漫画道場

漫画道場 漫画やアニメを学術的観点から考察・レビューします。



概論

【メディア記号論】(1) アナログ脳とデジタル脳


月下の棋士

↑『月下の棋士』の名シーン。


人間の脳には、複雑極まりない情報の中から最適解を選別する、
コンピュータがなかなか真似できない力が備わっている。

2005年9月18日、コンピュータ将棋ソフト・TACOSが、
非公式ながら、初めて公開の場でプロ棋士との平手の対局を行った。
相手は橋本崇載五段。ど金髪で派手好きな今時の兄ちゃんである。
この時、後手・橋本五段が最初に指した手は何と△1四歩、
『月下の棋士』の氷室将介が得意とした端歩戦法だった。

一手損と言われる端歩だが、2013年の3月23日に行われた、
5人のプロ棋士が1勝3敗1分で敗北を喫した最新の将棋ソフトとの対局でも、
初戦で唯一の勝ち星を奪った阿部光瑠四段が、
定石に無い手順を踏んだ角代わりの後、端歩を2回突いている。

端歩戦法は、大局観が無いとされるコンピュータの計算を、
局所的なせめぎ合いによって狂わせる、実に人間らしい発想だ。
橋本五段の狙いも、プログラムに入力されていない定石崩しにあった。
その作戦が功を奏したのか、終盤の逆転劇へと繋がる。
情報処理の上では互角の戦いを演じたコンピュータであったが、
人間は根本的な思考回路が異なるのである。


脳のメカニズムは、記憶については全貌が明らかになってきているが、
思考における研究は困難を極め、進んでこなかった。
そこで2007年、理化学研究所脳科学総合研究センターと富士通は、
日本将棋連盟とタッグを組み、プロ棋士の脳波を計測する事で、
思考のメカニズムを研究する共同プロジェクトを開始した。

人間の脳は、コンピュータの構造と非常によく似ている。
左右に配置されたデュアルコアCPU(右脳と左脳)を中心として、
後頭葉にGPU、側頭葉にハードディスク、前頭葉にメインメモリが搭載されており、
それぞれを連動させて、頭頂葉に繋がれた運動野から命令を出している。
では、天才を生み出す脳の違いはどこにあったか。

答えはこのいずれにも無い―
尾状核という、コンピュータには存在しない機関が、
人間の思考において大変に重要な役割を果たしている
事が分かった。

(参照:プロ棋士の直観は努力のたまもの 理研、米誌に発表


―――


尾状核は、小脳と連動して随意筋の運動制御を行う機関である。
人間が立って歩けるのは、赤子の頃に何度も転んで「痛い」目に遭った事を
小脳が危険回避の内部モデルとして記憶しているからで、
自転車の乗り方を一生忘れないのも、再び「痛い」経験をしない為だ。
無意識の中でこうした反射行動が取れるのは、
運動制御の命令が運動野に伝達され、体にフィードバックしているからである。

一見すると人間の思考とは何の関係も無いように思えるのだが、
プロ棋士はここをフル回転させていたのだという。


小脳は、神経細胞の集まる箇所から命令伝達を行い、
失敗の信号を出した神経細胞の伝達効率を長期抑圧し、
成功に導く信号だけが運動野に伝わるようにする事で、
半永続的なフィードバックを可能にしている。

だが最近の研究では、小脳の命令伝達は運動野だけでなく、
思考回路を司る前頭前野にも行われている
事が、
小脳のアクセスを調べていくうちに分かってきた。

(参照:京大、小脳核が小脳からの運動/認知信号を仕分けしていることを発見

実際に、プロサッカー選手は一般人より前頭前野が発達し、
瞬間的な情報処理能力が高い事が知られており、
かつての日本の司令塔・中田英寿も、IQ128の天才脳の持ち主で、
ピッチ上で味方選手にスルーパスを通すがごとく、
小脳が記憶するピッチのイメージを基に、前頭前野が状況を判断し、
運動野へと縦横無尽にパスを送っていたようだ。

(参照:一流のサッカー選手は知力も高い スウェーデン研究チーム

プロサッカー選手が、何千何万のパスの成功例から、
状況に応じた最適解を選んで行動に移す判断能力を有していたように、
プロ棋士の場合も、小脳と連動する尾状核を動かす事で、
小脳に蓄積された何千何万もの成功例=棋譜の記憶にアクセスし、
最適解となる一手を判断していたのではないだろうか。


どうやら人間とコンピュータとの違いは、自力学習の習熟にあるようだ。
小脳を鍛えれば、前頭前野の判断の精度も上がり、
運動野を通じて随意筋を効率よく動かせるようになる。

人間の脳は、最適解を得る為の脳内活動を反復し、
まるでRPGの戦闘のように、経験値を獲得してレベルアップするのである。


―――

エンコード

↑メディア媒体を介した情報は、エンコード(圧縮)されている。


ところが脳内の経験値は、テレビや映画、活字や漫画など、
メディア媒体で記号表現された情報から得るのは、極めて効率が悪い。
あらゆるメディアの情報は、情報を受信する側ではなく、
発信する側の方が最適解を探し、巧みな記号表現を駆使して、
1つの意味に限定するよう伝えているからだ。

