月下の棋士

↑『月下の棋士』の名シーン。


人間の脳には、複雑極まりない情報の中から最適解を選別する、
コンピュータがなかなか真似できない力が備わっている。

2005年9月18日、コンピュータ将棋ソフト・TACOSが、
非公式ながら、初めて公開の場でプロ棋士との平手の対局を行った。
相手は橋本崇載五段。ど金髪で派手好きな今時の兄ちゃんである。
この時、後手・橋本五段が最初に指した手は何と△1四歩、
『月下の棋士』の氷室将介が得意とした端歩戦法だった。

一手損と言われる端歩だが、2013年の3月23日に行われた、
5人のプロ棋士が1勝3敗1分で敗北を喫した最新の将棋ソフトとの対局でも、
初戦で唯一の勝ち星を奪った阿部光瑠四段が、
定石に無い手順を踏んだ角代わりの後、端歩を2回突いている。

端歩戦法は、大局観が無いとされるコンピュータの計算を、
局所的なせめぎ合いによって狂わせる、実に人間らしい発想だ。
橋本五段の狙いも、プログラムに入力されていない定石崩しにあった。
その作戦が功を奏したのか、終盤の逆転劇へと繋がる。
情報処理の上では互角の戦いを演じたコンピュータであったが、
人間は根本的な思考回路が異なるのである。


脳のメカニズムは、記憶については全貌が明らかになってきているが、
思考における研究は困難を極め、進んでこなかった。
そこで2007年、理化学研究所脳科学総合研究センターと富士通は、
日本将棋連盟とタッグを組み、プロ棋士の脳波を計測する事で、
思考のメカニズムを研究する共同プロジェクトを開始した。

人間の脳は、コンピュータの構造と非常によく似ている。
左右に配置されたデュアルコアCPU(右脳と左脳)を中心として、
後頭葉にGPU、側頭葉にハードディスク、前頭葉にメインメモリが搭載されており、
それぞれを連動させて、頭頂葉に繋がれた運動野から命令を出している。
では、天才を生み出す脳の違いはどこにあったか。

答えはこのいずれにも無い―
尾状核という、コンピュータには存在しない機関が、
人間の思考において大変に重要な役割を果たしている
事が分かった。

(参照:プロ棋士の直観は努力のたまもの 理研、米誌に発表


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尾状核は、小脳と連動して随意筋の運動制御を行う機関である。
人間が立って歩けるのは、赤子の頃に何度も転んで「痛い」目に遭った事を
小脳が危険回避の内部モデルとして記憶しているからで、
自転車の乗り方を一生忘れないのも、再び「痛い」経験をしない為だ。
無意識の中でこうした反射行動が取れるのは、
運動制御の命令が運動野に伝達され、体にフィードバックしているからである。

一見すると人間の思考とは何の関係も無いように思えるのだが、
プロ棋士はここをフル回転させていたのだという。


小脳は、神経細胞の集まる箇所から命令伝達を行い、
失敗の信号を出した神経細胞の伝達効率を長期抑圧し、
成功に導く信号だけが運動野に伝わるようにする事で、
半永続的なフィードバックを可能にしている。

だが最近の研究では、小脳の命令伝達は運動野だけでなく、
思考回路を司る前頭前野にも行われている
事が、
小脳のアクセスを調べていくうちに分かってきた。

(参照:京大、小脳核が小脳からの運動/認知信号を仕分けしていることを発見

実際に、プロサッカー選手は一般人より前頭前野が発達し、
瞬間的な情報処理能力が高い事が知られており、
かつての日本の司令塔・中田英寿も、IQ128の天才脳の持ち主で、
ピッチ上で味方選手にスルーパスを通すがごとく、
小脳が記憶するピッチのイメージを基に、前頭前野が状況を判断し、
運動野へと縦横無尽にパスを送っていたようだ。

(参照:一流のサッカー選手は知力も高い スウェーデン研究チーム

プロサッカー選手が、何千何万のパスの成功例から、
状況に応じた最適解を選んで行動に移す判断能力を有していたように、
プロ棋士の場合も、小脳と連動する尾状核を動かす事で、
小脳に蓄積された何千何万もの成功例=棋譜の記憶にアクセスし、
最適解となる一手を判断していたのではないだろうか。


どうやら人間とコンピュータとの違いは、自力学習の習熟にあるようだ。
小脳を鍛えれば、前頭前野の判断の精度も上がり、
運動野を通じて随意筋を効率よく動かせるようになる。

