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特撮

【短評】『仮面ライダー鎧武』~選び取る運命の因果律

こんにちは、道場主です。

お久しぶりの更新では、『仮面ライダー鎧武』 の学術的考察をやります。
ただ、これまでのシリーズ作品との比較も行っていますので、
今回は厳しい意見となる事をご了承頂ければと思います。

楽しまれてる方も多いでしょうし、書こうかどうか迷ったんですが、
1つの意見として参考程度に留めて下さいまし。


それでは、どうぞ。 


―――


鎧武


さっそくですが、『鎧武』にもやはりストーリー背景が設定されていました。
自然科学における自由意志因果的決定論ってやつです。 

つい最近では『ドラゴンズドグマ』というゲームがこれを扱っていて、
こちらはニーチェの哲学を背景としておりましたが、
『鎧武』の方は数学者ピエール・ラプラスの言う運命論に近いと思われます。
どちらも神性が関わっている点に注目です。


決定論というのは、人間のなすべき事は予め運命によって決められている、
という、神託にありそうな予定調和的な考え方です。
『鎧武』では北欧神話の伝説をモチーフとした「ヘルヘイムの森」に侵略され、
死の運命を辿ろうとする文明社会に投影されています。

ノルン

北欧神話にも運命の女神(ノルン)というのが居ます。
『ああっ女神さまっ』でおなじみ、ウルズ・ヴェルザンディ・スクルドの3姉妹ですね。
ノルンはそれぞれ、過去・現在・未来を司っていて、
ウルズが運命の長さを計り、ヴェルザンディがそれを糸に紡ぎ、
最後にスクルドが糸を裁断し、人間の寿命が決まります。

『鎧武』でも、3人ではありませんが、「運命」を口にする女神が登場しています。
運命の女神が紡いだ糸は、ヴァルハラの巫女が予言した
世界の終末(ラグナロク)にも繋がっていますから、
作中の舞台となる沢芽市も、終末に向かって突き進む運命が決められ、
アースガルズと同様に全てが崩壊する、と考えられます。


しかし、運命の決定は既に誤りである事が証明されています。
それが、1927年に物理学者のハイゼンベルクが提唱した不確定性原理です。

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物理学の世界では、ニュートンの運動方程式によって
粒子の動きは先まで予測が可能であるとされていましたが、
ハイゼンベルクは量子力学からのアプローチから、
運動量と位置にズレが生じて予測が不可能である事を突き止め、
その結果、ラプラスの運命論は否定されました。

哲学の世界では早くから人間の自由意志が唱えられ、
神によって定められた運命から脱却し、その後の人生を
自らの強い意思で選び取る
事を命題としてきました。
ハイゼンベルクの理論はそういった生き方を保障してくれたのだと言えます。

アーマードライダーになるベルトを手にした若者達は、
世界の行く末を知る女神から、運命の分岐点にあると忠告されます。
考え方は違えど、それぞれが強い意志を持って自分の人生を選び取る姿は、
終末に向かう沢芽市の運命も変えてくれそうな気がしますね。


―――


しかしながら、道場主の主観をお話ししますと、
これだけ背景が練られていても、今作は「面白くない」と感じています。
理由は、私が重視するのが表現力であるからです。

表現力とは、1つの描写だけで10の全てを伝える、
もしくは10の描写で1つの真意を伝える力である
と定義しています。
過去のシリーズの『フォーゼ』で言えば、希薄化する現代の人間関係を、
古典的な熱苦しさによって修復する背景があったのですが、
それを台詞によって説明するのではなく、ブレザーを着る生徒の中に
ツッパリの学ランを混ぜるだけで表現しています。

主人公に吐かせる言葉は「友情」、たったこれだけです。


『鎧武』の場合、第20話で世界の秘密が語られるのですが、
それがユグドラシル側のキーマンから長々と説明される手法が取られ、
人物描写にはあまり時間が割かれていませんでした。
ミッチーと紘汰の驚きにも共感できないほどです。
呉島主任は世界の秘密はユグドラシル社が担うべきだと主張していましたが、
日本の国家予算がいくらあるか知ってますかって話ですし。

ダンスに興じる若者達も、本気でダンスに打ち込みたいのか伝わってきません。
作品テーマが自由意志の決定にありますから、
「俺達の居場所は俺達で守る」といった趣旨の台詞ではなく、
ダンス描写に自らの存在意義を決定する強い情熱が感じられなければ、
それらが空々しいものになり、説得力に欠ける
訳です。


善吉

『めだかボックス』という漫画で、主人公の周囲の人物に太鼓持ちをさせて
主人公の凄さを説明するという手法が取られましたが、
『鎧武』に対しても、この漫画と同じ感想を持っています。


長年続いた平成ライダーシリーズにおいて、
人物描写やストーリー設定を説明以外の方法で表現した作品は、
いずれも素晴らしいものであると思いました。

今作も過去作品に負けないくらい、実によく練られた設定であると思います。
ゆえに、20話もかけて引っ張ってきた設定を、
たった30分の説明で終えてしまった事が残念でした。
 


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『仮面ライダー555』考察~心の影(シャドウ)とライダーという仮面性(ペルソナ)

平成仮面ライダーシリーズ考察の第2回目は、
『仮面ライダー555』(2003年1月26日~2004年1月18日放送)です。
555ロゴ
【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 龍騎 フォーゼ 
ウィザード