人間の脳内では、生命に関わる情報をを扱う脳幹網様体が、
リアル世界(リッチコンテンツ)に転がっている膨大な情報をキャッチしている。
この時、網様体は拾い上げた大容量の情報を整理する事なく、
アナログデータのまま、大脳(CPU)に送っている。
大脳は整理前の重たい情報を0と1のデジタルデータに変換し、
前頭葉(メモリ)にある前頭前野に情報処理させている。

情報処理の訓練を積んだその道のプロであれば、
ハードディスクに記録した成功経験を参照にした高速処理が可能だが、
一般人の場合、それがインプットされていないので、
イチから最適解を導き出す思考を組み立てなければならない。
あまりに情報の容量が大きいと、大脳から次から次に送られてくる情報が、
前頭葉で渋滞を起こし、メモリの少ないパソコンのように、
思考のウインドウを立ち上げたまま、フリーズする場合がある。

その為、メディアは予めアナログ情報をエンコード(圧縮)し、
前頭葉にかかる負担を軽減している
のである。


メディア媒体の弊害は、試行錯誤を経ずに最適解に辿り付ける
情報の分かりやすさと引き換えに、エンコードによって
リアル世界から獲得出来る経験値を大きく損失してしまう点にある。
高校球児に炎天下での練習を経験させずに、熱中症対策の本を読ませても、
真夏の甲子園の舞台を乗り切る事など出来ないし、
車に乗る人がドライビングゲームでハンドルやブレーキ捌きを覚えても、
運転免許は容易に取得は出来ないだろう。

エンコードされた情報は、何の疑いもなく受容され続けてきた。
もちろん情報が小さく圧縮されている分だけ、脳内のメモリ節約になり、
より多くの情報をインプット出来る長所はあるが、
それではコンピュータの持つデジタルな脳とまるで同じで、
インプットされたデータしか、アウトプット出来ない事を意味している。
前頭前野における判断力の発達具合も後退しかねない。


―――


桂木桂馬

↑クソゲーにはクソゲーの味があります。


誠に残念だが、漫画やアニメもメディアコンテンツである以上は、
記号表現によってエンコードされた情報であると言える。
特に最近は、単一化された属性を組み合わせるだけで構成された、
マクドナルドのハンバーガーのようなキャラばかりが生み出されている。
そして制限された情報ばかりを受信し続けていると、
リアル世界で試行錯誤を重ねてきたリア充と比較して、
小脳を鍛える時間的機会を損失しかねない。

リア充をアナログ脳の持ち主だと定義すれば、
アナログ脳は人間の感情を読み取る時、随意筋である表情筋や声唇だけでなく、
不随意筋である眼輪筋の変化や、声帯靭帯の緊張を、
場の空気として一瞬で読み取り、コミュニケーションに活かす事が出来る。
リアル世界には、メディアコンテンツには決して再現出来ない、
複雑極まりない情報がそこら中に転がっている。

『神のみぞ知るセカイ』の桂木桂馬は、現実なんてクソゲーだと言い切った。
それは桂馬の知るリアル世界が、本当にクソだったからではなく、
桂馬自身がリアル世界の最適解を見つけられず、思い通りに攻略出来なかった、
プログラム偏重なデジタル脳の持ち主だったからである。
コンピュータのようなデジタル脳に陥らない為には、
メディアがエンコードした1つの情報を、10だと信じてしまわず、
ハードディスクに記録された経験と勘を頼りに、
情報を受信する側が、デコード(解読)を施さなければならないのだ。


脳科学者の養老孟司は、デジタル脳に陥りがちな現代人に対し、
田舎で暮らし、畑を耕しながら生活する事を提言している。
体を鍛える事で脳を自在に動かせるようになるという、
実に理に適った生活スタイルであるが、おおよそ実践する事は難しいだろう。

より現実的な選択肢が、他にもある。
メディアコンテンツの記号表現によってエンコードされる情報は、
必ずしも意味が1つに限定されている訳ではない。 
10はいかないにしろ、小脳の内部モデルを形成するには充分なくらい、
メモリに負担のかかる大容量の情報を投げかける発信者も居る。
そうした情報を自在に扱えるようになれば、ひょっとしたら、
将棋のプロのように一瞬で最適解を探す判断力が養われるのではないか。

次回は、複雑なエンコードが施された記号表現を解読する為の、
デコードのプログラムの重要性を、より詳細に見ていこう。
  


ご清覧ありがとうございました。

【作画論】(2) 実像のイメージ化

ドラえもん

↑「ドラえもんの絵」を分解してみよう。


【作画論】
 (1) イメージの実像化
 (2) 実像のイメージ化


前回、「絵」を上手く描く秘訣は、頭の中のイメージに置き換えずに
実像の見たままを写し取るように描く事にあると定義したが、
誰しもそれが出来るのであれば、誰もが天才漫画家になっているはずである。

人間の記憶は、実像そのものをインプット出来ない。
作画をする度に何かを参考にしながら描くという訳にもいかない。
上達には、鮮明なままのイメージをアウトプットする技能の習得が不可欠だ。


今回は、記憶の情報量を左右する"解釈項"を解説しながら、
記憶を「絵」に落とし込む具体的な方法を挙げてみよう。


―――


情報(Information)とは、人間の脳の内部(in)に形成(form)される、
記憶の海に堆積した砂粒の1つひとつの事である。
複雑な記号表現を記憶する時、読み取られた情報はバラバラに分解され、
0と1の電気信号になるまで単純化が行われる。

これらを思い出す際は、ひと粒ごとを探すのは非常に困難であるので、
脳の内部では類似している情報を1箇所に集積し、
すぐに引き出せるように他の情報と関連付けて保存されている。


「絵」から得られる情報は、主に3つに大別される。


 ドラえもんのイメージを分解すると…?

