よつばと

↑父ちゃんの視点から見たよつばは楽しそうだ。


『よつばと!』は面白い。 
だけど、その面白さを理論的に語ろうとすると、 
途端に難しく、訳の分からないものになってしまう。 

だが、構造は極めてシンプルだ。 

作者のあずまきよひこは、元々『天地無用』などを 
パロディにした漫画を描いていた背景があり、 
特徴を捉えるのに必要な、抜きん出た観察眼を持っている。 
その眼を使って、よつばという女の子を観察しながら、 
今度は日常生活をパロディにしているのである。 

『よつばと!』が日常生活の描写作品だというのは少し違う。 
この作品はあくまで、よつばを描いている漫画だ。 
しかしその描かれ方は、よつばを直接描写している訳ではない。 
Yotsuba&!とある通り、「&の人達」から観察した 
よつばが体験する夢のような日常生活を表している。 


つまりこう↓ 

&の人達 < よつば < 日常生活 

※「&」は直接には日常生活を見ていない。 


それを証明するように、この作品には映画的な 
三人称視点のカットが用いられている。 
よつばが主人公なのだが、よつばの視点から見たカットは 
1巻から通じても、1度も描かれた事は無い。 


こういった描写方法は、川端康成なども用いていた、 
モダニズム文学のテクニックの1つである。 

探偵「シャーロックホームズ」は、いかに頭が切れるかを、 
助手「ワトソン」の視点を通じて、強調して描写されている。 
川端康成も同様に、いかに出会った女性が美しかったかを、 
男性の視点を通じる事で、強調されている。 

『雪国』では、島村は語り手であり、読者は 
島村が愛した駒子の姿を、島村を通じて見ている。 

川端は、駒子の視点から見た情景の美しさを強調する為に、 
作品作りに必要だと思われていた物語性までを放棄し、 
その一点を伝える事にのみ全力を傾けているのだ。 

『よつばと!』も、ストーリーテリングと呼べるものは無い。 
お涙頂戴でもなければ、家族の素晴らしさを描いてる訳でもない。 
よつばの視点から見た平凡なはず日常生活は、 
退屈する事のないネバーランドのような世界なのだと、 
その一点にのみ成否を賭けて描かれているのである。 


「&の人達」から見た日常の風景は、つまらないものだ。 
例えば、急にどしゃ降りのにわか雨が降る。 
恐らくこれをほとんどの人が嫌がるだろうと思う。 

ところが、よつばはそれを楽しむ事が出来る。 
おおーすっげぇーと、どしゃ降りの中に駆け出し、 
両手を挙げて雨を迎え入れ、大喜びするのだ。 

「父ちゃん」はこれを見ながら、 

あいつは何でも楽しめるからな 
よつばは無敵だ 

と言った。 

よつばが見る世界は、常に遊びに満ち溢れている。 


川端作品では、女性をときに花に例えており、 
『椿』では、椿の木の成長を文子に投影させて、 
少女が大人になり、美しく咲き開いていく様子を表した。 
『よつばと!』でも、よつばは名前の通り、 
幸福をもたらすクローバーを表している。 
「&の人達」は、よつばが楽しむ日常生活を見て、 
たくさんの幸福を手にしている事だろう。 

そしてそれは読者も同じ事だ。 
あずまきよひこの高い技術で描かれた日常風景の絵だけを見て、 
リアルだと思う人は居ても、楽しいと感じる人は居まい。 
よつばの快活な視点を通すからこそ、楽しくなるのであり、 
これを読んでいる間が、至福に感じるのだと思う。 
読者も「&の人達」の中の1人。それゆえに、 
作品の世界に没入するような感覚が味わえるのである。 


要するに、川端作品が示すテーマである美しさが、 
楽しさに置き換わったのが『よつばと!』という事だ。 
両者の描写技術だけを比較したら、殆ど遜色が無い。 
あずまきよひこは、それほど高い技術を駆使している。 

思えば川端も、少女をよく題材にしていた。 
描くテーマが違えど、描く対象が同じというのも、 
非常に興味深いものである。 

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