『クウガ』と『アギト』で新たな視聴者層を獲得した同シリーズは、
龍騎』から実験として学術的な理論を背景にする事が試みられたようで、
ストーリーの謎が深まり、さらなる進化を遂げました。
ですが、背景が難解すぎた事、主人公が空気だった事が、
全てを白紙化したラストシーンにつながり、賛否を呼びました。

『555』では、前作で得られた成功と反省点を土台としたと見られ、
天才哲学者のカール・G・ユングによって一般化されたペルソナ理論を、 
夢を持たない主人公の行路として設定した事で、
ストーリー背景を文字通り主人公のバックボーンとして機能させ、
揺れ動く心理状態を経て、「夢」というテーマに繋げています。


―――


本作は、道場主が初めて平成ライダーの奥深さを知った作品なんですよね。
きっかけは第4話「おれの名前」で、とあるシーンが引っかかった事でした。
世界中の人の心を真っ白にしたい夢を持つ菊池啓太郎がファイズに変身出来ず、
啓太郎からベルトを取り上げたサボテンの怪人が変身しちゃった。

第1話「旅の始まり」でも、美容師の夢を持っている園田真理が変身出来ず、
何の夢もない主人公の乾巧が変身するという疑問が提示されており、
この対比はいったい何を表しているのかと考えたのですが、
たまたま偶然、私はこの答えを開く鍵を、既に持っていたのです。

私は放送前年の2002年、紫綬褒章を授章された坂部恵氏の影響で、
アトラスの名作RPG『女神異聞録ペルソナ』を、この時まさにプレイ中でした。
このゲームは言うまでもなく、ユングのペルソナ理論を基にしてます。
おかげで、難解な学論が物語解釈に適用可能な事をあらかじめ知りえていた為、
『555』との間に、"夢"と"仮面"という2つの共通点を見つける事が出来ました。

ライダー=仮面(ペルソナと定義した場合、啓太郎や真理は、
夢という仮面を最初から付けているから、仮面ライダーに変身出来ないのでは?
という推測が、巧との対比によって生まれます。
名作ゲームから着想を得た事で、私はこれ以降、平成仮面ライダーシリーズを
1つの文学として捉え、文学的な解釈を持ち込む事にしました。


『女神転生』というゲームについて補足解説しておくと、
同シリーズは伝統的に哲学の考え方が世界観に組み込まれているようで、
例えば、これまた名作と名高い『真・女神転生3』では、
デカルトの渦動説を基にしたと思われるボルテクス界が登場します。
ゲーム内容もいかにも「我思う、ゆえに我あり」っぽいですね。

ペルソナシリーズはより分かりやすく、夢や願望という仮面を
もう1人の人格(パーソナリティ)に見立て、
主人公とその仲間の成長を見事に描ききっています。

そんなゲームにどハマりしてる中で始まった『555』の放送でしたが、
第13話「敵か味方か」にて、2号ライダーである草加雅人が登場した事で、
ただの符号の一致に過ぎなかった推測が、いよいよ確信へと変わっていきました。


―――


『555』では、人間の深層意識の表層化という形で、
オルフェノク=影人間(シャドウに見立てていると思われます。
この時、もともと表層意識にあった人間の姿の方が影になっちゃってます。


ホースオルフェノク

↑表層化したホースオルフェノクと、深層化した木場勇治。


ユング心理学においては、人間の無意識の中にある「こうありたい」という願望が、
理想の自分を演じる為の仮面(ペルソナ)となるとされています。
真理と啓太郎は、理想の自分を持っています。

逆に、「こうありたくない」と拒絶した自分は、影(シャドウ)となって
無意識の中に残り、他者への嫌悪感として投影されるそうです。
木場勇治や長田結花が他人に向ける憎悪がこれに当たるんでしょうね。

つまりオルフェノク化とは、深層意識の中に閉じ込めている
拒絶すべき自分の弱い心が剥き出しになってる状態を表している
と見られ、
普通の人が演じるかっこいい自分=ペルソナを取り外しているから、
ライダーという仮面を付ける事が出来るのだと推察されます。

オルフェノクは動物の力を備え、人間より五感に優れるという設定になってます。
これが上手い伏線にもなっていて、木場がやたら目が良くなったように、
巧の猫舌は、オルフェノクである事の暗示になってるんですよね。
井上敏樹脚本はこういう伏線の張り方が実に面白いです。
ただ『カブト』の料理設定は…うん、まぁ、別の機会に回しましょう。


では、人間なのに仮面ライダーに変身出来る草加雅人はどう解釈すべきか?


草加雅人

↑これも乾巧って奴の仕業なんだ…悪い顔してます。


草加の場合、優等生の仮面を付けて本当の自分を隠しています。
しかし、自分のドス黒い感情も抑圧しきれずにいる。
オルフェノクと同様に、やっぱりシャドウが表層化している状態です。
即ち、優等生とライダーという2つの仮面の付け換えが出来る、
自分を演じ分けられる賢い人間である、と解釈出来ます。

こやつ…なかなか出来おる!