3要素

 ・カラー(全体の色)
  全体から得られた最も印象的な色の情報。
  似たような色の記憶と照会され、パターン認識される。

 ・アウトライン(全体の形)
  大枠のイメージとして捉えられた形の情報。
  感覚記憶から海馬へと送られ、記号認識される。

 ・ディテール(詳細)
  単純化できない細かい部分の色や形の情報。
  感覚記憶として一時的に認識されるも、すぐに消失する。


 ※ 色情報の詳細はここでは省略。「記憶色」でご検索下さい。



視覚情報はまず感覚記憶に保存され、印象の大きいものから、
感覚記憶→短期記憶→長期記憶へと順を追って送られるが、
"解釈項(Interpretant)"は、記憶を呼び覚ます"鍵"の役割を果たすもので、
「ドラえもん」を思い出す時は、"青い"や"丸い"など、
いくつかの根幹情報を基に、情報全体の復元再生が行われる。

漫画はモノクロ印刷である為、カラー(色)以外が視覚情報として取得された後、
電気信号の粒子になるまで単純化されてから、
アウトライン(大枠)だけが、"丸い"として記号認識に至る。

しかし、ディテール(詳細)に関してはほんの1~2秒で失われてしまう為、
"首→鈴がある"、"お腹→ポケットがある"という風に、
具体的に関連付けて記憶しない限り、これらの情報は復元されない。


という事は、鮮明なままのイメージを再現するには、
このディテールをいかに記憶・復元するかが重要になるはずだ。


―――


だが、実際のプロ漫画家の多くは、ディテールには時間をかけない。
漫画の「絵」は、細かい描写を簡略化するからである。

前回で使用した「お花」を例に挙げてみよう。

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どちらの「絵」が上手いかと問えば、もちろんリアルな方の「お花」と答えるだろう。
しかし、極端に写実的な描写は漫画には全く向かない。
こんな花が背景に咲いていたら、より描くべき物や人が埋もれてしまう。
かと言って記号的な「お花」を背景に据えると、今度はチープになる。

もう少し工夫したい所だが、どのようにすれば良いか?
ディテールを簡略化して、実像のアウトラインだけを活かすと良い。

漫画の絵

これで漫画の「絵」にぐっと近付いたはずだ。
元のイメージと比較してみよう。

イメージのおはな

さて、どちらの「絵」が上手いだろうか?
当然ながら、鮮明なイメージの「お花」の方を選ぶだろう。

これは、花の"解釈項"として挙げられる花びらの枚数や形などの必要条件を、
単純構成された左の「お花」より完璧に満たしているからで、
同じ記号でも"解釈項"の数が多いほど、伝わる情報の量も多くなる。

イメージと符号させればどちらも花であるのに違いは無いのだが、
アウトラインが実像に限りなく近いなら、それを見た人の頭の中では、
脳神経をリレーして、ディテールまで忠実に記憶が復元される。
他者の中にある記憶をはっきりと蘇らせるのは、
自分の中のイメージがより鮮明になっている「絵」の方だ。



解釈項

→ ディテールの記憶が復元されず、「下手」だと感じる。

解釈項

→ ディテールの隅々まで復元され、「上手い」と感じる。



このように、漫画の「絵」はアウトラインを正確に描くだけで、
イマジネーションを喚起し、鮮明なままのイメージを伝える事が出来る。
つまり上手い「絵」を描くなら、記憶の定着に不必要な細部の再現にこだわるより、
アウトラインを徹底して練習した方が効率的に上達できると言えよう。

あやふやなイメージで描いたものに、どれだけ細密さを付け足しても、
ヘタクソに見えてしまうのは、この為だ。


―――


人物を描く場合、少なからず漫画を描いた事がある人なら、
多くの場合は、人物の「顔」を描く練習をひたすら反復している。
決して間違いではないが、そればかり練習していると、
頭の中にインプットされている同じ角度からの「顔」しか描けなくなる。
イメージに無いものをゼロから生み出す事は、
人間の記憶のメカニズム上、不可能であるからだ。

漫画の専門用語では、アウトラインの事を「アタリ」と呼ぶ。
固定されたイメージから脱却するには、色んな角度からのアタリを練習し、
そこに「目」や「口」をはめ込んでいくように描くと良いだろう。

※ アタリについて
 引用:漫画考察 - 漫画の描き方を考える - / テキスト


実像は客観的で、イメージは主観的なものだ。
漫画の「絵」はイマジネーションの産物であるがゆえに、
客観的な観察眼の他にも、主観的な想像力を鍛え上げなければならない。

それが出来るプロの漫画家のように「絵」が上手くなるには、
記憶の引き出しを増やし、イメージをより多く蓄積させる事こそが、
単純な反復練習を続けるよりも重要なのである。



