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【ネタ考察】もしも『バクマン。』の七峰透がデミングサイクルを導入したら



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↑悪の栄えた試しなし…なんてはずはない!


アニメ『バクマン。』も、ついに七峰くんが登場しましたね。

さて道場主は、原作で七峰くんが例の50人合議制を初披露した時、
亜城木夢叶は七峰くんに必ず敗北すると思っていました。
このやり方が漫画業界に一石を投じる提案であったのに対し、
サイコー達2人が七峰くんに宣言した「PCPで叩き潰す」の根拠が、
「そんなやり方はプロとして許せない」からという、
極めて曖昧な個人的主観に基づくものであったからです。
キミタチ、面白さ至上主義じゃなかったんかい。

ところが結果は、七峰くんの自滅という形で作品打ち切りとなり、
投じられた石が何の波紋も起こさぬまま、このエピソードは終わりました。
すっごく煮え切らない思いをしましたよ私は、ええ。

確かに七峰くんの方にも明らかな失点があり、
50人の意見を纏めるほどの力が無かった事実は存在します。
ですが、それは七峰くんのプロデュース力が否定されただけで、
合議制そのものが否定された訳ではありません。
それどころか、作品の面白ささえ継続できていれば、
漫画家先生の苦労を低減する、実に理想的な手法である事を、
後にシュージンも認めちゃっているのです。


では、七峰メソッドが完璧な管理の下で行われていたら、勝負はどうなったか?
編集との二人三脚で良質な作品を生む手法に勝てるのか?

邪道バトルの申し子・道場主が、これを考察してみたいと思います。


【その他のネタ考察】
 もしもIQ80の引きこもりが夜神月の『DEATH NOTE』を拾ったら
 もしも乙女漫画の男子と萌え漫画の女子が付き合ったら


―――


まず、勝敗の基準となる「面白さ」とは何ぞやという所から決めましょう。
漫画をテレビや自動車のように、1つの商品として見た場合、
漫画作品の面白さは「品質」の事であると定義出来ます。
モノ作りにおける製品、芸術活動における作品という違いがあるだけで、
顧客満足に応えるものであるか否かが、商品優劣を決定すると言えるでしょう。

品質は、時間をかければその分だけ良くなります。
しかし週刊連載を続けていく上では、時間をかける事は許されません。
従来の漫画作品は、時間と品質との兼ね合いによって生まれてきましたが、
品質に拘りすぎると、連載が継続できないケースも出てきます…。
時間と品質は、トレードオフの関係なのです。

で、もしこの品質を複数人でマネジメントしていくとしたら、
先生方を苦しめる時間的制約が一気に解消出来る可能性がありますし、
先週までは神展開だったのに今週の展開はいまいちといった、
品質のバラツキも未然に防ぎ、一定の面白さを保つ事だって容易になるでしょう。
時間短縮と品質向上が両立できちゃう、夢のようなお話です。


しかし、50人で面白いネタを考え、七峰くん1人が意志決定をするやり方では、
出来うる品質にも限界が生じ、必ず破綻を起こします。
面白さを判断するのは顧客であって、七峰くんではないからです。


七峰メソッドを管理図で表すと、こうなります。

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七峰くんは読者アンケートの結果が亜城木作品を越えられなかった理由を、
「レベルが高すぎて読者が理解できなかったから」と断じ、
読者より50人の力を信頼していたがゆえに、まともに分析してません。
しかもこの50人の中にも、顧客ニーズを作品に取り入れようとした人が居ません。
仮にも編集経験者とか居るんだろ? 勝負の2話目()とかいう眉唾より、
少しでも読者に満足してもらえるアイデアを出せよマジで。

作品の品質を上げる為には、読者が何を望んでいるかを正確に把握し、
計画方針の段階からそれを落とし込まなくてはなりません。
品質学の観点から見た場合、七峰メソッドは工程管理(SPC)に優れていて、
漫画家1人でやるより効率的に作品を作る事に成功はしていましたが、
読者の声を拾い上げるシステムがこの時はまだ構築されておらず、
珠玉のアイデアが誰得状態になっていたと考えられます。

これを改善するには、品質管理(TQC)という別の手法によって、
顧客ニーズを専門的に分析する人達を50人の中に加え、
それぞれの能力に応じて人員を適切に配置する必要がありました。


引用:環境と品質のためのデータサイエンス

 SPC: Statistical Process Control
   → 品質のバラツキを管理し、品質向上に繋げる手法。
 TQC: Total Quality Control
   → 品質目標を決め、50人の総力を結集して管理する手法。


世界で最も有名なTQCは、トヨタ自動車の「カイゼン」です。
効率化の理念を、期間工や掃除のおばちゃんまで社内の隅々に浸透させ、
全ての社員が同じ目標に向かって継続的な改善を行っています。

七峰メソッドの問題点は、盛り込んだアイデアが顧客満足に繋がっていない事と、
アイデアの選定を七峰くん1人で行っていた事です。
これらをTQCの適用によって、具体的に「カイゼン」してみましょう。


―――


七峰メソッドに顧客の声を反映した管理図がこちらです。


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従来のシステムでは、七峰くんのお眼鏡に適う面白いアイデアであれば、
読者アンケートの結果に関係なく作品に取り入れられてきました。
これが原因で、需要と供給の不一致を起こしていたと考えられます。

新システムでは、読者アンケートの結果を分析し、
抽出された要因から導かれる改善案を基にアイデアの選定を行う事で、
生産リソースを無駄なく作品に伝えられるようにしています。
このように、PLAN→DO→CHECK→ACTIONの4段階のサイクルを
ぐるぐる回して継続的な改善を行い、品質向上に繋げる手法を、
それぞれの頭文字を取って、PDCAサイクルと呼びます。
アメリカの統計学者、エドワーズ・デミング博士が完成させて、
戦後の日本企業に持ち込んだ考え方です。

PDCAサイクルの中で最も重要なのは、CHECK=評価です。
成功要因(Signal)と失敗要因(Noise)をどれだけ正確に抽出できるかが、
このサイクルを円滑に回す為の分かれ道になります。
ですが安心、品質学には2つの要因(SN比)をパラメータ化して評価する、
タグチメソッドという魔法のような手法があります。
田口玄一さんという日本人工学者の方が編み出した秘奥義で、
これを使いこなせば、改善もスムーズに進みます。
どうせだからこれもPDCAサイクルに組み込んじゃいましょう。


