漫画道場

漫画道場 漫画やアニメを学術的観点から考察・レビューします。



【クールジャパン論】

【クールジャパン論】(4) 古田織部の生き様を見よ


へうげもの

↑見よ、このドヤ顔!


日本のコンテンツ産業が、今後どうあるべきか。
漫画やアニメ、ゲームといったサブカルチャーに対する議論も、
現在では政府の主導によってなされているが、
はたして、官民一体となった対策の立案には至っていない。

そうしたギャップが生まれる要因がどこにあるのか、
『へうげもの』の古田織部正重然と時の権力者との交わりから、
詳細に見ていきたいと思う。


―――


日本が歩んできた文化史を紐解けば、いつの時代も「もの」を通じて、
歴史やそこに関わった人物のひととなりを見る事が出来る。

茶人・神谷宗湛は『宗湛日記』にて、慶長4年(1599年)2月28日、
古田織部の茶会で初披露された織部黒の沓型茶碗を、
「ウス茶ノ時ハ、セト茶碗ヒツミ候也、ヘウケモノ也」と評している。
つまり、「歪んだ瀬戸物茶碗が面白おかしい」と。


古田織部という人は、武野紹鴎を師に持つ父・重定の影響を受けている。
紹鴎の師は、侘び茶の開祖と言われる村田珠光であり、
紹鴎の弟子は、茶聖と称せられたかの千利休であるのだが、
作中でもその数奇(変人)ぶりは「父親譲り」とされ、
織部自身も38歳の時に利休に弟子入りしている事からも、
元々のルーツは侘び茶にあったのが分かる。

しかし、織部の作った「もの」は、室町の潮流として栄えた東山文化とも、
そして絢爛な華をあしらえた織豊・桃山文化とも異なる意匠が凝らしてある。
当時の時代の背景として「かぶきもの」=数奇に傾倒した者が居たのは、
『花の慶次』などのヒット漫画作品でも知られているが、
織部もまた、伝統と格式を重んじた茶の湯に対する「へうげもの」=数奇者として、
独自のフォーマットを築こうとしていた人物だったという事が、
織部焼と称される歪んだ茶碗から見て取れるだろう。


古田織部や千利休らは、時の権力者である羽柴秀吉らに重用されている。
文化人の支持を取り入る為に政治利用されていた茶の湯であったが、
その背景となる"数奇"は充分に理解をされていた。

『へうげもの』では、秀吉はセンスが壊滅的に乏しい人物として描かれている。


古田織部

> むさい…なんともモリッと冴えない茶碗だぞこりゃあ…。
 ザリッとした無釉の骨気が魅力の備前焼なのだがな…。
 目かけてくれた羽柴さまには悪いが…これは俺の蒐物集には加えられんの…。



このように織部にがっかり茶碗を与えて嘆息を吐かせているものの、
数奇に対する理解として数奇者が喜びそうな「もの」を
天下を治める為に活かしていた事が、よく表されているだろう。
『へうげもの』の「もの」とは、器物を評価する時に使われた言葉であるが、
作中ではひょうけた人物、つまり数奇者を指す言葉として使われており、
「もの」に込められた人物背景まで丁寧になぞらえてある。

古田織部が織部焼を完成させる事が出来たのは、
数奇というフォーマットへの理解が下地にあり、
それらが生み出す「もの」への理解があったからに他ならない。


―――


ジャパンフォーマットを活かす道として、漫画やアニメを政治利用し、
海外に向けて積極的に輸出していく方策は正しい。
現政権を羽柴秀吉としてとらえれば、秀吉がいかにセンスが無くとも、
文化保護と育成の対象にサブカルチャーが選んだのには、
これまで受けてきた偏見に鑑みると、大きな進歩を遂げたと言えよう。

しかしながら、政策を打ち出して既に2年。
これまで何の進捗も伺えないのには、偏見と理解とのギャップが
未だに埋められない事実を如実に物語っているだろう。
有態に言えば、どう扱っていいのかさえ分かっていないと見られるのだ。


ジャパンフォーマットは、信頼の上に成り立っている。
製造業界では「チャイナリスク」なる言葉がまことしやかに囁かれているが、
他国と日本の決定的な違いが、この信頼性(リライアビリティ)である。

折りしも世間では中韓の政治的アピールが立て続けに発生し、
韓流ドラマの放送が見合わされるなどの措置が取られているが、
現在の韓流文化の広まりは、2003年から始まった以前のブームの延長線上には無く、
08年の世界不況以降の円高・ウォン安を背景にした、
韓国の外貨獲得の政策としての文化輸出が奏功したものだ。
この国にもやはり、「コリアリスク」とも言うべきリライアビリティの問題が存在し、
国際舞台の上で信頼を損なう行いを簡単にやってしまう。