ご清覧ありがとうございました。

【作画論】(1) イメージの実像化


ドラえもん

↑「ドラえもん」の絵を、何も見ずに描いて下さい。


【作画論】
 (1) イメージの実像化
 (2) 実像のイメージ化


漫画は言うまでもなく、「絵」で表される芸術である。

登場人物の台詞が無くても、凝ったストーリーを考えなくても、漫画は成立する。
「絵」は漫画である事の、唯一の必要条件なのだ。


では、「絵」が上手い人と、そうでない人の違いは何だろうか。
同じものを描くにしても、人によって作画の巧拙があるが、
それを「才能」という言葉に置き換えてしまうと、違う理由は分からなくなる。

上手い「絵」には、上手いだけの理由がある。
ゆえに、上手く描く為には、上手な「絵」のメカニズムを基礎にしなければならない。
その為にも、感覚的な作画からいち早く抜け出す必要があるだろう。

作画論では、まず作画のメカニズムから明らかにしていこう。


―――


例えば、「ドラえもん」の絵を描いたとする。
「ドラえもん」を知らない人は日本にはまず居ないだろう。
このキャラクターの一般的な理解度を100%と仮定した場合、
描いた「絵」が似てるかどうかを判断するのは、「ドラえもん」の"解釈項"である。

「ドラえもん」の"解釈項"を抜き出してみよう。

 ・ 22世紀のネコ型ロボット。
 ・ 腹部にポケットが付いている。
 ・ 鈴の付いた首輪を装着している。
 ・ 球状の頭部と胴体。丸くて太め。
 ・ 短い手足。やっぱり丸い。
 ・ 体は青、顔と腹部は白のツートン色。
 ・ 鼻としっぽの先は赤色。
 ・ 耳はかじられて無くなった。



では、上に挙げた特徴だけで、「ドラえもん」を何も見ずに正確に描けるだろうか。

世間一般に100%理解されたこのキャラクターですら、
頭の中にあるイメージを、実像としてアウトプットする事は難しいだろう。


―――


「絵」を描くという行為は、イメージの実像化に他ならない。

別の例を挙げると、「お花」を描いて下さいと学校の先生に宿題を出されたとしよう。
多くの人は、下図のような絵になるのではないだろうか。
おはな
↑ イメージで描いた「お花」の絵。


「お花」の絵の"解釈項"を挙げてみよう。

 ・ 花びらは平均して5~8枚。
 ・ 葉っぱは2枚。
 ・ 花びらの中心に黄色い丸がある。

これがイメージとして描かれる「お花」の特徴である。
"解釈項"の数が、実像から抜き出した時より限られている事が分かるだろう。
しかし、イメージだけで描き出された「お花」は、
いつどんな時でも、誰が描いても、ほぼ100%同じ特徴になる。


では、実際の「花」はどんな姿をしているか、確認してみよう。


お花

↑ 「花」の実像。


「花」は太陽の方に向き、花びらは立体構造になっていて、
太い茎から数本の花茎が出ており、1本1本のその先に咲いている。
葉っぱも2枚だけでなく、養分を集める為に何枚も生えていて、
花びらの中心には雄しべと雌しべがあり、受粉しやすいように上に伸びている。

イメージで描いた「お花」とはまるっきり異なるはずだ。


―――


なぜイメージで描かれた「絵」が、実像と結びつかないのか?
それは記憶力と関係がある。人間が実像そのものを記憶出来ないからである。

物を記憶をする時、記憶の対象はいくつかの"解釈項"に分解され、
バラバラにされて脳内にインプットされる。
それを取り出す時は、バラバラにされた情報同士をリレーして呼び起こし、
元の状態に繋ぎ合わせてからアウトプットされる。
この時、断片化された記憶の"解釈項"が曖昧であったなら、
組み上げられる「絵」も曖昧になってしまう、という訳だ。


「絵」が上手い人は、例外なく観察眼に優れた人で、
他人より多くの"解釈項"を見つけ出し、記憶としてインプットする事が出来る。
抜き出された情報の数が多ければ、いざ「絵」を描くときに、
より完璧に情報を元通りにする事が出来るので、それだけ実像に近いものになる。

逆に、「絵」が下手な人は、実像の記憶を思い出して描くのではなく、
バラバラになった記憶の欠片の中から、極めて象徴的な特徴だけを拾い集めた、
記号化されたイメージだけで描いているのである。

上手い「絵」を描く為に必要なのは、頭の中のイメージに置き換えず、
見たままの姿を写し取るように描く事だと言えるだろう。


―――


絵画の世界では、前者を「写実画」といい、後者を「象徴画」という。

ピカソの「絵」が一見するとものすごく下手くそに見えてしまうのも、
作画のメカニズムが、幼い子供の描く「絵」と同じで、
目の前にある実像を見ながら描いているのではなく、
"象徴"として頭の中に渦巻いているイメージを描いているからだ。

しかしながら、ピカソは写実画もべらぼうに上手かった事が知られている。
写実画とは、読んで字のごとく、実像を写し取った「絵」であるが、
優れた画家は、実像というインプットが無い状態から、
頭の中にある鮮明なままのイメージをアウトプットする事が出来る。