七峰くんもいくら頭が良いと言っても、ただの高校生です。
彼にはブレーンが必要であり、それは漫画に詳しい50人()とかでなく、
いかにして品質=面白さを継続させるシステムを考え、
頭の良い七峰くんを納得させうる人材こそが望まれました。
なので、新人編集の小杉くんも、アプローチの仕方を間違えてるんです。
やり方が正しいとか間違ってるとか、主観的な話はどうでもいい。
七峰メソッドでは面白い作品が継続できない事を論理的に説明すべきでした。

もしも七峰くんがデミング博士のマネジメントシステムを導入していたら、
旧態じみた亜城木ごときの根性論には敗れたりはしていません。
ここからは道場主が七峰くんのアドバイザーとして50人の中に加わり、
勝利へのプロセスをシミュレートしていきましょう。


―――


サイコー 「ネットで意見してもらって作品を作るなんて…!」

シュージン 「作品は邪道でもいいけど、作り方が邪道じゃ駄目だ!」


七峰 「編集に頼ってるうちは、自信の無いアマチュアですよ…」


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サイコー「プロを舐めない方がいい、そんなやり方、いつか必ずボロが出る!」

シュージン 「お前を10週で打ち切りにしてやる!」


…(゚Д゚)ハァ?


七峰 「勝ち負けは結果です…新しい友情・努力・勝利を見せてあげますよ」


亜城木なんとかの前で啖呵を切った、我らが七峰せんせい。
さっそく仕事場でネットミーティングを行います。


nanamine >
 1話目、速報で2位でした


ta1 >
 1話目はあれでいい、勝負は2話目!

SUGI >
 おっ!編集経験者 ta1さん! どういうこと?

ta1 >
 大事なのは2話目で負けないこと
 亜城木が何か仕掛けてくるなら2話目と予想する



駄目だこいつら…早くなんとかしないと…


dojyo >
 2位じゃ駄目なんでしょうか(キリッ


SUGI >
 おっ!元新聞記者 dojyoさん!どういうこと?


dojyo >
 大事なのは現状を分析すること
 SN比の最適条件を尺度にロバスト設計しましょう

SUGI >
 お、おぅ


dojyo >
 アイデアは詰め込みすぎるものでなく…


こうして50人に品質学をレクチャーし、七峰せんせいの了解を得て、
話作りの上手い人は物語のアイデアを、編集経験者や私は情報分析をと、
人員をそれぞれの担当ごとに振り分けていきます。


dojyo >
 …という風に、SN分析によってアイデアの取捨選択をしていくんです

nanamine >
 なるほど、それなら客観的に判断できますね


SUGI >
 でも面白いアイデアなら積極的に取り入れた方が、
 順位は上がるんじゃないの?

ta1 >
 『H×H』の冨樫も言ってたな、アイデアは暖めておくって
 使えるネタをここぞって時に出す方がより面白いって事だろ


流石にみんな理解が早い…必要なアイデアを必要な時に必要な分だけ使う、
これぞトヨタ自動車に伝わる必殺技・ジャストインタイム!


dojyo >
 アシスタント14人に、アイデアマンとデータアナリストが50人、
 全員の総力を結集させれば、作品の質を継続できますよ

nanamine >
 よし、この方法で行きましょう!


くっくっく…亜城木め、ネットの力を舐めるなよ。


―――


亜城木夢叶


サイコー 「ええーーーーーっ!?」

シュージン 「本ちゃん4位!?」



服部 「2位の『有意義な学園生活に必要なソレ』に票を奪われている」


サイコー 「七峰くん、2話目で急に絵のクオリティが上がったんだよな…」

シュージン 「
それだけじゃない、3話目以降は詰め込みすぎの読み難さが無くなってる


それがTQCによる「カイゼン」の結果ですぜ。


七峰 「ご無沙汰してます、亜城木先生…フフフ」

シュージン 「…七峰くんっ?」

七峰 「ほぉら、僕が正しかった…こんな新人、過去に居ます?」

シュージン 「俺たちは、俺たちの『PCP』をしっかりとやっていくだけだ」


七峰 「フフ…亜城木先生は勘違いをされてるようですね」

サイコー 「何っ!」

七峰 「ネットの力を、50人の横の繋がりをね」


そう、亜城木コンビは最初から勘違いをしているんです。
ネットで見つけた50人を、統率の取れないバラバラの集団だと決め付けている。

なぜ七峰くんがネット上で漫画に精通した50人を見付ける事が出来たのか?
それは、この50人が何らかの情報を発信していたからに違いありません。
そしてそれらの情報は、同じコンテクストを持つ人達に共有され、
ソーシャルメディアを経由して横の繋がりを生むのです。
2chで面白発言してる人をテキトーに選んでるとか、そんな訳がない。

でもって彼らが発信する情報は、Noise要因が予め取り除かれています。
Signal要因だけを共有するリテラシーが、50人にはあるんです。
それぞれの価値観が違ったとしても、それぞれを理解し合う人達を、
統一された目標の下で適切にマネジメントしていけば、
大きな成功を得るのは、決して難しい事ではありません。
オウンメディアを活用する実際の企業運営と考え方は全く同じです。

真城くんはともかく、高木くんまでネット=2ch的なものだと思ってるのが、
道場主としては全くもって得心がいかないですね。 
玉石混交の「石」の部分しか見てないとしか思えません。 



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七峰 「どうせなら同じ話で勝負しませんか?簡単に白黒つくじゃないですか」

シュージン 「そんなの大問題になる、その挑発には乗れない」


サイコー 「…やろう、シュージン」

シュージン 「サイコー!? …まぁ編集長がOKすればいいけど…」

サイコー 「俺たちがこんなやり方に負けるはずない」


七峰 「僕には50人ものアドバイザーが居るんですよ?」

シュージン 「君にはそれを纏める力は無い、つーか誰だろうとそんなの無理」


誰かが纏めるんじゃねぇ、全員で纏まるんだ!
七峰せんせい、この青二才どもに正義の裁きを下してやりましょう。



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再びネットミーティングにて。


> しかし、ありがちな設定だけに難しいぞ

> 正攻法もいいけど大どんでん返し

> いかに華麗にカッコよく勝たすか

> 感動の演説とバックボーンになる出来事なんてどう



七峰 (みんな真剣に意見を出してる、これならいける…!)


いやいや、いけないから。


dojyo >
 それぞれの意見ももちろん大事ですけど、
 読者の声を分析した結果を基にアイデアを練りましょう

NARUTO >
 つまり…どういう事だってばよ?


dojyo >
 y=βMから得られるのは漫画の基本的性質である面白さですから、
 制御因子の水準値を変えて、読者との需要の誤差をマッチさせましょう
 
NARUTO >
 お、おぅ


take20 >
 俺が考えた先週のオチは上手くマッチしなかったもんな

nobuo >
 下ネタだったけどな


…こいつらはクビでいいんじゃないのかな


boss >
 なら、暖めておいたアイデアを使うのはどうだ?