草加は真理の事を、「母親になってくれるかも知れない存在」だと言ってます。
この心理状態をユングの深層心理学の観点から分析すると、
草加の心の中では無意識のうちに理想の女性像(アニマ)が働いていて、
これが理想の母親像(グランドマザー)と一致している。

草加の深層意識に棲んでいるのは、善悪のせめぎ合いです。
心理学用語の「社会的ジレンマ」に陥ってると言えます。
他人に良く思われたい感情と、他人を支配したい負の感情が渦巻いていて、
それは過去に受けていたいじめ体験に結びついています。
いじめから庇ってくれた真理は、シャドウから逃れる為の救いの手であり、
実は草加は、自分の弱い心を追い出したかったんじゃないかと思います。


ちょうどこれ、ジブリ映画の『ゲド戦記』とよく似ていて、
こちらは主人公・アレンが理想の父親像(オールドワイズマン)である父親を殺し、
もう1人の自分であるシャドウを生んでしまった、というお話でしたね。
この映画を作った宮崎吾朗監督が、父親である宮崎駿氏に抱いていた
エディプス・コンプレックスを克服するお話でもあります。


―――


ペルソナ理論を背景に据えた時、『555』の謎もすんなり飲み込めます。
まず、オルフェノクの王とは何ぞや?という疑問。

オルフェノクの王は、滅び行く運命にあるオルフェノクに永遠の命を授け、
完璧な生命体へと進化させる力を持つとされていますね。
果たしてこれはどういう事か、再びユング心理学を当てはめてみると、
オルフェノク=シャドウであるとした場合、心の影が永遠になるというのは、
自分を包み隠さず、本能のあるがまま利己的に生きられる事を意味しています。
個人として非常に合理性のある、理想の生き方に違いありません。

敵の幹部であるラッキークローバーの1人・影山冴子は、
覚醒したオルフェノクの王の前に、永遠の命を乞い出ます。
ここで注目すべきは、ロブスターオルフェノクの肉体が王が放つ光に包まれた後、
人間として残されていた影山さんの影の部分が消失している
事です。


ロブスターオルフェノク

↑影山さん(人間の部分)の影が消えていく。


オルフェノクの王は、人間の心の影に対する光であり、
「こうありたくない」と抑圧している弱い部分を消し去ってくれていると考えられます。
つまり残されるのは「こうありたい」と願う理想の自分のみで、
確かに何ひとつ悩まなくていい、個人として完璧な生命体になっているのです。


そしてもう1つ、「夢」の終着点について。
オルフェノクの王の圧倒的な力に対し、巧たち人間の選んだ道は、
心の弱さを抱えたまま、人間らしく生きる事でした。

「弱さに負けない夢を持ってほしい」
「卵を抱くようにして暖めれば必ず夢は叶うのさ」

という、モノローグ的な台詞が意味するのは、
社会という集合体の中で自分の個性を見出せずに苦しみながらも、
しっかりと弱さと向き合い、打ち勝つ強さを得ようというメッセージにも聞こえます。
 

ところで、永遠の命を得た影山さんはどうしたかというと、
人間に倒された王の亡骸を何かの培養液みたいなのに漬けて、
 
「あなたは死なない、きっと蘇る、きっと」

なんと、完璧な生命体になったはずのオルフェノクが、
まるで人間のような「夢」を持ったんですよね!


ラストシーンは、ずっと夢を持てなかった巧が、

「俺にも、ようやく夢が出来た」
「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、皆が幸せになれますように、ってな」

 
と、〆てエンド。


この最終回が表す意味はとても平易で、すんなりと腑に落ちます。
しかし裏では、草加の苦悩の原因だった社会的ジレンマの克服、すなわち、
個人の合理性と社会の合理性の合一が果たされた事が、
オルフェノクだった海堂直也、琢磨逸郎らの行動で暗示されており、
こうした不言のロジックが背景でずーっと積み上げられてきたからこそ、
たった1つのメッセージだけで伝わるようになってるんですな。

ううむ…非の打ち所の無いストーリー構成です。


―――


物理学をベースにしたと思われる前作、『龍騎』と比較すると、
心理学がベースになっている『555』のストーリーは、
心理描写と非常によくマッチしていて、大変に分かりやすかっただろうと思います。
どちらが優れているのかを決めるものではありませんが、
『555』の場合、既に哲学の域にまで落とし込まれている理論を採用した事が、
傑作と言われる大きな要因となっている
と道場主は結論付けます。

たまたまこじつけが当てはまっている、とも取れますが、
こういった解釈が12年も継続して可能である事を考えれば、
偶然ではなく、狙って作られていると思ってます。

おそらく、脚本家の方が自力で捻りだしているのではなく、
配給会社の東映か、制作に携わるテレビ朝日のどちらかが、
企画会議で毎年フォーマットをこしらえて、脚本を依頼してるのでしょう。
藤林聖子さんの歌詞がお話と妙に符号するのも、たぶんこれが理由。


さて、次回は『仮面ライダー剣』の短評になります。
『555』で成功を収めた平成シリーズが、なぜスベってしまったのか、
これまた学術的解釈で解説していきましょう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『仮面ライダー龍騎』考察~神崎士郎が考えた量子力学的エネルギー生成法