漫画もやはり、鮮明なイメージのアウトプットが不可欠であるが、
漫画の「絵」を上達させる秘訣は、実像を出来るだけ克明に描くだけでなく、
「お花」の絵ように、特徴を出来るだけ絞り込んで描く事にある。

次回は、"解釈項"についてより詳しく解説しつつ、
「お花」の絵を実際にバージョンアップさせてみよう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(3) ソーシャルゲームは世界を獲れるか


ソーシャルゲーム


↑ソーシャルゲームの未来予想。
 引用:世界で勝てない日本のゲーム業界」

 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1462


現在のコンテンツ産業は、最初に述べたように、
総じて縮小傾向にあり、有効な打開策を未だ見出せていない。
衰退の原因はいったいどこにあるのか。

これはコンテンツを供給する企業が、ソフト開発のノウハウを、
つまりフォーマットを築けなかった事にある。
アニメやゲームなどがそうだが、ソフト制作を下請けに丸投げしている為、
発注をかけた大元の会社に開発力が蓄積されないのだ。


現在において開発力を発揮している企業は、
フォーマット制作にも着手し、メインコンテンツの品質維持に努めてきた。

特徴的な例として、ゲーム業界を見てみよう。
『モンスターハンター』の大ヒットで知られるカプコンは、
『ドラゴンクエスト』など主力製品までをも下請けに出している
業界トップのスクウェアエニックスと一線を画した経営方法を取り、
勢いを失ったタイトルシリーズのみを下請けに出し、
資金のありったけを主力製品に注ぎ込んで、開発力を維持している。

カプコンは「MT Framework」というゲームエンジンを既に持ち、
『デビルメイクライ』、『戦国バサラ』、『バイオハザード』など、
様々なゲームに応用する事で、安定した品質を早く提供出来るようになった。
スクエニにも『FF13』に用いられた「Crystal Tools」というエンジンが存在するが、
例えばこれを『ドラクエ』や他タイトルに応用するなどは出来ず、
開発環境が分散している感は否めない。

日本のゲーム業界が、ここ5年間で海外に大きく水をあけられたのは、
こうした開発環境のノウハウが蓄積されてこなかった為だ。
RPGなどの売れるコンテクストを使い回して技術向上に目を向けなかった間に、
海外ではゲームエンジンをオープンプラット化して広く提供し、
ユーザーの手でプログラムをいじれるほどにまで進化している。
こうした世界と戦っていく為に、カプコンは日本製のフォーマットを作り、
ソフト開発を平滑に行う環境を整えたのだろう。

これは、海外進出における日本のビジネスモデルとして、
1つの指針となるのではないだろうか。


―――


例えばアニメ。

プリキュアシリーズのエンディングでは、コナミが開発した
「トゥーンレンダリング」というフォーマットが伝統的に用いられている。
セルシェーディング技術の分野ではディズニーが先鞭をつけていたが、
フォーマットとしては根付かず、とっくに手を引いている。
ピクサーの監督が2009年に発表した作品も、2Dアニメだった。
海外ではアニメは「子供が見るもの」と認識されている為、
映画では3Dを本物に見せるもの凄い技術が使用されているものの、
3Dを2Dのように見せる技術的な下地は育たなかったのである。

初音ミクの海外進出の例を見ても、ヤマハの「VOCALOID」という
技術的背景があったからこそ、世界に冠たる日本製コンテンツとなり得た。
英語圏では、機械の耳で of と ob などの区別が付けられない。
ゆえに音声認識技術が定着せず、その間隙を初音ミクは突いたのだ。


日本のアニメ制作会社がトゥーン技術を武器に現地法人を立ち上げれば、
海外の3Dアニメの市場を独占できる可能性があるし、
それほど高い随一の技術を日本は有している。
海外進出のリスクは、それこそ政府がサポートすれば良い。

問題は、政府がここまでの背景を認識していない事だ。
ノウハウ蓄積の為には、まず雇用の流動化を防がなければならない。
アニメ制作会社のスタッフはフリー契約を強いられており、
年収100万円台というのもザラで、3年以内の離職率が9割にのぼる。
このような環境下では、技術的なフォーマットの開発など不可能だろう。

こうした苦境にある人達をNPO法人がサポートしているものの、
本当にサポートすべき立場にあるのは、クールジャパンを掲げる政府である。


―――


そんな中でも、デジタルコンテンツ産業においては、
唯一と言っていいほど、右肩上がりの成長を続けてきた。

引用:INTERNET Watch様「日本のコンテンツ産業の黄昏」
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/yoake/20100928_396436.html

特に、近年で著しい成長を遂げたのがソーシャルゲームであり、
DeNAから業界トップの座を奪い取ったGREEは、
世界進出に焦点を合わせて、着々と歩みを進めている。

なぜここまでの成功を収める事が出来たのか?
それは引用元にある通り、携帯電話というフォーマットの普及にある。

海外でソーシャルゲームと言えば、PC市場がメインで、
米国のジンガや英国のプレイフィッシュが確固としたシェアを築いているが、
スマホ市場の方ではリーディング企業がまだ存在していない。
後発の日本もまだ割って入れると見る事が出来るだろう。