SUGI >
 おっ!ジャストインタイム発動きたーー!

take20 >
 生徒会長に圧倒的不利な状況で立候補した生徒を勝たす話にするんだろ
 今の展開で使えそうなのがあったはず

nobuo >
 それならこれは…



七峰 (みんな真剣に意見を出してる、これならいける…!)


ついにTQCがここに成った…!
七峰せんせいの勝利も秒読み開始だ。

見ていろ少年ジャンプ…待っていろ亜城木夢叶!


―――


真城最高


服部 「…3位だ」

シュージン 「3位!?」 

サイコー 「『有意義』は!何位だったんですか!?」

服部 「…1位だ…見事だよ」


シュージン 「1位…そんな…」

サイコー 「敗北…破滅…挫折…、負けたっ…」

服部 「『PCP』に票を入れた人は、『有意義』の方も上位にして入れている」


本当にこの世は金と知恵ですね、亜城木先生。


実際のストーリーでは、七峰くんは亜城木コンビに惨敗します。
それは、七峰くん個人に原因があったのではなく、
やはり生産システム上に欠陥があったからだと思います。
逆に、システムに問題が無ければ、充分に勝つチャンスがあったと言えます。
道場主としては、やり方が間違ってるという結論で締めくくられたのは、
アンフェアであったのではないかと思っています。


このお話、後日談があります。原作では七峰くんが
「シンジツコーポレーション」という名前の漫画制作会社を設立して、
再び亜城木コンビの前に立ち塞がるのですが、
この会社ではモニターを雇い、読者の声を拾い上げるシステムにしてます。


で、シュージンの感想が前述のこれ↓

高木秋人


そう、今度のシステムは良く出来てるんです。TQC的に。
でも結果的に駄目だったのは、目標がはっきりしていなかったから。
 
「新世界の神になる」のが目的だったはずの夜神月が、
いつの間にか「Lに勝つ」のが目的となり、迷走していったのと同じ。
七峰くんは「亜城木に勝つ」事を目標にした時点で間違ってました。
「読者アンケート1位」を目指すべきだったんです。

PDCAサイクルも、導入すれば必ず成功する訳ではありません。
明確な目標、的確な分析は絶対条件となります。
単に計画を立てて実行するだけなら2ステップで済みますが、
形だけを真似るんだったら、余計な工数が増える諸刃の剣なんです。


しかし、おかしな点がありますよね…。

七峰くんが作ったのは紛れもなく「会社」なんですよ。
会社の経営目標がはっきりしないって、駄目でしょ、それ。

素人50人がやってる時はまだいいですよ。
でも、会社は事業内容を公表しなくちゃいけないんですよ。
実家がお金持ちだから銀行から融資を受けなくていいっつっても、
こんな所と一緒に仕事してくれるパートナー企業なんか見つかりっこねー。


シンジツコーポレーション

           諸悪の根源らしき、ひげのおっさん↑


名前が分からんけど、経営コンサルタントらしき人物も居ますよね…。
この人はいったい何をやってたんでしょうか。
私の目にはとても優秀な人物には見えませんが…。

つまり悪いのはこのおっさんだ。七峰せんせいは己が正義を貫いている。
このおっさんがプロの仕事をしなかったから、あんな目に…。

うんきっとそうだ、そういう事にしよう。


 結論: おっさんは死刑


七峰せんせいは正しいんだー。
それさえ伝われば、私は他に言う事はありません。
  


ご清覧ありがとうございました。

【ネタ考察】もしもIQ80の引きこもりが夜神月の『DEATH NOTE』を拾ったら


夜神月

↑第1部のあなたは輝いてました。


【その他のネタ考察】

 もしも乙女漫画の男子と萌え漫画の女子が付き合ったら
 もしも『バクマン。』の七峰透がデミングサイクルを導入したら


さて、今日からからネタ考察をスタートします。
第1回は『DEATH NOTE』。もはや上の画像だけでネタだと分かりますね。

今回の考察の目的は、夜神月の敗因を明らかにし、対処策を打ち出す事です。
なぜ頭の回転の早かった月が、いとも簡単に他人に出し抜かれたのか?
そこには月自身も気付いていない、大きな落とし穴がありました。


―――


まず、夜神月が敗北に至るまでの行動を振り返ってみましょう。


Lに勝利した月は、2代目Lに成りすましてそのまま警察に居座り、
その裏でキラとしてノートによる殺人を続け、世界から崇拝される存在となりました。
キラを熱烈に崇拝し、神と崇める検察庁検事の魅上照は、
月の高校時代の同級生だったMHNの看板キャスター・高田清美を通じて、
国際警察にマークされて身動きの取れない月に2冊目のノートを渡され、
キラの代行として、自身が考える悪を削除していきます。

ところが、高田も魅上も、Lの意志を受け継いだL陣営にマークされており、
高田は単独行動を取っていたLの後継者の1人・メロに拉致され、
魅上は証拠隠滅の為にノートを使って高田を殺しますが、
その行動はもう1人の後継者・ニアによって監視されていて、
2冊目のノートはL陣営の手によって押収、および複製されていました。

いざ月とニアとの対峙の時。月は殺人実行役の魅上に指示を出し、
現場に居揃ったL陣営を全員殺そうと画策します。
偽物のノートをめぐる月とニアの策謀があれやこれやとありますが、
本物のノートは既にニアに押えられていて、月の策は失敗します。
ニアに敗れた月は殺人の証拠を押さえられ、ついにキラである事を自供します。
月にノートを渡した死神・リュークは、自暴自棄になった月を見限り、
月の名前を自分のノートに書いて、キラは最期を迎えました。


夜神月

↑あり得ないのは第2部のあなたです。


デスノート、死神、死神の目を持つ協力者と、圧倒的なアドバンテージを持ちながら、
ついにはL陣営に敗北を喫した夜神月。その行動には疑問があります。

まず、直接の敗因となったのは、2冊目のノートがニアの手に渡った事ですね。
そして、ノートが押収される原因となった魅上の行動にも行き当たります。
本物のノートが複製されてさえいなかったら、直接対決の際、
L陣営は死神の目を持つ魅上によって全滅させられていたでしょう。

では、魅上が複製を許していなかったら、勝敗の決着は変わっていたでしょうか?
いいえ、そうはなりません。L陣営は既に月の周辺を固めていました。
いずれの方法を取っても、ノートを押収されるのは時間の問題であったのです。