かつてはリスクの上において中韓の製品は回避されていたが、
他国が不況に喘ぐ間に、中韓は日本やアメリカでリストラされた技術者を受け入れ、
たった5年で世界を席巻する技術力を付け、安さと両立させた。
技術立国と言われた日本は信頼の上に胡坐をかき、開発を怠ってしまった。
今や世界の下請けを担うのは、中韓である。

コンテンツ産業でも全く同じ構図が生まれている。
高額な人件費に苦しむテレビ業界を中心に、安価な韓流文化は持て囃され、
素材面でビジネスリスクの低いK-POPなど輸入してきたのだが、
その裏で、自国のコンテンツをここ5年間まるで育ててこなかった為に、
アジア事業展開において大きな差を付けられてしまった。

クールジャパン政策は、「空白の5年間」を取り戻す為の、
生き残りを賭けた戦いでもあるのだ。


―――


韓流文化が多額の宣伝費をかける理由は、ただ1つ。
そうしなければ、世界の注目を自分達に向ける事が出来なかったからである。

日経新聞によると、韓国のコンテンツ関連の予算は200億を越えていて、
日本の予算規模のおよそ8倍なのだそうだが、逆に言えばこれは、
日本は8分の1の予算で、世界と戦える訴求力を生み出せているという事だ。
いかにジャパンフォーマットが他国に信頼されているか分かるだろう。

コリアフォーマットと比較すれば、リライアビリティの差がより明らかとなる。
中韓ではコピー品が濫造されてきた背景があるが、
K-POPもやはり、J-POPの「モノマネ」であるという認識が欧米ではなされている。
剽窃作品として有名な『テコンV』も、日本のアニメが元なのは言うまでもない。
つまり、韓国はオリジナルフォーマットを生み出す力が欠けているのだ。


日本では古来から、他国の文化を輸入し、それをアレンジして、
自国の文化を新たに生み出す力を持っていた。

再度、『へうげもの』を見てみよう。

古田織部は、唐物(中国産の陶磁器)の良さを理解しながらも、
「欲しいものは自分で作るしかない」とし、
師匠である千利休の侘び数奇の良さも取り入れながら、
オリジナルフォーマットである織部焼を生み出した。


織部焼


織部焼を実際に目にするとよく分かるだろうが、これを見て、
絢爛な唐物や静謐な侘び数奇の「モノマネ」だと言う人がいるだろうか。
器の歪みと革新的な図柄が幾何学的なバランスのもとで成立した、
破調の美を基調とした名品である。

古田織部は、織部正(染織物の官)という官職を秀吉から与えられ、
侘び数奇に代わる新しいフォーマットの創出を命じられると、
織物関係のデザイナーとのコネクションを通じて、
「織部十作」なる宗匠らを、いわゆるプロデューサー的な立場で支援し、
江戸時代に続く陶芸文化の育成に多大な功績を残した。

江戸時代では陶芸は藩のお抱えとなり、大量生産を目的に分業化されたが、
例えば皿物しか作っていなかった九州の陶工の中から、
「西の仁清(京焼)」と呼ばれる現川焼がいきなり出てきたり、
オリジナルフォーマットを作る意識が後の時代まで極めて高かった事が分かる。
これもやはり、各々の藩が陶芸文化を推奨していたからだろう。
利休や織部の文化育成の貢献が、こんな所にも現れている。


日本は他国の著作権を侵害する事なく、オリジナルの文化を作り出してきた。
世界から信頼されるのは、こういった理由だろう。


―――


現在のクールジャパンは、どのように文化育成をしていくか、
実はまだ内容を精査している段階である。
そして政府の平成24年のアクションプランの中には、
具体的な政策として漫画やアニメ文化の育成計画が含まれていない。
それどころか、輸出の計画すらままなっていない。

重点政策として挙げながら、なぜこのような遅滞が生まれるのか。
これは単純に、四方に資金を回せるだけの潤沢な予算を確保していないからだ。
クールジャパンは、成長戦略が取りたくても取れない状況にある。

ジャパンフォーマットは確かに世界に信頼されているだろう。
韓国の予算の8分の1しかなくても、世界中のバイヤーが日本に買い付けに来る。
しかし、信頼の上に胡坐をかいて研鑽を怠っていたらどうなるか、
製造業で痛い目を見た今なら分かるはずである。