当道場では、平成仮面ライダーシリーズの学術的考察を行ってきて、
それが大きな反響を頂いてきました。本当に有り難い限りです。


【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 555 フォーゼ ウィザード



サブカルチャーの分野では、『エヴァンゲリオン』以降かどうかは知りませんが、
90年代後半ぐらいから、漫画・アニメ・ゲームを中心に、
難解な理論をテーマとして作中に落とし込む作品が目立つようになり、
2000年代には、難解なまま放り出さずエンターテイメントとして昇華させた
文学作品にも比肩する極めて質の高い作品も現れ始めます。

普段から何気なく観ていた日曜朝の子供番組もその1つで、
特に平成ライダーにおいては、哲学・科学・物理学による解釈がぴたりと当てはまり、
頭をぐるぐるさせるのが大好きな道場主の脳汁はノンストップ状態。
今ではこうして考察に勤しむ事が、毎年恒例の行事になっているのです。
そんな妄言じみた誰得情報を、皆様に共有して頂けた事は、
何物にも換えがたい幸運であると勝手に思っております。


そこで当道場では、今回から不定期の連載として、
リクエストのあった平成ライダーのプレイバック短評をやろうと思います。
これまでアクセスして下さった皆様に、恩返しのつもりで書いていきますので、
生暖かく見守って頂けますよう、お願い申し上げます。


―――


龍騎ロゴ

↑戦わなければ、生き残れない!


平成仮面ライダーシリーズ考察の第1回目は、
仮面ライダー龍騎』(2002年2月3日~2003年1月19日放送)です。

なんで最初が『クウガ』じゃないの?って思われるでしょうが、
平成シリーズ中でも初期2作品に関しては、学術的考察が当てはまりません。
当時は昭和シリーズへのオマージュが強く、ホラー色が強かったり、
蜘蛛の敵に特別な意味があったり、ホンゴウやタチバナなる人物が出てきたり、
原作者・石ノ森先生へのリスペクトが見て取れましたが、
それゆえに手堅く、極端な独自性を出す事は避けられてたのではないかと。

『龍騎』に対しても、『クウガ』や『アギト』と同じように、
ドラマ性を楽しむものとして軽~い気持ちで観てたのですが、
にしてもどこか腑に落ちない、これまで無かった妙な違和感がある。

違和感の正体には、すぐには気が付きませんでした。
私はまだ学生の時分であり、元から頭の回転が速くもなかったので、
結局1年間通して観ても、最後までずっと首を捻り続けてました。


ところが次作『555』にて、すぐにこの違和感は解消されました。
詳細については次回のライダー考察で触れるとして、
『555』に隠された学術的背景を偶然にも見つけ出した事で、
前作にも何らかの背景があったのではないかと疑問を持ったのです。

そして、それは当たりでした。


―――


『龍騎』のストーリーは、1965年にノーベル物理学賞を受賞した
ジュリアン・シュウィンガーの理論であるCPT定理と、
1980年の受賞者、ジェームズ・クローニンとヴァル・フィッチの2人が発見した、
CP対称性の非保存をベースにしていると思われます。

物理界に存在する原子および分子の左右の対称性が、
自然界ではどちらか一方しか残されてこなかったというものです。

…何のこっちゃよく分からないので、下図で説明しましょう。


炭素分子

↑左右が存在する分子・炭素の例。

引用:「雑科学ノート」様 - 鏡の世界の話 -
http://hr-inoue.net/zscience/topics/mirror/mirror.html


アミノ酸ダイエットが流行った時、「L-カルニチン」など、
成分の名前にアルファベットが付いてたのを覚えてる方もいらっしゃるでしょう。
物質を構成する分子には左右が存在するもの(鏡像異性体)があり、
このL=levoが、"左型"を意味する表記なのだそうです。
という事は、鏡合わせの分子である「D-カルニチン」というものもあって、
こちらはD=dextroが、"右型"を意味する表記なのだとか。

不思議な事に、地球上の生命体は左右どちらか片方の酵素しか持っておらず、
アミノ酸だと左型、糖質だと右型しか酵素反応が起きないそうです。
進化の過程でどちらか片方が選び取られたと見るべきなのか、
例えば右型カルニチンをいくら摂取しても、ダイエットにはならないんだって。


もちろんこれはアミノ酸や生物学に限った話ではありません。
物理学において、陽子⇔反陽子、電子⇔陽電子、中性子⇔反中性子と、
物質を組成する粒子には、それぞれ対称となる反物質の粒子があるのですが、
自然界ではこれらが消え去り、存在していないのです。

これについては、1957年には理由が判明しています。
物理の法則においては、「○○保存量の法則」というのがあり、
空間(パリティ)を左右に反転させても、電荷(チャージ)を+から-に裏返しても、
時間(タイム)を逆に巻き戻しても、こうした保存則が不変である事は、
数学的にも裏付け提示され、長く信じられてきました。
しかし、パリティとチャージを同時に反転(CP変換)させると、
保存則が破られ、質量などが変わってしまうケースが見つかった
のです。


引用:コラムページ様 ~対称性と非対称性
http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/personal/hiroyuki/html/music/musicology3.html


対称性が崩れるという事は、鏡世界は物理法則に従っていない、
物質の組成バランスが不安定になっているという事で、
実際に反物質の粒子は、物質の粒子と比較して寿命が短いのだそうです。
物質と反物質がぶつかれば対消滅する(プラマイゼロになる)のですが、
エネルギー加速実験の結果、寿命の長い物質の方が余る事も確認されています。
つまり、物質と反物質は非対称であるという事になります。