つまり、月は背後にあった人間関係をL陣営に気付かれる前に、
ニアと決着を付ける必要があったという事です。


―――


しかし、そんな事が可能な状況ではありませんでした。
そもそも月が魅上にキラの代行をさせたのは、自分の身に捜査が及んでいたからで、
そうなる原因を作ったのは、これまで月がキラとして行ってきた行動の中に、
月とキラを結びつけるいくつかのヒントがあったからです。

これらを現状として捉えた場合、疑われていると分かっていたはずの月が、
デスノートの管理において、最善策に溺れてしまい、
次善策を用意しなかった事が、ニアに付け入る隙を与えたと言えます。
つまり、敗因は月が行ったノートの管理の仕方にあるのです。

ノートを保管する机の引き出しに細工をしたり、追加で13日の嘘ルールを作ったり、
当初はノートが他人の手に落ちた時の想定を考えていました。
ところが、第2部の頃からうかつな行動がやたらと目立つようになります。
第1部ではあれほどノートの管理に慎重に慎重を重ねていたにも関わらず、
どういう訳か第三者に簡単に渡すようになりました。


第2部スタートの段階で、月の手元には3冊のデスノートがありました。
最初にリュークが持ってきて、シドウに返した1冊目のノート。
ジェラスが海砂を守る為に使い、その後も海砂が使い続けた2冊目のノート。
そしてレムがLを殺す時に使った3冊目のノートですね。

あろう事か月さん、これら3冊全てを1度は他人に渡してます。
馬鹿なの?死ぬの?テラアホスなの?


ターニングポイントは3つあります。

まず、妹の夜神粧裕がメロに誘拐された時、身柄引き渡しの条件として
メロから提示されたノートとの交換に応じた事ですね。
デスノートは、23日間だけなら死に繋がる行動を操れます。
ゆえに、邪魔になった妹を混乱に乗じて殺害するのも容易だったはずです。
ノートの保持はキラである事の存在証明であり、何よりも優先されるべきでした。
ところが月はあっさり交換に応じてしまいます。マジどうしちゃったのよ。

月の信念として自分の家族を殺す事に躊躇があったと語られていますが、
結局これがきっかけで、死神とノートと嘘ルールの存在をL陣営に知られてしまい、
この時点で月が持つアドバンテージが月の協力者以外に無くなります。


次に、粧裕を誘拐したメロから1冊目のノートを取り返す時に、
レムから苦労して奪った3冊目のノートを捜査本部に提供した事です。
いくら致し方なかったとは言え、そもそも1冊目を相手方に渡していなければ、
こんな事しなくて良かったはずなんですけどね。

もはやこの頃には月の策謀がと言うより、キャラが崩壊してきてます。
出たとこ任せの行きあたりばったりな人へと足を踏み入れてます。


最後に、協力者となる人物に第三者を選んだ事です。
ノートに名前を書くだけなら、高田1人を協力者に選ぶだけで良かったはずで、
高田に捜査が及んだ段階で第三者という選択肢を取れば良かった。
もっと言うならプリンターを使ってPCで自動更新という手もあったんです。

いくら状況が窮していたとは言え、キラの代行として魅上を選ぶのはあり得ません。
なぜ何の接点も無い人物に、いきなり自分の切り札を預けるのか。
この1点においてだけでも、月は決して頭の良い人物ではなく、
策に弄してその場しのぎに右往左往するだけの小心者に成り下がってます。



では、どのように対処していれば月は勝利できたのでしょうか?
ズバリ、ノートを自分の手の届く範囲で確実に保管しておく事です。

1冊目はシドウに返しますから、手元に残るのは2冊目と3冊目です。
もちろん、誘拐された妹なんて絶対に助けません。
世界の創造主たるキラ様が、私情を挟んでは大事を成せませんから。

その後、2冊目のノートを使って裁きを下していく事になりますが、
ニアの捜査は厳しくなってきますから、これは筋書通り、魅上に預けて良いです。
むしろ、ニアにノートの複製を作らせるオトリとして使えます。

さぁここからがポイント。いざニアとの決戦場へ向かいますが、
この時、魅上に保管させておいた2冊目のノートではなく、
自ら保管していおいた3冊目のノートを使います。
これは海砂に書かせます。
L陣営の皆様は3冊目のノートがある事なんて全く知りませんし、
決戦場となった倉庫には外に見張役すら置いてません。
想定外の切り札を切られたニアは、完全にオワタツンダ状態です。

はい、この通り。月がL陣営に勝つ道筋が出来ました。
切り札ってのはこういう風に使うもんですよ(まぁ結果論ですけど)。


―――


夜神月が敗北に至るもう1つの原因は、相手の思惑に乗りすぎた事です。
これはLの挑発に乗って、リンド・L・テイラーを殺した所から始まっています。
月の目的は「新世界の神となる」事であり、「Lに勝つ」事ではありません。
なまじ頭が良すぎた為に、目的以外の事に突っ込みすぎたのが、
今回は触れなかった、敗因の大きな背景としてあります。

もちろんこれを認めてしまえば、『DEATH NOTE』である前提も、
月が主人公である意義も無くなりますので、ここから先はネタとして考察します。


『DEATH NOTE』の主人公が夜神月では無かったら、
もしもノートが、そこら辺に居る有象無象の手に収まっていたら?
と言うか、普通はその可能性の方が大きいんですが、
はたしてどのような変化がストーリーに生まれていたでしょうか。

シドウを騙くらかしてデスノートを手に入れたリュークは、
退屈しのぎにと人間界にこれを落としていきます。
で、ノートをたまたま拾ったのが、たまたま全国模試トップの頭脳の誇る、
後に日本で最高峰の大学に全教科満点の主席合格をする夜神月だった事で、
話がここまで大きくこじれちゃった訳ですね。

どうせだったら凡百どもよりさらに底辺の、
どうしようもない負け組ニートに拾ってもらう事にして、
夜神月の敗因から明らかになった問題点を修正してもらいましょう。


【主人公】

・月並 平(ツキナミ タイラ) 32歳。
・無職、独身。
・ニート歴10年のプロニート。
・IQ80、高校中退。



やだ…何て斬新な設定でしょう!
こんな作品がかつてこの世に存在したでしょうか。


さて、1年ぶりにハローワークに行った帰りにデスノートを拾った月並くん。
道中で渋井丸拓男、略してシブタクなるDQNからカツアゲに遭い、
その怨恨から家に帰ってシブタクの名前を試しにノートに書き散らします。
するとびっくり、風呂上がりにPCを立ち上げたら、
シブタク死亡のニュースが2chに流れているではありませんか。

「デスノート…本物だ!」

自分をゴミのように扱ってきた世間を見返してやる為に、
デスノートを使って粛清を行い、「新世界の神」となる事を決意します。

…途端に中二臭くなってきましたね。


この頃、謎の大量死に疑念を持ったICPOの探偵・Lは、
TV放送を通じてキラの居場所を突き止める策を実行します。
しかし月並くんはネットに夢中。挑発に乗らないばかりか、TVすら見てません。
マスコミは捏造報道しかしないので、現実をネットに求めていたからです!