口では文化事業の重要性を説きながら、お金は出さない姿勢を崩さない。
政府高官も内心では、漫画やアニメを低く見ていると見ていい。
その証拠に、議員事務室に漫画が置いてあるだけで国会で答弁するほどだ。
豊臣秀吉は桃山時代の文化育成に糸目を付けなかったが、
現代の権力者は、コンテンツ産業が自動車に代わる
輸出産業の枢軸になるとは、誰も本気で考えていないのだろう。

そうこうしている間にも、コンテンツ産業全体が縮小化してきている。
今必要なのは、輸出の拡大を図って外貨を獲得する事でなく、
コンテンツ産業に関わる人材を予算を組んで支援し、育成していく事である。


さて、『へうげもの』には作品権利に関する逸話がある。
NHKがアニメ化する際、第11話から作者と出版社のクレジット表記を外したのだ。
国営放送局までがサブカルチャーに対するリスペクトを欠いているのが、
悲しいかな、日本という国の現状である。

私の願いは、頭で数奇を理解しようと努めた『へうげもの』の権力者のように、
クールジャパンがサブカルチャーと真に向き合ってくれる事だ。
古田織部が秀吉に忠誠を尽くしたのは、秀吉が織部の「友」であったからで、
それぞれの違う価値観をお互いに認め合ってきたからだ。
政府は信頼に背を向けたままである。これでは誰からも信頼は得られないだろう。
 



ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(3) ソーシャルゲームは世界を獲れるか


ソーシャルゲーム


↑ソーシャルゲームの未来予想。
 引用:世界で勝てない日本のゲーム業界」

 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1462


現在のコンテンツ産業は、最初に述べたように、
総じて縮小傾向にあり、有効な打開策を未だ見出せていない。
衰退の原因はいったいどこにあるのか。

これはコンテンツを供給する企業が、ソフト開発のノウハウを、
つまりフォーマットを築けなかった事にある。
アニメやゲームなどがそうだが、ソフト制作を下請けに丸投げしている為、
発注をかけた大元の会社に開発力が蓄積されないのだ。


現在において開発力を発揮している企業は、
フォーマット制作にも着手し、メインコンテンツの品質維持に努めてきた。

特徴的な例として、ゲーム業界を見てみよう。
『モンスターハンター』の大ヒットで知られるカプコンは、
『ドラゴンクエスト』など主力製品までをも下請けに出している
業界トップのスクウェアエニックスと一線を画した経営方法を取り、
勢いを失ったタイトルシリーズのみを下請けに出し、
資金のありったけを主力製品に注ぎ込んで、開発力を維持している。

カプコンは「MT Framework」というゲームエンジンを既に持ち、
『デビルメイクライ』、『戦国バサラ』、『バイオハザード』など、
様々なゲームに応用する事で、安定した品質を早く提供出来るようになった。
スクエニにも『FF13』に用いられた「Crystal Tools」というエンジンが存在するが、
例えばこれを『ドラクエ』や他タイトルに応用するなどは出来ず、
開発環境が分散している感は否めない。

日本のゲーム業界が、ここ5年間で海外に大きく水をあけられたのは、
こうした開発環境のノウハウが蓄積されてこなかった為だ。
RPGなどの売れるコンテクストを使い回して技術向上に目を向けなかった間に、
海外ではゲームエンジンをオープンプラット化して広く提供し、
ユーザーの手でプログラムをいじれるほどにまで進化している。
こうした世界と戦っていく為に、カプコンは日本製のフォーマットを作り、
ソフト開発を平滑に行う環境を整えたのだろう。

これは、海外進出における日本のビジネスモデルとして、
1つの指針となるのではないだろうか。


―――


例えばアニメ。

プリキュアシリーズのエンディングでは、コナミが開発した
「トゥーンレンダリング」というフォーマットが伝統的に用いられている。
セルシェーディング技術の分野ではディズニーが先鞭をつけていたが、
フォーマットとしては根付かず、とっくに手を引いている。
ピクサーの監督が2009年に発表した作品も、2Dアニメだった。
海外ではアニメは「子供が見るもの」と認識されている為、
映画では3Dを本物に見せるもの凄い技術が使用されているものの、
3Dを2Dのように見せる技術的な下地は育たなかったのである。

初音ミクの海外進出の例を見ても、ヤマハの「VOCALOID」という
技術的背景があったからこそ、世界に冠たる日本製コンテンツとなり得た。
英語圏では、機械の耳で of と ob などの区別が付けられない。
ゆえに音声認識技術が定着せず、その間隙を初音ミクは突いたのだ。


日本のアニメ制作会社がトゥーン技術を武器に現地法人を立ち上げれば、
海外の3Dアニメの市場を独占できる可能性があるし、
それほど高い随一の技術を日本は有している。
海外進出のリスクは、それこそ政府がサポートすれば良い。