が、問題な点が2つある。
課金者が圧倒的少数なのと、パケット定額制廃止の流れである。

前述のジンガは2億3000万人の世界一のユーザー数を抱えながら、
課金者は770万人しかなく、全体の3%に満たない。
1人当たりの売上高はわずか3.5$、日本円換算で283円で、
DeNAの4100円と比較すると、利益誘導率が低い事が分かる。
これはジンガの経営手法のせいではなく、 海外の特色なのである。
DeNAはかつてfacebookと組んで同様の問題にぶつかり、
海外PCソーシャルゲーム市場への進出を断念している。

その上、海外ではモバイル環境に対するキャリアサービスが遅れている。
接続料金がべらぼうに高く、モバイル決済化も進んでいない。
ネットにつなぐ時は、自分でPOPやSMTPまで設定しなくてはならない。
さらに世界最大手のベライゾンと、iPhoneのキャリアであるAT&T、
世界のツートップがパケット定額制から従量課金制へと移行しており、
インフラ環境になるべくお金をかけない姿勢を鮮明にしている。

スマホが世界中でこれだけ普及し、ソーシャル化も進んでいるのに、
スマホ市場に広がりが見られないのには、それなりの理由があるのだ。


―――


ご存知のように、日本は各キャリア会社がパケット定額制を敷く事で、
デジタルコンテンツ産業の成長を後押ししてきた。
海外のように早いうちから従量課金制にシフトしていたら、
GREEもDeNAも、現在のビジネスモデルから手を引く他は無かっただろう。

GREEが海外に目を向けているのにも、やはり懐疑的にならざるを得ない。
日本のキャリア会社と1セットになって海外でもインフラ整備し、
それを政府が支援をしていくというなら別だが、いくら何でも話が大きすぎる。
携帯電話を使ったクラウドビジネスは、トラフィックの限界がある以上、
日本でも、そして海外でも、先が見えているのである。

しかし、顧客を囲い込むビジネスモデルは海外に持ち込める可能性がある。
DeNAや海外企業は会員数を伸ばす事で収益を上げるモデルを採用しているが、
GREEは顧客1人当たりの単価を伸ばすモデルを採用し、成功している。
海外が目を向けない方法で市場の間隙を突くのは、
方向性としては決して間違ってはいないのだ。


デジタル分野においては、コンピュータの歴史を開拓してきた海外に、
日本が技術面で追い付く事は恐らく無い。質量が違いすぎる。
こうした現状に日本が対抗するには、海外には無い視点から生まれた
「トゥーンレンダリング」や「VOCALOID」など、
日本独自のアイディアをフォーマット化してきたように、
オンリーワン技術を用いて顧客を魅了し引き付けるコンテンツを作り、
なるべくトラフィックに負荷がかからないよう、
ダウンロード販売という形で提供していくのが最良だろう。

日本のデジタルコンテンツ産業が右肩上がりで成長してきたのは、
ダウンロードコンテンツの内容と販売網が優れていたからだ。
逆に、音楽配信がここ最近は売り上げを落としているのも、
やはり内容の問題であり、違法ダウンロードのせいではない。

ソーシャルゲームの喫緊の課題は、内容の拡充である。
顧客満足という、ビジネスの原点に立ち返るべきだ。
ビジネスモデルに依存した販売方法だけでは、息は長くは続かないし、
まして海外に輸出する事など出来るはずもないだろう。
だが、もしも任天堂のようなアイディアがGREEから生まれたら、
顧客単価を高めるモデルがフル活用出来るのは間違いない。


コンテンツ産業の未来は、ダウンロード販売にかかっている。
その為にもまずは政府が開発環境の支援策を打ち出し、
海外でも通用する強力なコンテンツにしていく事が必要である。


―――


最後は漫画道場らしく、漫画の話で締めたい。

次回、フォーマット制作に尽力した1人の男の苦悩を描いた
『へうげもの』から、今後の日本がどうあるべきかを学んでいこう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(2) ジャパンフォーマットの確立


銀魂

↑表現規制の矛盾点を皮肉たっぷりに言い当てている。


世界における日本の立ち位置というのは、どういったものか。
これこそクールジャパンで最も重要なポイントであると見られる。


日本と韓国のブランド価値を比較するのが早い。

韓国は世界経済がブレーキのかかった2009年以降も着実に成長を遂げ、
製造業などで日本を凌駕するほどの外需大国になった。
韓国のイメージは飛躍的に向上したとは言えるだろうが、
サムスン経済研究所が今年2月に発表した各国の国家ブランド価値によると、
韓国は実体が15位、イメージが19位という調査結果を出しており、
「周辺国からの認識は変わっていない」と冷静に分析している。

一方の日本は、実体が4位、イメージが1位という結果だ。
日本はいまだに「憧れ」の存在なのである。


まず認識すべきは、「憧れ」の対象が"日本"ないし"日本人"だという事で、
日本の独自コンテンツへの「憧れ」だと見誤ると、痛い目を見る。
クールジャパンを阻む3つの障壁、即ち、造形・コンテクスト・文化の違いは、
まず乗り越える事が不可能な、如何ともし難いものである。
つまり、この壁にまともに挑みかかるのは上策とはとても言えない。
別の角度から方策を練る必要があると、ここでは定義しよう。