2chにはリンド・L・テイラーに関するスレッドがぽつぽつ立ちますが、
それより憎き韓国・中国の反日デモの方が大事件なので、
愛國戦士である月並くんは優先順位に従ってデモの主催者を粛清し始めます。

ネットには次々と倒れていく主催者を写した画像がうpされ、
「天罰www」とか、「ざまあぁぁぁwww」とかのレスが並び、
裁きの鉄槌を下した見えない力に、「ネ申」という賛辞が送られるようになります。

「デスノートで、世の中を変えてやる(キリッ)」

終始ご満悦の月並くんです。

月並くんの決意表明と時を同じくして、第2のキラ・弥海砂が現れますが、
コンビニでエロ漫画を立ち読みする月並くんを見て幻滅し、
2人の接点は生まれる事なく、そのまま時は流れます。


―――


しかし、キラの影を追うLも馬鹿ではありません。
キラの犠牲者が2ch勢いランキングで上位に報道された人物に偏り、
しかも昼間に多い事から、容疑者を日本に居るキモオタニートと断定。
さらに嫌韓や嫌儲掲示板にターゲットを挑発するスレッドを立て、
レスした人物のIPを管理者に開示するよう要求します。

その策に月並くんは見事に引っかかります!
それが釣りである事も知らず、コピペAAを張り付けた月並くんは、
IPをぶっこ抜かれ、容疑者の1人としてマークされるようになります。


けれどLの方も、ミスを犯してしまいます。
やらなくてもよいネタばらしを再度スレッドを立てて公開し、
それと同時に、わざわざキラへ挑戦状を叩きつけます。

どちらにしろ月並くんはもうびっくり!

「くそっ、やられた!」

これによりLの計画が月並くんの知る所となり、
月並くんは警戒して情報入手先をまとめブログに変えてしまいます。


月並くんは未だかつて、自信というものを持ち得た事がありません。
ゆえに、月並くん(普通の人)の考えうる「正義」とは、
他人との折衝ですぐにしぼみ、揺らいでしまう程度のものです。

「必ずお前を探し出して始末する!」とはなりません。

月並くんはLを避け、更に自分の居心地の良い場所へと潜んでいきます。
こうして、Lとの接点も無くなり、Lの捜査は行き詰まります。
捜査の生命線である守秘情報を漏洩したのですから、自業自得ですね。



それからしばらくして、海砂が芸能界デビューし、上京してきます。
海砂のロリフェイスと男心をくすぐる仕草は、
「ミサミサ (*´д`*)ハァハァ」と、ネットでもすぐに話題沸騰となり、
月並くんも海砂の虜にされ、ブログ愛読者になります。

ところが、トップアイドルの道を駆け登っていたミサミサに、
思わぬ大スキャンダルが発覚します。
頭脳明晰で街角モデルとしても人気の東大生・夜神月氏との
お持ち帰りデート&裸でツーショット写真がスクープされたのです!

「駄目だこいつ…早くなんとかしないと…」

海砂の熱心なファンだった月並くんは、デスノートを使った
夜神月の排除を企て、海砂のブログに月の殺害予告を書き込みます。


ですが、これが月並くんにとって命取りでした。
ミサのブログはスキャンダルで大注目されてる真っ最中で、
そんな時に悪意のコメントを付けたのですから、すぐに通報祭りになります。

月並くんのIPは特定され、日本の警察に逮捕されます。
その後の家宅捜索で、『DEATH NOTE』と表題の付いた黒いノートに、
今まで不審な死を遂げてきた人物の名前が書かれている事も判明し、
ワイドショーで恒例のオタクバッシングが始まります。

なお、月並容疑者は警察の取り調べにおいて、

「悪は悪しか生まない。まだ世の中は腐っている。
 腐った人間が多すぎる。ならば、なくさなければならない。」

などと意味不明の供述をしており、動機は未だ不明です。
捜査当局では、キラ事件との何らかの関与がある可能性もあると見て、
慎重に捜査を進め、余罪の追求を進めていく方針です。


…結局負けるんかいぃ!


―――


最後に、道場主の『DEATH NOTE』観について。

この作品は、『ドラえもん』の構図とよく似ていると思います。
異なる世界から便利なアイテムを持って現れた異邦者。
それを使って願望を叶えていく主人公の男の子。
ドラえもんのひみつ道具を悪用したらどうなるかという、
誰もが1度は考えた事のある疑問を、実際にシミュレートしてみた訳ですね。
「ムカつくヤツを消したいな」「はい、デスノート♪」の世界です。


『ドラえもん』にも、"どくさいスイッチ"というひみつ道具があります。
嫌いな相手を消す事の出来る、悪魔のスイッチです。

どくさいスイッチ

↑どくさいスイッチ。夜神月の思想と重なっている。


のび太はまずジャイアンにいじめられた仕返しにと、ジャイアンを消し、
次に2番目に強いスネ夫にいじめられたら、スネ夫を消し、
こうして次々と自分より強い者をスイッチで消していったのび太は、
最後は独りになってしまうというエピソードです。

しかしこの話には救いがあり、実はこのひみつ道具、
全て幻の出来事で、道具を使った相手を戒める狙いがあったのです。
そしてのび太はドラえもんの思惑通り、自分を恥じました。
ここが、『DEATH NOTE』の月とは異なる点ですね。

夜神月の思想は、諫めてくれる人物が周りに居なかったというだけで、
根本的にはいじめられっ子であるのび太と同じです。
マジョリティに対するマイノリティが、中二病をこじらせた話。
だからこそフォーマットを転用して月並くんのネタ化も出来る訳です。
ただ1つ違うのは、月の信念は並大抵のものではなく、
マイノリティである事を恐れず、むしろ誇りとしています。

これは想像ですが、もしも月が孤独である事を恐れていたら、
月の存在意義は一般大衆と同化し、Lの捜査を振り切っていたかも知れません。

月は自分を顕示する事でL陣営に特定され、敗北しています。
ゆえに、自己顕示を早い段階で止め、新世界を作る目的に専念していれば、
月はせっせとノートに名前を書いていくだけで、勝つ事が出来た。


『DEATH NOTE』は、月を揺るぎない正義を持った人物として描き、
純粋な知能戦だけを楽しめるように作られています。
特に月の悪役っぷりは見事なもので、ラストシーン以外は
決してブレない"悪"を描ききっていると思います。
第2部ではその知能戦がなりを潜め、アクションシーン満載だっただけに、
月の落ちぶれっぷりを含めて、少し残念な気はします。