問題は、政府がここまでの背景を認識していない事だ。
ノウハウ蓄積の為には、まず雇用の流動化を防がなければならない。
アニメ制作会社のスタッフはフリー契約を強いられており、
年収100万円台というのもザラで、3年以内の離職率が9割にのぼる。
このような環境下では、技術的なフォーマットの開発など不可能だろう。

こうした苦境にある人達をNPO法人がサポートしているものの、
本当にサポートすべき立場にあるのは、クールジャパンを掲げる政府である。


―――


そんな中でも、デジタルコンテンツ産業においては、
唯一と言っていいほど、右肩上がりの成長を続けてきた。

引用:INTERNET Watch様「日本のコンテンツ産業の黄昏」
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/yoake/20100928_396436.html

特に、近年で著しい成長を遂げたのがソーシャルゲームであり、
DeNAから業界トップの座を奪い取ったGREEは、
世界進出に焦点を合わせて、着々と歩みを進めている。

なぜここまでの成功を収める事が出来たのか?
それは引用元にある通り、携帯電話というフォーマットの普及にある。

海外でソーシャルゲームと言えば、PC市場がメインで、
米国のジンガや英国のプレイフィッシュが確固としたシェアを築いているが、
スマホ市場の方ではリーディング企業がまだ存在していない。
後発の日本もまだ割って入れると見る事が出来るだろう。


が、問題な点が2つある。
課金者が圧倒的少数なのと、パケット定額制廃止の流れである。

前述のジンガは2億3000万人の世界一のユーザー数を抱えながら、
課金者は770万人しかなく、全体の3%に満たない。
1人当たりの売上高はわずか3.5$、日本円換算で283円で、
DeNAの4100円と比較すると、利益誘導率が低い事が分かる。
これはジンガの経営手法のせいではなく、 海外の特色なのである。
DeNAはかつてfacebookと組んで同様の問題にぶつかり、
海外PCソーシャルゲーム市場への進出を断念している。

その上、海外ではモバイル環境に対するキャリアサービスが遅れている。
接続料金がべらぼうに高く、モバイル決済化も進んでいない。
ネットにつなぐ時は、自分でPOPやSMTPまで設定しなくてはならない。
さらに世界最大手のベライゾンと、iPhoneのキャリアであるAT&T、
世界のツートップがパケット定額制から従量課金制へと移行しており、
インフラ環境になるべくお金をかけない姿勢を鮮明にしている。

スマホが世界中でこれだけ普及し、ソーシャル化も進んでいるのに、
スマホ市場に広がりが見られないのには、それなりの理由があるのだ。


―――


ご存知のように、日本は各キャリア会社がパケット定額制を敷く事で、
デジタルコンテンツ産業の成長を後押ししてきた。
海外のように早いうちから従量課金制にシフトしていたら、
GREEもDeNAも、現在のビジネスモデルから手を引く他は無かっただろう。

GREEが海外に目を向けているのにも、やはり懐疑的にならざるを得ない。
日本のキャリア会社と1セットになって海外でもインフラ整備し、
それを政府が支援をしていくというなら別だが、いくら何でも話が大きすぎる。
携帯電話を使ったクラウドビジネスは、トラフィックの限界がある以上、
日本でも、そして海外でも、先が見えているのである。

しかし、顧客を囲い込むビジネスモデルは海外に持ち込める可能性がある。
DeNAや海外企業は会員数を伸ばす事で収益を上げるモデルを採用しているが、
GREEは顧客1人当たりの単価を伸ばすモデルを採用し、成功している。
海外が目を向けない方法で市場の間隙を突くのは、
方向性としては決して間違ってはいないのだ。


デジタル分野においては、コンピュータの歴史を開拓してきた海外に、
日本が技術面で追い付く事は恐らく無い。質量が違いすぎる。
こうした現状に日本が対抗するには、海外には無い視点から生まれた
「トゥーンレンダリング」や「VOCALOID」など、
日本独自のアイディアをフォーマット化してきたように、
オンリーワン技術を用いて顧客を魅了し引き付けるコンテンツを作り、
なるべくトラフィックに負荷がかからないよう、
ダウンロード販売という形で提供していくのが最良だろう。

日本のデジタルコンテンツ産業が右肩上がりで成長してきたのは、
ダウンロードコンテンツの内容と販売網が優れていたからだ。
逆に、音楽配信がここ最近は売り上げを落としているのも、
やはり内容の問題であり、違法ダウンロードのせいではない。

