化した訳ではない。
"象徴"が読者の理解を越え、認識が一致しなくなっただけだ。
それは次作の『レベルE』で証明された。
―――
『H×H』では、『レベルE』で試された新しい枠組作りを、
今度は少年漫画のプロットを利用して伝えられた。
偉大なハンターである父親を探して旅に出るという、
いかにもありがちな使い古されたプロットを流用しながら、
揺るぎない強い信念を持った登場人物が、協力し合い、
また相反し合いながら、1本のストーリーを紡いでいくという、
作者の手から離れた所で作品をコントロールする、
キャラクター重視の手法が取られている。
実は、『H×H』の連載開始から遡ること十数年前、
かわぐちかいじが『沈黙の艦隊』でこの手法を確立している。
小説でもよく言われるのが、キャラクターが独り歩きをすると、
作者の"象徴"が最初と最後で変わってしまうという事だが、
『H×H』や『沈黙の艦隊』は、最初にキャラクターを固める事で
ストーリーを脱線させる事なく"象徴"に導いている。
『ブラックジャックによろしく』や『東京大学物語』は、
作者の主観がストーリーに介入しすぎて、登場人物が
作者の"象徴"を代弁するただのメッセンジャーになっていた。
ストーリーを完全な客観によってコントロールする事は
優れた小説家でもなかなか出来る事ではなく、
実際に日本人が書く文学作品には私小説が非常に多い。
冨樫は海外作家のような俯瞰の目線で作品を作る、
音楽に例えれば、指揮者のような役割に徹している。
冨樫の伝えたい事、つまり"人間性"は、登場人物の表情で表している。
10の台詞を並べるより、1つの表情で伝えようとしているのだ。
まさに漫画という媒体の特徴を活かした表現である。
だから人物の心情がどんな台詞より伝わるのだ。
―――
『ジョジョの奇妙な冒険』では、『H×H』と逆の手法が取られる。
『ジョジョ』の作者・荒木飛呂彦も、冨樫と同じように
初めは少年漫画の枠組の中で漫画を描いていた。
しかし、第5部の後半から少年漫画にマッチしなくなり、
第6部からは読者の理解を越えた作品になっていった。
たがこれも、荒木が目指そうとしていた"象徴"が、
読者の『ジョジョ』に対する認識と乖離していった為で、
当然ながら作品自体が劣化した訳ではない。
『H×H』は最初にキャラクターをがっちり固める事で
その後のストーリーの脱線を防いでいたが、
『SBR』はが最初にプロットを線路のように敷いて、
そこからはみ出ないようにキャラクターを動かしている。
荒木の描くキャラクターは、線路を走る列車に乗った乗客である。
第7部では、相対性理論や特異点定理、回転と重力の関係など、
難解な学論に着想を得ていると思われる為、
『エヴァ』と同様の分かり難さが障壁となっているが、
荒木の描く"象徴"は、とてもシンプルなもので、
生きる事に背を向けたジョニィの"成長"を追っている。
これは最も人気のあった第3部の頃より巧みに描かれていて、
劇場型とも言うべき手法は、究極の域に達した。
―――
手法こそ違えど、"象徴"を一貫したものにする構成力の高さは、
冨樫義博も荒木飛呂彦も、他のジャンプ作家より抜きん出ている。
共通認識で結ばれる読者数が前より減ったとしても、
どちらも優れた漫画家である事に変わりはないだろう。
ご清覧ありがとうございました。