その後、『バクマン。』でも七峰透なる頭脳キャラが出てきて、
まるでヨツバグループを彷彿とさせるような合議制を唱え始めますが、
『DEATH NOTE』で一度やり尽くしたネタを繰り返してますから、
ここも少し蛇足であったでしょうかね。

いずれにせよ、『DEATH NOTE』は1つの記事に書き尽くせないほど、
漫画の魅力が詰まった作品である事は間違い有りません。
今もこうして妄想を続ける読者が、ここに居るのですから。

私がドラえもんにお願いするなら、"木こりの泉"を出してもらって、
悪い人をみんな、きれいなジャイアンみたいにしてもらうかな。

きれいなジャイアン

↑きれいなジャイアン。
 


ご清覧ありがとうございました。

【上級】ワンピーススタイル

ワンピース

↑背景が潰れるまで描かれた大海賊時代の1カット。



累計発行部数、2億5000万部。 
最新巻初版、400万部。 

『ONE PIECE』の凄さを端的に表した数字である。 

これほどまで人気がある理由は、作者である尾田栄一郎が、 
「誰にでも分かる」漫画を描いている所だろう。 

「誰にでも分かる」と述べてしまえば簡単なように思えるが、 
作者が読者に対し、作品の意味を過不足なく伝えるというのは、 
老若男女さまざまな、何百万の違う価値観を持った読者と、 
たった1つの共通認識で結ばれるという事だ。 
信号機の赤が「止まれ」で、青が「進め」といった、 
単純な"記号"なら「誰にでも分かる」だろうが、 
作品という複雑に入り混じった"記号"を充分に理解させるには、 
激流に隔てられた対岸に橋を渡すのと同じくらい努力が居る。 
尾田はそれを15年間も継続しているのである。 


――― 


『ONE PIECE』の凄さを表すのは、何も数字だけではない。 
尾田はヒットを計算して描ける作家だという事が、 
この作品の特徴を挙げていけば見えてくる。 

まず、全体を通して、抽象的な表現が全く無い。 
少年漫画全般に言える事だが、尾田はこれを徹底している。 
『ONE PIECE』は1つを理解させるのに10の描写がなされていて、 
これにより読者の解釈をその1つに集約させようとしている。 
小説よりは映画に近い表現方法だと言える。 

ストーリーの骨子に命を宿す為に、肉付けとして 
時代背景やストーリー設定にも配慮を行き渡らせ、 
建物や群集まで、とにかく細密に描き込まれている。 
それらを寄木細工のように配置通りに組み上げる事で、 
空想の中の大海賊時代を、まるでその場で見てきたかのように、 
具体性を帯びた世界観を作り上げているのである。 
ここまで細かい作品を週刊誌で連載している事が驚きだ。 


これは美術や文学で言う所の写実主義=レアリスムに当たる。 
写実主義は19世紀半ばにフランスで興った思潮であり、 
美術ではクールベやマネ、文学ではスタンダールが完成させ、 
日本では明治時代に坪内逍遥の『小説神髄』によって著された。 

以下はその引用である。 

 小説は、見えがたきを見えしめ、曖昧なるものを明瞭にし、 
 限りなき人間の情欲を限りある小冊子のうちに網羅し 
 之をもてあそべる読者をして自然に反省せしむるものなり。 

漫画では『ナニワ金融道』の青木雄二も取り入れており、 
社長とヒラ社員のスーツの柄の違いや、領収書の金額など、 
背景が黒く潰れるまで書き込んである。 

『ONE PIECE』にも、この写実的な手法が取り入れられている。 
見えがたきを見えしめ、曖昧なるものを明瞭にする為に、
時には背景が潰れるほどまで10の描写をしているという訳だ。


――― 


次に、『ONE PIECE』には『スラムダンク』にも見られた、 
完成されたプロットが繰り返し使われている。 

『スラムダンク』では、 

・桜木が天才の自分を夢想する 
↓ 
・ライバルに天才性を否定される 
↓ 
・自分に出来る事を絞り込む 
↓ 
・ダンクを決めて天才を証明する 

どの試合でも、基本的な流れは全て同じである。 
少年漫画に限らず、例えば高橋しんの『いいひと。』でも、 
LG編から完成されたプロットが繰り返されている。 

『ONE PIECE』では、 

・新しい島に上陸 
↓ 
・事件が起こる 
↓ 
・事件の首謀者を倒す 
↓ 
・宴を開く 

この流れが、それぞれの島で手を変え品を変え展開される。 

これは、作者の"象徴"を変化させない為に用いられるもので、 
最後まで同じテーマを伝え続けるのに有効な手法だ。 


『ONE PIECE』が連載されている週間少年ジャンプでは、 
伝統的に、努力・友情・勝利というプロットが多用され、 
鳥山明の不朽の名作『ドラゴンボール』など、 
正義の主人公が悪を討ち滅ぼす"勧善懲悪"の作品が占めている。 

ところが、『ONE PIECE』にはこれが当て嵌まらない。 

ルフィ達は悟空のように修行をする場面が描かれておらず、 
唯一例外として覇気を会得する場面も、さわりに触れただけだ。 
ベジータのようにかつての敵と共闘したのは、 
投獄されたクロコダイルらと一時的に手を結んだくらい。 
必ず勝利ともいかず、青キジやマゼランに破れ、 
シャボンティ諸島やマリンフォードでは大敗北を喫する。 

"勧善懲悪"どころか、ルフィ達の方が悪者扱いされ、 
賞金首として指名手配されているくらいである。 


では、尾田が完成されたプロットを繰り返して 
伝えようとしている"象徴"とは何か? 