もともと宇宙には物質と反物質の両方が存在していたと考えられていて、
対消滅が宇宙の歴史の中で気の遠くなる回数が繰り返された結果、
物質だけが残され、生命体が左右の偏りを持って生まれた
というのが、現在の物理学において有力な説となっているそうです。

合ってるよね?わたしゃ哲学的に解釈したいだけだから、
『龍騎』が理解できればそれでいいの。


―――


さて、対称性の保存則が破られる事が、『龍騎』のストーリーと
どのように関わりがあるのか、ここから見ていきましょう。

一言で表すなら、

ライダーに変身 → CP変換

に見立てて、場の量子論を利用したエネルギー生成によって、
消えゆく運命である神崎優衣に新しい命を与えようとした
、というのが、
道場主が考察するストーリーの謎を明かす鍵です。


『龍騎』における鏡像異性体の存在を見てみると、
城戸真司に対するリュウガ真司、神崎優衣に対するょぅι゛ょ優衣と、
ミラーワールドの中に存在するもう1人の自分に当てはまるのが分かります。


【左型】     【右型(鏡像異性体)】

城戸真司    リュウガ真司
神崎優衣    ょぅι゛ょ優衣
(存在せず)   神崎士郎
秋山蓮      (存在せず)


真面目に考えるとアホみたいに難しい数式を持ち出さなければならないので、
ごくごく簡単に説明すると、パリティ変換したミラーワールドでは、
チャージ変換も行われ、現実世界とは逆に、物質粒子が存在しないと考えられます。
これらは全て反物質粒子に入れ替わっていて、+は-に、-は+になってます。

現実世界の住人が、ミラーワールドに行くとどうなるか?
時間経過によって体がシュワシュワしてますよね?
これは生命体の持つ物質粒子(+)が、鏡の中の反物質粒子(-)とぶつかり、
対消滅(プラマイゼロ)を起こしていると解釈する事が出来ます。

ミラーワールドに巣食うモンスターも反物質で組成されていると想定される為、
モンスターを倒したり、これらを使役してバトルを始めれば、
相手を倒す時に放出した質量と、相手の肉体が持っていた質量が、
より高いエネルギーへと変換される
為、結果として上記現象が加速され、
新たな粒子と反粒子が対生成される事が予測されます。
対消滅・対生成を繰り返せば、いつしか物質粒子だけが残されるはずです。

城戸真司とリュウガ真司がライダーキックでぶつかり合ってるのは、
対消滅のモデルとして非常に分かりやすい描写になってますね。


ライダーキック

↑ライダー対消滅キック。


さて今度は、神崎兄妹の立場から考察してみましょう。
現実世界で1度死亡している妹・神崎優衣は、
CP変換によって生き永らえた鏡像異性体であり、
その肉体は反粒子によって組成されているものと考えられます。
しかし、反粒子の寿命は現実世界では長く続きません。

そこで考えられたのが、量子力学的なエネルギー生成法です。
対消滅・対生成によって残された寿命の長い物質粒子を、
優衣の新しい命として与えちゃおうという寸法!
ミラーワールドはさながら、衝突型のエネルギー加速器であり、
考案者の神崎士郎は、ライダーバトルを加速させて、
1つの生命体となりえる膨大なエネルギーを取り出そうとしたんですな。
まさに天才です。重度のシスコンですが。


神崎士郎

↑神崎士郎。 妹萌え・中二病をこじらせると天才を生む。


士郎の代理として戦うラスボス・仮面ライダーオーディンは、
タイムベントカードを所持しており、CPT全てを変換出来る唯一の存在です。
フォーゼの総評で、未知なる反重力の話をしましたが、
理論上では時間に関わる粒子にも、反粒子が存在するはずなのです。
CP変換だけでは崩れてしまう物理法則ですが、
残る1つの時間対称性(T変換)までカバーされた場合においては、
物理法則が保存される
事が理論的に証明されています()。

士郎が実践したエネルギー生成法は、このCPT定理に支えられています。
不完全な変換でその場凌ぎに補われた優衣の命を、
今度は周到に勘考した理論をもって、完全に救おうと考えたのです。

士郎からしたら、ライダーバトルを止めさせようとする真司らの動きは、
物理法則に反した想定外の現象であり、MajiでKireる5秒前だったはずです。
「ちょっ待てお前ふざけんな」と、浅倉さんを場に投入した気持ちが、
ちょっとだけ分かるような気がしないでもありませんね。


※ 『龍騎』放送終了後の現在では、CPT対称性の破れも示唆されています。
  物理学者って、どんだけ頭良いんだよ。



―――


実は、『龍騎』が放送された前年の2001年に、野依良治教授が
対称性に関わる研究開発でノーベル化学賞を受賞しており、
『龍騎』のストーリーはこれをヒントに生まれたのではないかと思われます。


引用:やわらかサイエンス様 ~キラリと光るキラリティー
http://www.geolab.jp/ms-science/science30.html


素粒子論というのは、理数系大学レベルの極めて難しい学問で、
道場主もおそらく10分の1も理解してません。
ですが、『龍騎』のスタッフは『エヴァ』のように専門用語を散りばめる事をせず、
平易な表現に落とし込んで、視聴者に理解させる事を試みています。