人間の脳は、最適解を得る為の脳内活動を反復し、
まるでRPGの戦闘のように、経験値を獲得してレベルアップするのである。


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エンコード

↑メディア媒体を介した情報は、エンコード(圧縮)されている。


ところが脳内の経験値は、テレビや映画、活字や漫画など、
メディア媒体で記号表現された情報から得るのは、極めて効率が悪い。
あらゆるメディアの情報は、情報を受信する側ではなく、
発信する側の方が最適解を探し、巧みな記号表現を駆使して、
1つの意味に限定するよう伝えているからだ。

人間の脳内では、生命に関わる情報をを扱う脳幹網様体が、
リアル世界(リッチコンテンツ)に転がっている膨大な情報をキャッチしている。
この時、網様体は拾い上げた大容量の情報を整理する事なく、
アナログデータのまま、大脳(CPU)に送っている。
大脳は整理前の重たい情報を0と1のデジタルデータに変換し、
前頭葉(メモリ)にある前頭前野に情報処理させている。

情報処理の訓練を積んだその道のプロであれば、
ハードディスクに記録した成功経験を参照にした高速処理が可能だが、
一般人の場合、それがインプットされていないので、
イチから最適解を導き出す思考を組み立てなければならない。
あまりに情報の容量が大きいと、大脳から次から次に送られてくる情報が、
前頭葉で渋滞を起こし、メモリの少ないパソコンのように、
思考のウインドウを立ち上げたまま、フリーズする場合がある。

その為、メディアは予めアナログ情報をエンコード(圧縮)し、
前頭葉にかかる負担を軽減している
のである。


メディア媒体の弊害は、試行錯誤を経ずに最適解に辿り付ける
情報の分かりやすさと引き換えに、エンコードによって
リアル世界から獲得出来る経験値を大きく損失してしまう点にある。
高校球児に炎天下での練習を経験させずに、熱中症対策の本を読ませても、
真夏の甲子園の舞台を乗り切る事など出来ないし、
車に乗る人がドライビングゲームでハンドルやブレーキ捌きを覚えても、
運転免許は容易に取得は出来ないだろう。

エンコードされた情報は、何の疑いもなく受容され続けてきた。
もちろん情報が小さく圧縮されている分だけ、脳内のメモリ節約になり、
より多くの情報をインプット出来る長所はあるが、
それではコンピュータの持つデジタルな脳とまるで同じで、
インプットされたデータしか、アウトプット出来ない事を意味している。
前頭前野における判断力の発達具合も後退しかねない。


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桂木桂馬

↑クソゲーにはクソゲーの味があります。


誠に残念だが、漫画やアニメもメディアコンテンツである以上は、
記号表現によってエンコードされた情報であると言える。
特に最近は、単一化された属性を組み合わせるだけで構成された、
マクドナルドのハンバーガーのようなキャラばかりが生み出されている。
そして制限された情報ばかりを受信し続けていると、
リアル世界で試行錯誤を重ねてきたリア充と比較して、
小脳を鍛える時間的機会を損失しかねない。

リア充をアナログ脳の持ち主だと定義すれば、
アナログ脳は人間の感情を読み取る時、随意筋である表情筋や声唇だけでなく、
不随意筋である眼輪筋の変化や、声帯靭帯の緊張を、
場の空気として一瞬で読み取り、コミュニケーションに活かす事が出来る。
リアル世界には、メディアコンテンツには決して再現出来ない、
複雑極まりない情報がそこら中に転がっている。

『神のみぞ知るセカイ』の桂木桂馬は、現実なんてクソゲーだと言い切った。
それは桂馬の知るリアル世界が、本当にクソだったからではなく、
桂馬自身がリアル世界の最適解を見つけられず、思い通りに攻略出来なかった、
プログラム偏重なデジタル脳の持ち主だったからである。
コンピュータのようなデジタル脳に陥らない為には、
メディアがエンコードした1つの情報を、10だと信じてしまわず、
ハードディスクに記録された経験と勘を頼りに、
情報を受信する側が、デコード(解読)を施さなければならないのだ。


脳科学者の養老孟司は、デジタル脳に陥りがちな現代人に対し、
田舎で暮らし、畑を耕しながら生活する事を提言している。
体を鍛える事で脳を自在に動かせるようになるという、
実に理に適った生活スタイルであるが、おおよそ実践する事は難しいだろう。

より現実的な選択肢が、他にもある。
メディアコンテンツの記号表現によってエンコードされる情報は、
必ずしも意味が1つに限定されている訳ではない。 
10はいかないにしろ、小脳の内部モデルを形成するには充分なくらい、
メモリに負担のかかる大容量の情報を投げかける発信者も居る。
そうした情報を自在に扱えるようになれば、ひょっとしたら、
将棋のプロのように一瞬で最適解を探す判断力が養われるのではないか。

次回は、複雑なエンコードが施された記号表現を解読する為の、
デコードのプログラムの重要性を、より詳細に見ていこう。
  


ご清覧ありがとうございました。