日本のストロングポイントは何か?
「憧れ」という観点から、これを論じていきたいと思う。


―――


日本への「憧れ」の起源は、13世紀(鎌倉時代頃)のヨーロッパに、
かのヴェネチアの商人、マルコ・ポーロが伝えた『東方見聞録』に遡る。
この頃はまだ東洋の伝説に過ぎなかったのだが、
1854年の江戸開国を契機に実態となり、ヨーロッパでジャポニズムが起こる。

ジャポニズムが流行する以前のヨーロッパを、象徴するデータがある。
それが、都市別に見た市民の識字率だ。

18世紀のヨーロッパはエリートにしか教育を受ける権利が認められておらず、
識字率がロンドンが20%、パリが10%と、信じがたいほど低い数字が並んでいる。
それに対し江戸は70%と、当時としては驚異的な高さである。
江戸時代の高度な大衆文化の背景には、「読み書き算盤」の民間教育があった。


江戸時代にもやはりハイカルチャーは存在した。
漢詩や和歌、能や狂言など、古来から引き継がれてきた貴族文化がそれに当たる。
しかし、江戸時代が他の時代と決定的に異なるのは、
民間教育によって育まれた町人の高い知恵が貴族文化を理解し、
完全に会得してオリジナルの大衆文化を次々に生み出した所、
またそれを生み出す下地として、200年以上の太平が続いた所にある。

例えば、尾形光琳は公家から直接仕事を依頼される民間デザイナーであったが、
同時に公家文化に使われていた芸術的なデザインを、
町人が使用する日常品にも施し、大衆文化のレベルを引き上げた人物である。
しかも恐るべきは、町人がその卓越したデザインを理解した事だ。


ヨーロッパでウケたのは、日本の貴族や公家の文化では無い。
サブカルチャーである大衆文化に驚嘆の目が集まった。
なぜなら、これほど高い文化が一般市民にまで広く浸透している事が、
ヨーロッパでは常識を覆すほどの大事件だったからである。


―――


クールジャパンがジャポニズムと比較されるのは、
日本のハイカルチャーではなく、サブカルチャーが受け入れられている為だ。

江戸時代の大衆文化には芸術が取り入れられている事はご理解頂けただろう。
では、現代の大衆文化である漫画やアニメ、ゲームなどに
江戸の町人が生み出したような優れた精神性や芸術性が有るかどうか、
実はこの点が、現代では江戸時代ほど理解をされていない。


例えば漫画。漫画があまりにも簡単に読めすぎてしまう事は、
夏目漱石の令孫、夏目房之介の著書『マンガはなぜ面白いのか』にある通りだ。
しかし、簡単に読めすぎてしまう事で、そのものまでが簡単であると、
そう思われているのが、悲しいかな、漫画の現状である。

漫画のネームを描く時、顔の下絵には縦と横に中心線を引く。
何気なく、自然にやっているので気付かない人も居るかもしれないが、
この時のお手本となる比率は、前回に述べた「白銀比」が基になっている。

それからキャラクター、これはキャラクター論で述べた通り、
「記号論」の中でも最も難しい「シンボル哲学」で示されている内容を、
いともたやすく実践し、魅力的なキャラを創作するに至っている。

そしてこれを「子供にも分かる」ほどに作中に上手に落とし込み、
難しさを感じさせないほどすんなりと読めるようにしたのが、漫画である。
ここに挙げた例はほんの一例にしか過ぎない。

アニメやゲーム、その他映像作品についても同様で、
日曜の朝に放送される子供向けの仮面ライダーやプリキュアにまで、
相対性理論などの難しい学論や、黒沢明が使用した映像表現を、
子供でも簡単に見れるレベルにまで落とし込まれている事は、
それぞれのファンから毎年のように指摘されている。

知らないのは、ハイカルチャーこそが日本の正統文化だと信じてやまない、
サブカルチャーを子供のものと決めつける大人だけなのだ。


―――


日本の知的財産は、「子供でも分かる」フォーマットで作られていて、
それが海外に引っ張りだこであるという。

例えばテレビ番組は、制作した番組=ソフトではなく、
番組のフォーマットを丸ごと海外に輸出し、成功を収めている。
「SASUKE」が海外でブーム、という話を耳にした事がある人も多いだろう。

海外での日本への関心は非常に大きいもので、「憧れ」と呼ぶ他にないほど、
多様な文化を生み出す日本人は、世界中で肯定的に捉えられている。
だが、造形・コンテクスト・文化の違いによって、
日本製のソフトは海外では受け入れられず敬遠される事が多かった。
その為、制作に必要なフォーマットだけ売り込む手法が、
テレビ業界を中心に取られるようになった。

これに続いたのがAKB48で、アイドルを売り出すフォーマットを
そのままジャカルタに輸出し、「JKT48」なるユニットを生み出した。


では、日本が世界に誇る漫画やアニメはどうかと言うと、
フォーマット競争からは遅れを取り、今でもソフトを売り込もうとしている。
Puffyを例に挙げると、海外でこの2人のアニメ著作権を取得したのは、
日本のアニメ制作会社ではなく、米国のカートゥーンネットワークである。