当時としてはこれは相当な冒険であったでしょうが、勝算はあったと思います。
前作『アギト』が高視聴率を獲得し、ゴールデンタイムにも進出するほど、
大人の視聴者層からの支持を集めていたからですね。
『エヴァ』の先例もあり、難しい事をやってもイケると踏んだのでしょう。
後に『電王』で大成功を収める、小林靖子脚本の妙技です。


しかしこれには、2つの難点がありました(道場主の見立てではね)。
まず1つは、一般化されていない理論を採用した事
CPT定理は鏡を使って出来るだけ分かりやすく説明されているものの、
なぜ鏡世界で時間が巻き戻るのかを一般化するには、別の理論が必要であり、
そしてそれは作中で1度も示唆されてはいません。
ゆえに、最終回でまさかの全てチャラにする超展開について行けず、
「???」となってしまった方も多かったと思います。

もう1つは、主人公をアンチテーゼとした事。 
「戦わなければ生き残れない」としたライダーバトル全50話のうち、
龍騎に変身する城戸真司は第49話まで戦う目的を見出せず、
ヒロインを支持する形でナイトに全てを託し、死亡してしまいます。
その為、戦う意図が明確な秋山蓮の方が真司のキャラより目立ってしまい、
主人公としての存在意義が薄弱化してしまいました。


ここらへんの反省は、次作に活かされています。
プレイバック短評の第2回では、小林靖子にゃんの師匠である、
井上敏樹脚本の傑作、『555』の学術的背景について見ていきましょう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【考察】『ディケイド』以降の平成仮面ライダーシリーズ学術的背景まとめ


仮面ライダー


当道場では平成仮面ライダーシリーズの短評が好評を頂いてまして、
これまで記事として公開してきたいくつかの作品以外でも、
隠されたテーマについてご質問を頂くケースが多くなってきました。

そこで今回は、『ディケイド』以降のシリーズ作品においての、
裏付けとなったと思われる学術的背景をまとめてみたいと思います。
いつもと違って、ショートバージョンの見やすさ重視です。

それでは、どうぞ。


―――


【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
  総論 龍騎 555 フォーゼ ウィザード



1.仮面ライダーディケイド ~パラドックス理論

 数学の演繹法・帰納法。平行世界(パラドックス)とかけてある。
 ディケイドこそがこの世界の「真のパラドックス」であり、
 これまでのライダーは全て「擬似パラドックス」であるとしたもの。


2.仮面ライダーW(ダブル) ~収穫加速の法則

 テクノロジー進化のプロセスが指数関数的に成長してきた事を表す経験則。
 翔太郎を「クロック」、フィリップ(来人)を「メモリ」に見立て、
 お互いが最適化を図る事で最高のパフォーマンスを生むと表現。


3.仮面ライダーオーズ/OOO ~精神現象学

 自己意識の源にある「欲望」を、精神の発展に向けた哲学。
 鴻上会長の目指す人類の進歩は、本能的欲望の拡大による誤ったもの。
 欲望を自己進歩の原動力とした理想世界の実現をテーマにした。


4.仮面ライダーフォーゼ ~プラズマ宇宙論

 物質を構成する原子の安定した姿から、外的宇宙の定常化を説明した宇宙論。
 「磁場」をアメリカンヒエラルキー、「重力」を友情に当てはめ、
 前時代的な弦太朗に、希薄化する現代の人間関係を修復させている。


5.仮面ライダーウィザード ~バイオタイド理論

 月の重力が人間の肉体と精神に及ぼす影響をまとめた社会統計学。
 月の見えない力を「魔力」とし、月と太陽を「月日」にかけて、
 晴人が絶望した人々の記憶を太陽のように照らし出すストーリーに仕立てた。


―――


以降の作品は随時追加していきます。
『龍騎』から『キバ』までの作品は、要望があれば改めて解説します。


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『仮面ライダーウィザード』~太陽暦と太陰暦が重なる意味


金環日食

↑2012年5月21日の日食は、希望の光輪を残していた。


【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 龍騎 555 フォーゼ



 まるで月と太陽 重なる時の衝撃―

『仮面ライダーウィザード』主題歌、『LIFE is Show Time』の出だしの一節です。

作詞の藤林聖子さんは、平成仮面ライダーシリーズの主題歌を作る際、
作中の謎を解読するヒントとなるフレーズを必ず歌詞に乗せています。


例えば『仮面ライダーアギト』ですね。

 Ready to Go、Count ZERO 仮面ライダーAGITO
 君のままで 変わればいい―


かつての光と闇の戦いの後、光は自分の力を人間に分け与え、
人間を「アギト」の素質を持つ超能力者にしたのですが、
闇の創造者の「ヒトはヒトのままでいればいい…」という啓示に対する返答が、
「君のままで変わればいい」という、アギトの存在を肯定するフレーズです。


『ウィザード』もやはり主題歌の歌詞がヒントになっているようで、冒頭の一節を含め、

 ・ きっと必要不可欠のエナジー 心のため
 ・ 夢と理想 いい意味で裏切ってくれるもの
 ・ 記憶のルーツ潜り込んで 希望救い出せ
 ・ 昨日今日明日未来 全ての涙を 宝石に変えてやるぜ