ソーシャルゲームの喫緊の課題は、内容の拡充である。
顧客満足という、ビジネスの原点に立ち返るべきだ。
ビジネスモデルに依存した販売方法だけでは、息は長くは続かないし、
まして海外に輸出する事など出来るはずもないだろう。
だが、もしも任天堂のようなアイディアがGREEから生まれたら、
顧客単価を高めるモデルがフル活用出来るのは間違いない。


コンテンツ産業の未来は、ダウンロード販売にかかっている。
その為にもまずは政府が開発環境の支援策を打ち出し、
海外でも通用する強力なコンテンツにしていく事が必要である。


―――


最後は漫画道場らしく、漫画の話で締めたい。

次回、フォーマット制作に尽力した1人の男の苦悩を描いた
『へうげもの』から、今後の日本がどうあるべきかを学んでいこう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(2) ジャパンフォーマットの確立


銀魂

↑表現規制の矛盾点を皮肉たっぷりに言い当てている。


世界における日本の立ち位置というのは、どういったものか。
これこそクールジャパンで最も重要なポイントであると見られる。


日本と韓国のブランド価値を比較するのが早い。

韓国は世界経済がブレーキのかかった2009年以降も着実に成長を遂げ、
製造業などで日本を凌駕するほどの外需大国になった。
韓国のイメージは飛躍的に向上したとは言えるだろうが、
サムスン経済研究所が今年2月に発表した各国の国家ブランド価値によると、
韓国は実体が15位、イメージが19位という調査結果を出しており、
「周辺国からの認識は変わっていない」と冷静に分析している。

一方の日本は、実体が4位、イメージが1位という結果だ。
日本はいまだに「憧れ」の存在なのである。


まず認識すべきは、「憧れ」の対象が"日本"ないし"日本人"だという事で、
日本の独自コンテンツへの「憧れ」だと見誤ると、痛い目を見る。
クールジャパンを阻む3つの障壁、即ち、造形・コンテクスト・文化の違いは、
まず乗り越える事が不可能な、如何ともし難いものである。
つまり、この壁にまともに挑みかかるのは上策とはとても言えない。
別の角度から方策を練る必要があると、ここでは定義しよう。

日本のストロングポイントは何か?
「憧れ」という観点から、これを論じていきたいと思う。


―――


日本への「憧れ」の起源は、13世紀(鎌倉時代頃)のヨーロッパに、
かのヴェネチアの商人、マルコ・ポーロが伝えた『東方見聞録』に遡る。
この頃はまだ東洋の伝説に過ぎなかったのだが、
1854年の江戸開国を契機に実態となり、ヨーロッパでジャポニズムが起こる。

ジャポニズムが流行する以前のヨーロッパを、象徴するデータがある。
それが、都市別に見た市民の識字率だ。

18世紀のヨーロッパはエリートにしか教育を受ける権利が認められておらず、
識字率がロンドンが20%、パリが10%と、信じがたいほど低い数字が並んでいる。
それに対し江戸は70%と、当時としては驚異的な高さである。
江戸時代の高度な大衆文化の背景には、「読み書き算盤」の民間教育があった。


江戸時代にもやはりハイカルチャーは存在した。
漢詩や和歌、能や狂言など、古来から引き継がれてきた貴族文化がそれに当たる。
しかし、江戸時代が他の時代と決定的に異なるのは、
民間教育によって育まれた町人の高い知恵が貴族文化を理解し、
完全に会得してオリジナルの大衆文化を次々に生み出した所、
またそれを生み出す下地として、200年以上の太平が続いた所にある。

例えば、尾形光琳は公家から直接仕事を依頼される民間デザイナーであったが、
同時に公家文化に使われていた芸術的なデザインを、
町人が使用する日常品にも施し、大衆文化のレベルを引き上げた人物である。
しかも恐るべきは、町人がその卓越したデザインを理解した事だ。


ヨーロッパでウケたのは、日本の貴族や公家の文化では無い。
サブカルチャーである大衆文化に驚嘆の目が集まった。
なぜなら、これほど高い文化が一般市民にまで広く浸透している事が、
ヨーロッパでは常識を覆すほどの大事件だったからである。


―――


クールジャパンがジャポニズムと比較されるのは、
日本のハイカルチャーではなく、サブカルチャーが受け入れられている為だ。

江戸時代の大衆文化には芸術が取り入れられている事はご理解頂けただろう。
では、現代の大衆文化である漫画やアニメ、ゲームなどに
江戸の町人が生み出したような優れた精神性や芸術性が有るかどうか、
実はこの点が、現代では江戸時代ほど理解をされていない。