しかも日本は、漫画やアニメに輸出産業としての価値を見出した頃から、
輸出の障壁となる「子供」を感じさせる表現方法の規制を強化し、
「子供から大人まで楽しめる」はずだった大衆文化を、
わざわざ「子供」と「大人」に分けて売り出そうとしている。
ソフトではなく、フォーマットに対しての規制というのが問題点だ。


最も顕著な例が、あの悪名高い東京都の青少年保護育成条例である。
結論から言うなら、この試みはマイナスの経済効果を生んだ。
都知事自ら開催を提案した東京国際アニメフェアの出展者と来場者を減らし、
余ったシェアを中国に根こそぎ奪われた為だ。

参照:朝日新聞〈甲乙閑話〉アニメフェアの分裂で
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201204170284.html

日本のストロングポイントは、ハイカルチャーで培われた
高い精神性や芸術性を、「子供にも分かる」までに落とし込んだ所にある。
かつて石ノ森章太郎が"漫画"という言葉に対し、面白いだけでなく、
様々な表現を用いる事が出来るようになったとして、
万人の嗜好に合うという意味の"萬画"という言葉に置き換えたように、
大衆が育んだ漫画やアニメなどのサブカルチャーは、
他国では見る事の出来ない、万人の為の貴重なフォーマットであったはずだ。
そこを、規制論者は読み違えていたのだ。

日本のサブカルチャーは、表現規制との戦いの連続であった。
男女のセックスが認められなければ、「やおい」などの表現が生まれ、
裸体を描く事も取り締まられると、そこから「萌え」が生まれた。
新しい表現の創出は、このようにして行われてきた。
そうしなければ出版業界は生存競争を生き残れなかったからである。

出版業界はコンテンツ産業の中では最も早くに衰退を迎え、
1997年から市場が縮小傾向にあるが、この前年となる1996年、
ストックホルムにて児童ポルノに反対する世界会議が開催され、
日本でも同年に国会で審議入り、業界でもこの年から自主規制を始めている。
この件はむしろ積極的に取り締まるべきだとは思われるが、
表現規制と市場縮小には高い相関性が見られるのは間違いない。


やたらめったらと規制を振りかざせば、その分だけ創作性は萎縮する。
漫画表現には、素性のはっきりとした精神性および芸術性と
使い回しの利くフォーマットが存在する事は、萌え論などで示した通りだ。
では、このコンテンツの文化背景をも正確に把握していた人物が、
規制論者の中に果たしてどれだけ居ただろうか。
規制の対象に挙げられるエロパロディを描いていた同人出身の作家の中には、
文化庁が推薦したあずまきよひこや吉崎観音も含まれている事を、
規制に賛成した議員のいったい誰が理解していただろうか。

これ以上の表現規制が続けば、さらなる市場縮小は免れないだろう。


―――


当道場の結論を述べよう。

漫画やアニメも、テレビ業界のようにフォーマット販売に着手し、
ソフト依存から脱却を図るべきである。
権利の上で優位に立つ日本が海外で苦境に立たされるのは、
自分のストロングポイントを伝え切れていないからだ。

ソフト規制はもちろん必要であるし、より議論されるべきだと思うが、
表現方法にまで議論が及ぶのは、断じて許されるべきではない。
フォーマット規制は経済論の観点から見ても害悪にしかならない。
例えるならそれは、海外で浮世絵が人気であるのに、
けしからん絵があるからと言って国内で全てを規制をするようなものだ。
江戸時代にも確かに春画(エロ本)へのソフト禁令は出ており、
海外への輸出においても春画だけは見送られていたとは言え、
表現方法に対して具体的な規制が取られた事は無い。
後の明治政府が輸出に踏み切った際も、ソフト規制までに留めている。

葛飾北斎や歌川広重などの大作家も、春画を描いていた。
しかもそれは西洋には存在しない、直線と曲線を組み合わせた、
不規則で非対称な構図を用いた芸術的な表現方法で描かれていた。
もしもこの時、江戸幕府がフォーマット規制に及んでいたら、
黄金比の芸術に縛られすぎていた西洋の絵画の構図は、
ずっと早くに行き詰まりを迎えていたに違いない。

表現方法にまで軽々しく口を出してしまうと、
こういった可能性の芽も摘みかねないのである。


日本が優れているのは、コンテンツ産業そのものではない。
AKB48が素晴らしいアーティストで、萌えアニメが世界に通じるアニメだとは、
おそらく日本人ですら胸を張って答える事は出来ないだろう。
海外が「憧れ」ているのも、日本のコンテンツに対してではなく、
多様な文化を生み出すフォーマットの方なのだ。

考えてみて欲しい。他の企業に営業をする上において、
自分のストロングポイントを理解しないまま売り込む営業マンが居るかどうか。
日本が「国策」としているサブカルチャーを中心としたコンテンツ産業は、
このような自信の無い営業マンに浮沈の行方を託しているのである。


しかしながら、日本の現状は悪いばかりではない。
デジタルコンテンツ産業がどのジャンルでも右肩上がりにあるなど、
光明のさしている分野もいくらかある。

次回は、デジタルコンテンツ産業とフォーマット競争の現状について、
今度は肯定的な立場から述べていこう。
 



ご清覧ありがとうございました。

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