どうやらこれらの意味が、第5話までの中でほぼ出尽くしたようです。


先日の考察にて、『仮面ライダーウィザード』のストーリーの背景には、
太陽暦と太陰暦など、占星術を基にした暦法が隠されている事を述べましたが、
ここでは結局、月火水木金土日の七曜から「月日」を抜いた陰陽五行の中で、
"金曜"だけが足りない事だけしか指摘出来ませんでした。

今回はこの考察を土台に、「月日」の運行と魔法の力の関係を、
2つの暦法の観点から、より詳しく解説していきます。


―――


ご存知の通り、現在の日本で使用されている暦法は「太陽暦」です。
太陽暦は、太陽が地球を1周する周期である太陽年(365.242)をベースに、
昼夜の周期を1日、365日で1年という区切りを付ける暦法です。

しかし、なぜ「○日」ではなく、「○月○日」という呼び方をするかと言うと、
以前に使用していた暦法である「太陰暦」の名残があるからです。
太陰暦は、月の満ち欠けの周期である平均的な朔望月(29.53)をベースに、
1ヶ月をおよそ30日間で区切った暦法です。

太陽暦では、元旦から何日経過したかで別の年との比較が出来ますし、
太陽の昇降によって1日の時間を知る事が出来ます。
対する太陰暦では、1ヶ月単位で見たその日の月齢が分かりますし、
天体計算や潮見表では、月の位置関係(位相)を見た予測が今も使われています。
ところが、朔望月は12倍しても354日にしかならないという欠点があるので、
現在では元旦から起算してきっちり365日になる太陽暦の方を採用しています。

科学の発達によって照明が発明され、24時間ずっと照らされ続ける事で、
街から夜が無くなり、私達は月相を見る事がなくなりました。
昔は新月の日に討ち入りとか当たり前だったんですけどね…本能寺もそうだし。
本来だと、太陽暦を採用するなら「○月」という呼び方はもう必要ないのですが、
グレゴリオ暦を作ったカトリック教会が復活祭の起算に朔望月を用いている事から、
今でも太陰暦のように「○月○日」と呼び続けているという事だそうです。


また、太陽暦は季節に関わる日数を、太陰暦より正確に教えてくれますが、
太陰暦は人間の内側の時間を正確に教えてくれてもいるんですな。
太陽と月が地球にかかる重力バランスの比率は2:8であり、
月の重力の方が人間の電位的バイオリズムに影響を与えています。
人間の体内成分の70%を占める水分が、月に引っ張られている為だと考えられており、
これを科学の世界では、月の「バイオタイド理論」と言います。
細かい説明は原子と重力の関係を記したフォーゼの総評を参照して頂くとして、
超メジャーな所で月経周期や妊娠周期が朔望月と相関があるなどですね。
満月や新月の日に事件や事故が多発する事は、天下の警察庁も公表してるほど。

人間が持つ時間は、頭上を行き交う太陽という短期的周期と、
体内の電位的バイオリズムという長期的周期の2つによって運行されているのです。
つまり、私達は「月」と「日」の2つの暦を内面に持っているという事です。


―――


「月」と「日」が、作中でどのように活かされているか確認してみましょう。

最も象徴的なのが、金環日食ですね。
日食の予測は、太陽と月の位相から行われています。

『ウィザード』では、太陽="希望"、月="絶望"をモチーフにしているようで、
太陽が月に覆い隠された日に、ワイズマンによって日食の儀式(サバト)が催され、
"希望"の光を閉ざされた人々をファントムに変えてしまったとの事。

ところがこの時の儀式は完璧でなく、月の淵から太陽の光輪が漏れていました。
2012年5月21日の金環日食です。作中に何度もカットが挿入されてます。
「俺が最後の"希望"だ」と、操真晴人が"絶望"した人々に決め台詞を送るのは、
あの日食の日に生まれた光輪を、儀式で生き残った自分と重ねているからでしょう。
「晴人」とはよく言ったもので、まさに太陽のような存在なのです。


それからもう1つが、人間が歩んできた「月日」、思い出です。

月=太陰暦が人間の内面性に影響を与えているというのは、
社会統計学上、そのような傾向が存在するというだけで、
科学的根拠が何ら見つかっていない、疑似科学と呼ばれるオカルトです。
科学の世界では「オッカムの剃刀」という言葉が14世紀には既に存在し、
「同様のデータを説明する仮説が二つある場合、より単純な方の仮説を選択せよ」
という決まり事を作って、余計な思考を剃刀で削ぎ落としてきました。
暦法を生み出した占星術でも、オカルト的な要素は排除され、
天体の運行を正確に計算する技術だけが現代に残されてきました。

科学とは、オッカムの剃刀によって残された太陽暦と同義で、
科学的検証のふるいにかけられる事で、唯一の信用を得てきたのであり、
魔法とは、科学を残す代わりに削ぎ落とされてきた太陰暦と同義で、
信憑性を欠くと判断され、オカルト要素ごと切り捨てられてきたのです。


ところが、人間の心はそう簡単に削ぎ落とせるものではありません。
大門凛子刑事の写真入りネックレスや、魔法使いに憧れる奈良瞬平の絵本など、
刻々と時間が経過していく中で、現世を生きていくのに必要ないと思えるような、
過去の遺物を拠り所とし、ずっと引き摺っている人も居ます。
現世とアンダーワールドの2つの暦が平行している状態ですね。