例えば漫画。漫画があまりにも簡単に読めすぎてしまう事は、
夏目漱石の令孫、夏目房之介の著書『マンガはなぜ面白いのか』にある通りだ。
しかし、簡単に読めすぎてしまう事で、そのものまでが簡単であると、
そう思われているのが、悲しいかな、漫画の現状である。

漫画のネームを描く時、顔の下絵には縦と横に中心線を引く。
何気なく、自然にやっているので気付かない人も居るかもしれないが、
この時のお手本となる比率は、前回に述べた「白銀比」が基になっている。

それからキャラクター、これはキャラクター論で述べた通り、
「記号論」の中でも最も難しい「シンボル哲学」で示されている内容を、
いともたやすく実践し、魅力的なキャラを創作するに至っている。

そしてこれを「子供にも分かる」ほどに作中に上手に落とし込み、
難しさを感じさせないほどすんなりと読めるようにしたのが、漫画である。
ここに挙げた例はほんの一例にしか過ぎない。

アニメやゲーム、その他映像作品についても同様で、
日曜の朝に放送される子供向けの仮面ライダーやプリキュアにまで、
相対性理論などの難しい学論や、黒沢明が使用した映像表現を、
子供でも簡単に見れるレベルにまで落とし込まれている事は、
それぞれのファンから毎年のように指摘されている。

知らないのは、ハイカルチャーこそが日本の正統文化だと信じてやまない、
サブカルチャーを子供のものと決めつける大人だけなのだ。


―――


日本の知的財産は、「子供でも分かる」フォーマットで作られていて、
それが海外に引っ張りだこであるという。

例えばテレビ番組は、制作した番組=ソフトではなく、
番組のフォーマットを丸ごと海外に輸出し、成功を収めている。
「SASUKE」が海外でブーム、という話を耳にした事がある人も多いだろう。

海外での日本への関心は非常に大きいもので、「憧れ」と呼ぶ他にないほど、
多様な文化を生み出す日本人は、世界中で肯定的に捉えられている。
だが、造形・コンテクスト・文化の違いによって、
日本製のソフトは海外では受け入れられず敬遠される事が多かった。
その為、制作に必要なフォーマットだけ売り込む手法が、
テレビ業界を中心に取られるようになった。

これに続いたのがAKB48で、アイドルを売り出すフォーマットを
そのままジャカルタに輸出し、「JKT48」なるユニットを生み出した。


では、日本が世界に誇る漫画やアニメはどうかと言うと、
フォーマット競争からは遅れを取り、今でもソフトを売り込もうとしている。
Puffyを例に挙げると、海外でこの2人のアニメ著作権を取得したのは、
日本のアニメ制作会社ではなく、米国のカートゥーンネットワークである。

しかも日本は、漫画やアニメに輸出産業としての価値を見出した頃から、
輸出の障壁となる「子供」を感じさせる表現方法の規制を強化し、
「子供から大人まで楽しめる」はずだった大衆文化を、
わざわざ「子供」と「大人」に分けて売り出そうとしている。
ソフトではなく、フォーマットに対しての規制というのが問題点だ。


最も顕著な例が、あの悪名高い東京都の青少年保護育成条例である。
結論から言うなら、この試みはマイナスの経済効果を生んだ。
都知事自ら開催を提案した東京国際アニメフェアの出展者と来場者を減らし、
余ったシェアを中国に根こそぎ奪われた為だ。

参照:朝日新聞〈甲乙閑話〉アニメフェアの分裂で
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201204170284.html

日本のストロングポイントは、ハイカルチャーで培われた
高い精神性や芸術性を、「子供にも分かる」までに落とし込んだ所にある。
かつて石ノ森章太郎が"漫画"という言葉に対し、面白いだけでなく、
様々な表現を用いる事が出来るようになったとして、
万人の嗜好に合うという意味の"萬画"という言葉に置き換えたように、
大衆が育んだ漫画やアニメなどのサブカルチャーは、
他国では見る事の出来ない、万人の為の貴重なフォーマットであったはずだ。
そこを、規制論者は読み違えていたのだ。

日本のサブカルチャーは、表現規制との戦いの連続であった。
男女のセックスが認められなければ、「やおい」などの表現が生まれ、
裸体を描く事も取り締まられると、そこから「萌え」が生まれた。
新しい表現の創出は、このようにして行われてきた。
そうしなければ出版業界は生存競争を生き残れなかったからである。

出版業界はコンテンツ産業の中では最も早くに衰退を迎え、
1997年から市場が縮小傾向にあるが、この前年となる1996年、
ストックホルムにて児童ポルノに反対する世界会議が開催され、
日本でも同年に国会で審議入り、業界でもこの年から自主規制を始めている。
この件はむしろ積極的に取り締まるべきだとは思われるが、
表現規制と市場縮小には高い相関性が見られるのは間違いない。