――― 


再び『小説神髄』を紐解くと、坪内逍遥は、 
作品作りにおける主脳は人情なり、と述べており、 
日本人の根底に流れているのは"人情"だから、 
それをありのままに写実しなさい、としている。 

これより以前、つまり江戸時代の小説というと、 
歌舞伎の脚本のような"勧善懲悪"の作品を指し、 
それは当時においても充分に古臭いものだった。 
明治以降、二葉亭四迷らによって日本に写実主義が広まり、 
"勧善懲悪"のスタイルから、"人情"を描いた 
心理的写実のスタイルへと移り変わっていった。 


尾田の描くレアリスムは、こういった"人情"をテーマにした 
任侠映画や時代劇の影響を受けている事で知られている。 

どんな苦難も分かち合い、支え合ってきた日本人の心― 

仲間と一緒に喜び、仲間と一緒に泣き、仲間と一緒に怒る。 

なぜこの作品が何百万もの支持を集めるのかと言えば、 
明治以降に生まれた「誰にでも分かる」日本人の"人情"を、 
一切の抽象表現を排し、圧倒的な写実描写によって 
解釈の余地が残らないほどにまで伝えてきたからだろう。 


20世紀少年』はシュールレアリスムの極致にあり、 
抽象表現の奥にある20世紀の文化を読者が認識しなければ、 
作品の"象徴"を拾い上げる事はなかなか難しい。 

『ONE PIECE』はレアリスムの極致にある。 
既に読者の中に存在している解釈項を"象徴"にしているので、 
おおよそ写実主義が何たるかを知らなくとも理解できよう。 

伝統文化の魂を込めつつ、新しい世界観を構築する。 
やはり、『ONE PIECE』は凄い。
 


ご清覧ありがとうございました。

【中級】冨樫義博の挑戦

HUNTER×HUNTER

↑ゴンの表情に注目。


『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博は、ビジョンを持っている。 
『レベルE』を連載していた頃に作者自身が語っていたように、 
最初に着想があり、それを自分の中で暖めておき、 
時間を置いてから何かのきっかけで別のヒントを得た時、 
それが最初に得た着想と結び付く事があるそうだ。 

卵は放っておくだけでは孵化しない。 
抱卵して暖める事で、新しい命が内側から殻を破る。 
冨樫が休載するのは、抱卵が必要な為だろう。 
そこでようやく冨樫のビジョンが作品に落とし込まれる。 


『幽☆遊☆白書』の頃は、まだビジョンは無かった。 
他の少年漫画のプロットに着想を得て、それを流用して 
自分流にアレンジしているような作品であった。 
だが、『幽白』は魔界編より以降、少年漫画から脱却する。 
連載によって洗練され、むくむくと起き出した冨樫の"象徴"が、 
少年漫画の枠組の中に収まり切れなくなったのだ。 

冨樫は勧善懲悪を越えた"人間性"を描こうとした。 
読者の『幽白』の認識は、暗黒武術会の『幽白』である。 
暗黒武術会のプロットを魔界統一トーナメントでもやれば、 
読者の支持をずっと維持する事は出来ただろうが、 
冨樫はそれを許さず、連載を終わらせた。 

読者から見たら、それは「変わった」という認識だろう。 
少年漫画の読者が望むものは、少年漫画であるからだ。 
読者の認識と違う、象徴性が強まった『幽白』を見て、 
つまらないとか、面白くないという意見が出ても然りと言える。 
だが、冨樫の漫画は決して劣化した訳ではない。 
"象徴"が読者の理解を越え、認識が一致しなくなっただけだ。 
それは次作の『レベルE』で証明された。 


――― 


『H×H』では、『レベルE』で試された新しい枠組作りを、 
今度は少年漫画のプロットを利用して伝えられた。 
偉大なハンターである父親を探して旅に出るという、 
いかにもありがちな使い古されたプロットを流用しながら、 
揺るぎない強い信念を持った登場人物が、協力し合い、 
また相反し合いながら、1本のストーリーを紡いでいくという、 
作者の手から離れた所で作品をコントロールする、 
キャラクター重視の手法が取られている。 

実は、『H×H』の連載開始から遡ること十数年前、 
かわぐちかいじが『沈黙の艦隊』でこの手法を確立している。 
小説でもよく言われるのが、キャラクターが独り歩きをすると、 
作者の"象徴"が最初と最後で変わってしまうという事だが、 
『H×H』や『沈黙の艦隊』は、最初にキャラクターを固める事で 
ストーリーを脱線させる事なく"象徴"に導いている。 

『ブラックジャックによろしく』や『東京大学物語』は、 
作者の主観がストーリーに介入しすぎて、登場人物が 
作者の"象徴"を代弁するただのメッセンジャーになっていた。 
ストーリーを完全な客観によってコントロールする事は 
優れた小説家でもなかなか出来る事ではなく、 
実際に日本人が書く文学作品には私小説が非常に多い。 

冨樫は海外作家のような俯瞰の目線で作品を作る、 
音楽に例えれば、指揮者のような役割に徹している。 
冨樫の伝えたい事、つまり"人間性"は、登場人物の表情で表している。
10の台詞を並べるより、1つの表情で伝えようとしているのだ。
まさに漫画という媒体の特徴を活かした表現である。
だから人物の心情がどんな台詞より伝わるのだ。


――― 


『ジョジョの奇妙な冒険』では、『H×H』と逆の手法が取られる。 
『ジョジョ』の作者・荒木飛呂彦も、冨樫と同じように 
初めは少年漫画の枠組の中で漫画を描いていた。 
しかし、第5部の後半から少年漫画にマッチしなくなり、 
第6部からは読者の理解を越えた作品になっていった。 

たがこれも、荒木が目指そうとしていた"象徴"が、 
読者の『ジョジョ』に対する認識と乖離していった為で、 
当然ながら作品自体が劣化した訳ではない。 

『H×H』は最初にキャラクターをがっちり固める事で 
その後のストーリーの脱線を防いでいたが、 
『SBR』はが最初にプロットを線路のように敷いて、 
そこからはみ出ないようにキャラクターを動かしている。 
荒木の描くキャラクターは、線路を走る列車に乗った乗客である。 

第7部では、相対性理論や特異点定理、回転と重力の関係など、 
難解な学論に着想を得ていると思われる為、 
『エヴァ』と同様の分かり難さが障壁となっているが、 
荒木の描く"象徴"は、とてもシンプルなもので、 
生きる事に背を向けたジョニィの"成長"を追っている。 
これは最も人気のあった第3部の頃より巧みに描かれていて、 
劇場型とも言うべき手法は、究極の域に達した。 


――― 


手法こそ違えど、"象徴"を一貫したものにする構成力の高さは、 
冨樫義博も荒木飛呂彦も、他のジャンプ作家より抜きん出ている。 

共通認識で結ばれる読者数が前より減ったとしても、 
どちらも優れた漫画家である事に変わりはないだろう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【入門】『スラムダンク』の表現力

スラムダンク

↑安西先生は山王戦の勝利と選手達を信じていた。


手塚治虫の時代、漫画は小説の延長でしかなかった。 
手塚は文学的な叙述のテクニックを漫画に持ち込み、 
生涯をかけて自らのテーマである生命観を描き表した。 

叙述=文字は、登場人物や対象物を説明する為の記号で、 
ナレーション、台詞、様々な手段を用いて伝えられるのだが、 
映像=絵は、その叙述の延長線上に存在しており、 
説明の代わりに置き換えた、他者と識別する為の記号であった。 
「ブラックジャック」は白髪でツギハギの顔をした、 
黒いコートを着込んだ男だ、と説明する代わりに 
絵で描いて置き換えたものが、手塚の漫画という事になる。 