端的に言うなら、凛子や瞬平は体内の時間が過去で止まってる人です。
作中ではこれを「ゲート」と呼び、ファントムの素養を持つ者として描かれています。


―――


では、なぜ過去にこだわってる人が、ゲートとなりえるのでしょうか。
それはやはり、「月」と「日」に関わりがあると思われます。

いくら心が過去に向いていても、時間は容赦なく未来に向かって進んでいる訳です。
つまり人間が持つ2つの平行する暦のうち、メンタルを司る太陰暦の方が停止し、
肉体を老化に導く太陽暦の方だけが経過している事になります。
心をアンダーワールドの中に閉じ込めて、現世とのギャップを感じてる。
瞬平なんてまさに、子供がそのまま大人に成長したかのようなキャラですよね。

ファントムの狙いは、科学の否定、そして魔法の復活にあると思われます。
魔法が表す意味は、科学によって否定されたメンタルパワーを指しているのでしょう。
ワイズマンが儀式を催す期日として日食の日を選んだのは、
科学の象徴である太陽が、オカルトの象徴である月に覆い隠され、
人々の心の間隙を突くチャンスが生まれる為であろうと推測が出来ますね。

ファントムは、2つの暦が両方とも止まり完全な死を迎えた「亡霊」の事で、
ゲートは、メンタルが不安定な、心の中の太陽に支えられて生きている人です。
ファントムはゲートが持つ残された太陽を月で覆い隠し、
"希望"の光を摘み取って、現世を生きる亡霊と変えてしまいます。

『ウィザード』のテーマは、日食の儀式によって心を打ち砕かれながら、
わずかに漏れでた"希望"の光輪を信じて立ち上がった晴人が、
"絶望"に追いやられ、前に進まなくなってしまった人々の太陽となり、
心の中の月を照らして、止まってしまった「月日」を動かすという事なのでしょう。


ゲートとは反対に、肉体の時間が止まったのが、コヨミちゃんです。
コヨミちゃんは晴人と同じように日食の儀式に巻き込まれ、
記憶を失くしてしまった少女、という設定のようです。
コヨミちゃんの中の時間は、太陰暦=魔法の力で動いてます。
ただし、魔法の力は科学万能の時代において既に削ぎ落とされたもの。
なので魔法が使える晴人が、コヨミちゃんの魔力を補充してやる必要があります。

…でもさ。

乙女の手をいきなり取って下腹部をシャバドゥビタッチさせるのは、
日曜の朝の絵面的にどうかと思うんだ…。


シャバドゥビタッチ

シャバドゥビタッチ

↑「俺も股間にファントムを1匹飼ってんだ」の図。
 おまわりさん、こいつです。



全ては晴人が股の浅いズボンを履いてるせいなんですが、
この光景を初めて見た凛子や瞬平が「エッ!」ってなるのも、そりゃ分かるよね…。
しかも現職警官の目前での犯行。2度目の現行犯逮捕となる所でした。


―――


さて、戯言はこのぐらいにして、主題歌の歌詞の意味をおさらいしてみましょう。


 ・ まるで月と太陽 重なる時の衝撃
 →これはもちろん、晴人が"希望"を失った人を照らし出す事です。

 ・ きっと必要不可欠のエナジー 心のため
 →科学によって否定されたメンタルのエネルギー、つまり魔法ですね。

 ・ 夢と理想 いい意味で裏切ってくれるもの
 →時間を前に進めるのは、過去に抱いた夢や理想じゃないって言ってるんでしょう。

 ・ 記憶のルーツ潜り込んで 希望救い出せ
 →止まってしまった「月日」の原因を探るべく、過去にダイブする事です。

 ・ 昨日今日明日未来 全ての涙を 宝石に変えてやるぜ
 →過去から未来へと絶え間なく流れる「月日」を、輝くものにしようって意味。


今回のまとめです。


・ 『ウィザード』は月のバイオタイド理論を基にしている。
・ 月と太陽は、人生で歩んできた「月日」を意味している。
・ 魔法とは、科学によって否定され削ぎ落とされたメンタルパワーの事。
・ 人間は現世(太陽暦)とアンダーワールド(太陰暦)の2つの暦を持っている。
・ ゲートは過去に引っ張られて心の時間が停止した人。
・ コヨミちゃんはゲートとは反対に、現世の時間が止まっている。
・ ファントムは両方の時間が止まり、完全な死を迎えた亡霊。
・ 晴人は現世の時間を生きる"希望"となってくれる太陽の存在。



こんな所です。いかがでしたか?


『ウィザード』で1つだけ残念なのは、凜子と瞬平ら脇を固める2人が、
前作と比較していまいちキャラを活かせてない所でしょうか。
『オーズ』の怪力っ子と同様に、役割がよく分かりません。
テーマはとてもユニークで、ストーリーにも上手く落とし込めていると思いますね。
人物描写が乗り切れていない点を除けば、ハマるお話だと思います。

道場主は『ウィザード』の放送が楽しみすぎて、現世の時間が早まってます。
もしゴルフ中継で放送が潰れたりしたら、絶望してファントムになりそうな勢いです。

とりあえずテレビ朝日さん、ゴルフも駅伝もアンダーワールドの方で放送して下さい。
現世人代表として、お願いします。\プリーズ/
 


ご清覧ありがとうございました。

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