やたらめったらと規制を振りかざせば、その分だけ創作性は萎縮する。
漫画表現には、素性のはっきりとした精神性および芸術性と
使い回しの利くフォーマットが存在する事は、萌え論などで示した通りだ。
では、このコンテンツの文化背景をも正確に把握していた人物が、
規制論者の中に果たしてどれだけ居ただろうか。
規制の対象に挙げられるエロパロディを描いていた同人出身の作家の中には、
文化庁が推薦したあずまきよひこや吉崎観音も含まれている事を、
規制に賛成した議員のいったい誰が理解していただろうか。

これ以上の表現規制が続けば、さらなる市場縮小は免れないだろう。


―――


当道場の結論を述べよう。

漫画やアニメも、テレビ業界のようにフォーマット販売に着手し、
ソフト依存から脱却を図るべきである。
権利の上で優位に立つ日本が海外で苦境に立たされるのは、
自分のストロングポイントを伝え切れていないからだ。

ソフト規制はもちろん必要であるし、より議論されるべきだと思うが、
表現方法にまで議論が及ぶのは、断じて許されるべきではない。
フォーマット規制は経済論の観点から見ても害悪にしかならない。
例えるならそれは、海外で浮世絵が人気であるのに、
けしからん絵があるからと言って国内で全てを規制をするようなものだ。
江戸時代にも確かに春画(エロ本)へのソフト禁令は出ており、
海外への輸出においても春画だけは見送られていたとは言え、
表現方法に対して具体的な規制が取られた事は無い。
後の明治政府が輸出に踏み切った際も、ソフト規制までに留めている。

葛飾北斎や歌川広重などの大作家も、春画を描いていた。
しかもそれは西洋には存在しない、直線と曲線を組み合わせた、
不規則で非対称な構図を用いた芸術的な表現方法で描かれていた。
もしもこの時、江戸幕府がフォーマット規制に及んでいたら、
黄金比の芸術に縛られすぎていた西洋の絵画の構図は、
ずっと早くに行き詰まりを迎えていたに違いない。

表現方法にまで軽々しく口を出してしまうと、
こういった可能性の芽も摘みかねないのである。


日本が優れているのは、コンテンツ産業そのものではない。
AKB48が素晴らしいアーティストで、萌えアニメが世界に通じるアニメだとは、
おそらく日本人ですら胸を張って答える事は出来ないだろう。
海外が「憧れ」ているのも、日本のコンテンツに対してではなく、
多様な文化を生み出すフォーマットの方なのだ。

考えてみて欲しい。他の企業に営業をする上において、
自分のストロングポイントを理解しないまま売り込む営業マンが居るかどうか。
日本が「国策」としているサブカルチャーを中心としたコンテンツ産業は、
このような自信の無い営業マンに浮沈の行方を託しているのである。


しかしながら、日本の現状は悪いばかりではない。
デジタルコンテンツ産業がどのジャンルでも右肩上がりにあるなど、
光明のさしている分野もいくらかある。

次回は、デジタルコンテンツ産業とフォーマット競争の現状について、
今度は肯定的な立場から述べていこう。
 



ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(1) 日本が海外に受け入れられない3つの理由


クールジャパン


↑ですよねー。


経済産業省がクールジャパン室を設置してから、6月18日で2年が経つ。

クールジャパンは、主に知的財産を基盤とした産業の輸出拡大を目的とし、
特に国内では自動車産業に比肩するほどの市場規模に成長した、
映画やドラマ、漫画やアニメ、音楽、ゲームなどのコンテンツ産業において、
国際競争力の強化への指針として具体的な数値目標を掲げ、
2020年には、デジタル・ネットコンテンツビジネスを1.5兆→7兆円、
クールジャパン関連産業の4.5兆→17兆円の市場を獲得するとしている。

今年5月29日には総理官邸にて知的財産戦略本部が開催され、
「知的財産推進計画2012」なるものも発表された。


しかし、その海外では日本のコンテンツ産業はとっくにピークを過ぎており、
映画やドラマは韓流に押され、音楽だけが頼みの綱となっている。
アニメは06年、漫画は07年、ゲームは08年以降に国内でも市場規模が減少し、
状況としては輸出拡大どころか、総じて縮小傾向なのである。

かつてジャポニズムはゴッホなどに影響を与え、海外の価値観をひっくり返した。
果たしてクールジャパンはジャポニズムの再来となるのか、
筆者の思う所を、過去に書いてきた記事の総論として纏めてみたいと思う。