ところが、時代は絵に変革を起こした。 
それが、劇画の時代だ。 

劇画は、絵に含有する叙述の数をより増やす事で、 
読者に迫力や臨場感を伝え、強固な説得力を持たせた。 
手塚は劇画との戦いに挑み続け、ついに敗れてしまう。 

そして劇画はそこから更に進化を遂げる。 
絵の中の叙述の質量が膨大になり、映画のように 
映像だけで読者に伝える事が出来るようになったのだ。 
「ゴルゴ13」は、俺の後ろに立つな…、と、 
表情を全く変えずに、細い目の奥から冷酷に言い放つ事で、 
極めて冷静で用心深い性格を読者に正確に伝え、 
どんな困難な依頼でも黙って引き受け、必ず遂行させる事で、 
ニヒルでかっこいい男の中の男だと認識させる。 

こうして漫画は小説から独立し、叙述と映像を融合した、 
漫画と映画の中間媒体として社会的地位を確立するのである。 


――― 


『スラムダンク』は、そんな叙述と映像のテクニックを 
極限の域まで到達させた、最も質の高い漫画の1つだ。 
手塚の時代にはただの記号に過ぎなかったものが、 
優れた後進作者によって、読者との共通認識を結ぶ 
"象徴"へと押し上げられていった。 

"象徴"については、またの機会に説明する事にする事にして、 
今回は、井上雄彦の表現力に迫る。 


主人公はバスケット初心者、湘北高校1年の桜木花道。 
桜木は、自分は天才だ、○○はオレが倒す、と放言し、 
天才の自分を夢想しながらバスケットに打ち込んでいく。 
ところが、現実には流川という本物の天才が居て、 
桜木の思い描く通りのスーパースター街道にはほど遠かった。 
桜木は現実を見据え、自分の可能性を絞り込んでいく。 

インターハイ出場を賭けた神奈川予選の翔陽戦、 
桜木は自分自身に3つの目標を課す。 

① 退場しない 
② ルカワより点をとる 
③ リバウンドを制す 

そこに好敵手・花形が大きな壁として立ち塞がり、 
桜木は花形に、てめーもオレが倒す、と宣言した。 

だが、流川は抜群のセンスで次々と得点を重ね、 
桜木はまたしても自分の天才性を目の前の現実に否定される。 
それでも安西先生や赤木の教えを思い出しながら、 
今の自分に出来る事を整理し、リバウンドに専念するが、 
ここでとうとう4ファウルを犯してしまい、 
5ファウル退場を恐れてリバウンドを拾えなくなった。 


桜木は考える。 
お前は天才じゃないんだとばかりに、翔陽から穴扱いされ、 
自分に突き付けられる現実を冷静に受け止めながら、 
諦める事なく、自分の可能性を模索して。 

桜木はこの後の海南戦で、自分に出来る事をこう言った。 
ドリブルのキソ、パスのキソ、庶民シュート、リバウンド、 
少しさびしいが、これが今のオレの手持ちの武器だ、と。 

ここに挙げた4つは、全て練習で身に付けたものだ。 
ところが、桜木が最初から出来たプレイが他にある。 

それが、スラムダンク― 

これこそ天性の才能であり、天才・桜木の存在証明だ。 
桜木は自分の可能性を最後に必ずダンクシュートに託すのである。


桜木はいつも勝負所でこのダンクを決めている。 
そしてその時のマッチアップは、桜木が最初に 
○○はオレが倒すと言った相手だ。 

陵南の仙道、翔陽の花形、海南の牧、そしてヤマオー。 
強敵を前に、ここぞという時に試合を決定付けるダンクを決め、 
○○はオレが倒す宣言を有言実行する。 

翔陽戦では5ファウルを取られ、退場となるが、 
彼は見事に観衆の前で天才の証明が出来たのだった。 

桜木が○○を倒した、と書かれてはいないし、 
桜木が天才の証明をした、とも書かれてはいない。 
ただ、桜木のスラムダンクが観衆を味方に付け、 
翔陽の猛攻に最後まで耐え抜いた、とだけ叙述されているが、
読者には、桜木が有言実行した事が読みとれるようになっている。 


――― 


井上雄彦の表現力は、高い文学性に裏打ちされている。 

『スラムダンク』の最終回には、山王工業との死闘に 
全てを出し尽くした湘北は、続く3回戦、愛和学院に 
ウソのようにボロ負けした、とだけ叙述してあり、 
なぜ、ウソのようにボロ負けしたのかは書かれていない。 

しかし、やはり井上の叙述の裏には真意がある。 

安西先生は5人に対し、ある言葉をずっと投げかけてきた。 

「君たちは強い」 

これは、才能を持った5人がそれぞれの個性を発揮し、 
チームとして1つに纏まった時、どんな強敵でも、 
たとえ相手が日本一の山王工業であったとしても、 
決して引けを取らない強さを持っているという意味に他ならない。 

ところが桜木は、山王戦の最後にマイボールを保持する為に、 
役員席に体を投げ打ってルーズボールを拾い上げる。 

この時、桜木は腰に怪我をする。 
ひと夏をリハビリに捧げる事になる、大きな怪我を。 
これほどの大怪我を負ってしまった桜木が、 
次の愛和学院戦に無事に出場出来たとは考えにくい。 
桜木は欠場したと推測するのが妥当だろう。 

湘北は5人揃ってこそ、「君たちは強い」だった。 
5人揃わなければ、勝利を呼び込んできた桜木が居なければ、 
歯車が噛み合わずに並のチームになってしまうのが、 
明確に語られずとも、読者には伝わるようになっている。 

これが、ウソのようにボロ負けした理由である。 
桜木が欠場したからボロ負けした、とは書かれていない。 
しかし、それが容易に想像出来る。 

これは、文豪ヘミングウェイが残した「氷山理論」という、
れっきとした純文学のテクニックである。
井上雄彦の表現力は、文学作品と比べても遜色がなく、 
ただの漫画ではない、漫画文学とも呼べる作品へと昇化させた。 


――― 


日本では今、活字離れが懸念されている。 
小説を読まない層が増え、活字文化が衰退していると。 

しかし、普通に考えればそれは当然の流れだと言える。 
なぜなら、日本には漫画文化が根付いたからだ。 
井上雄彦のような高度な文学技術を持った作家が、 
どんどん漫画家になるから、小説の存在感が薄まった。 
今や優れた文学性を持った作品は漫画の方が多いだろう。 


それを証明すべく、次回は、川端康成の文学と 
あずまきよひこ『よつばと!』を比較してみよう。
 


ご清覧ありがとうございました。

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