なぜ海外に受け入れられないのか?今回のポイントは3つ。

(1) 造形の違い
(2) コンテクストの違い
(3) 文化の違い

これらを明らかにする事である。


―――


(1) 造形の違い

海外のアニメやゲームに登場する造形の濃いキャラクターを見て、
「バタ臭い」と思った事はないだろうか。

これは感覚的に感じているものではなく、きちんとした客観的基準がある。
それが「黄金比(1.618:1)」と「白銀比(1.414:1)」である。
数学者である中村滋の著書「フィボナッチ数の小宇宙」では、
外国人が黄金比を好むのに対し、日本人は白銀比を好む事が示されている。

西洋での美の基準となるのは、やはり黄金比だ。
海外に行けば日本人は童顔に見られる事が多いのだが、
これは外国人の顔の方が日本人より平均的に面長で、
目鼻立ちもより大人っぽく見える為である。
モナリザの顔の縦横比が1.618:1で描かれているのに対し、
日本人が美人とする顔立ちは、縦の長さが僅かに短い。
その為、日本生まれのキャラクターも縦長の顔の持ち主は少なく、
海外では「醤油臭い」と思われる理由になっているのかも知れない。


参照:日本人は黄金比よりも白銀比や正方形が好き?
http://amuta.jp/asarticles/silver.html


日本でも受け入れられている例外と言えば、ミッキーマウスくらいだろうが、
それもそのはず、ミッキーは手塚イズムを受け継いでいるからである。



(2) コンテクストの違い

日本のコンテンツ産業の最大の強みは、キャラクターを中心とした
コンテクストマーケティングの確立と展開の速さにある。
「コンテクスト」は"文脈"と訳される事が普通だが、この場合は"顧客背景"を指し、
顧客のニーズに合わせて記号化・象徴化された個性やテーマを、
理解度の高い顧客が「察する」事で成立するマーケティング方法の事だ。
日本ではこれが当然のように行われており、ハイコンテクスト文化とも呼ばれている。

これはAKB48とK-POP、両者のマーケティングを比較すれば瞭然で、
K-POPが"グループ"を売り込むのに対し、AKBは"個"を売り込んでいる。


海外ではこういったコンテクストが共有されていない為、
デフォルメされたキャラクターからは、全体を「察する」事が出来ない。
キャラクターだけでなく、日本は今やゲームや家電製品に至るまで
あらゆるものが"文脈病"に陥っており、ガラパゴス化していると言われている。
同じ日本人でも理解出来ない人が居るようなコンテクストなら、
外国人がより難解に感じるのは、想像に難くない。

しかも、現在のコンテンツ産業はますますコンテクストに依存している。
悪い事にはそれが先鋭化してデフォルメされた型だけが共有され、
特定のターゲット以外には全くウケなくなる傾向になってしまった。
『にこにこぷん』が『ぐ~チョコランタン』になっても
基盤となるコンテクストが変わらないのと同様で、
産業構造としてはNHK教育の子供番組と大差が無いほどの偏り方である。



(3) 文化の違い

海外では圧倒的に大人の文化が支持されている。
子供は未完成として扱われる為、子供を感じる要素は徹底して排除される。
ところが日本のキャラクターは、造形にしろコンテクストにしろ、
海外から見たら「子供っぽい」と思われるもので出来ている。

日本では「内心の自由」が憲法によって明文として認められており、
子供と大人の文化が混ざっているコンテンツも、中身が伴えば大人として扱われるが、
海外では、大人と子供は宗教観によって完全に隔てられていて、
子供に通じる行動だけでなく、思想ですら道義に反する行為である。

もちろん知的財産についても同様で、子供を感じさせる文化は、
日本では受け入れられても、海外では受け入れられない可能性が高い。
輸出面で未だ2%ほどのシェアしか獲得出来ないでいるのは、
こうした如何ともしがたい理由を抱えているからだろう。


―――


日本のコンテンツ産業は、こういったものに頼らざるを得ないほど、
何年も前から頭打ちの、厳しい状況に追い込まれている。
だが元々は白銀比の芸術も、キャラクターコンテクストも、
日本のお家芸=ストロングポイントだったはず。

問題は、自国の文化を売り込むにあたり、方向性が定まっていない事である。
片方では数値目標を掲げて推進しているように見せかけても、
もう片方ではそのストロングポイントを規制する動きがあるのだ。

次回は、コンテンツ産業への規制と市場縮小の関係性について、
具体的なデータを用いて解説していこう。
 



ご清覧ありがとうございました。

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