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【萌え論】

【萌え論】(3) 『けいおん!』の甘美な世界

ブログネタ
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けいおん!

↑芸術美の粋を結集させた『けいおん!』、詩的ですらある。


「萌え」がパラフィリア(倒錯)であるとしたら、
あたかもそれが「エロ」であるかのようにユーザーに錯覚させる手法は、 
90年代後半には市場として成立し、大きな成功を収めている。 
これらはコミックマーケットを通じて二次作品化されていくのだが、 
この時、多くの同人作品が「エロ」要素を再び付け足し、 
エロパロディとして先祖返りを果たしているのだ。 

アダルトコンテンツから全ての「エロ」を取り除いても、 
ユーザーの倒錯によって「エロ」を補完する。 
これがアダルトコンテンツと血を分けた美少女コンテンツの、 
そして「萌え」の弁証法的な相関性である。 


「萌え」は「エロ」と同じで、それさえあれば、 
ストーリーテリングが無くとも作品としての体をなしてしまう。 
しかし、当然ながらそのような引き算だけの構成ではなく、 
残されたものをいかに純度を高めるかに主眼が置かれている。 

こうした観点から、「萌え」史上における空前のヒット作・ 
『けいおん!』がなぜ大きな支持を集めたのかを探ってみよう。 


―――


『けいおん!』の恐ろしさは、引き算の徹底と、 
芸術美の粋と思えるほどまで高められた掛け算の構造にある。 
ターゲットとなるユーザーが"不快"に思う描写を徹底的に排除し、 
"快"に思う描写を、最高の作画・最高のキャラ・最高の演出で掛け合わせ、 
100%に近い共感を得る相乗効果を生みだしているのだ。 

『けいおん!』では、女子高生なら必ず通るであろう恋愛経験を、 
登場人物の誰1人として通過していない。 
そもそもこの原作には、男性キャラがほとんど登場しない。 
主人公・平沢唯の父親、桜が丘女子高校の古文の先生、 
楽器店の店員、コンビニの店員、この4人だけ。 
ラフ画のみに登場した琴吹家執事、桜が丘高の校長と、 
原作続編で出てきた純ちゃんの兄を含めても、たった7人。 
舞台が女子高とは言え、男性の交友関係すら明かさぬ徹底ぶりだ。 

次に、日常作品と言われながらも、トイレやお風呂のシーンが無い。 
アニメ版で梓のトイレシーン、原作続編で浴場シーンが追加されたが、 
それまで『けいおん!』には下の描写が存在しなかった。 
男性キャラの件を含めても、他の萌え作品には、 
例えば『あずまんが大王』の「よみ」が便秘だったり、 
スタイルを気にしてダイエットしてたりするシーンがあるが、 
この漫画はそれを意図的にカットしていると見られる。 

さらには、過度な努力シーンが無い事も特徴のひとつだ。 
『BECK』では主人公の「コユキ」が、バイトしてお金を貯めたり、 
ギターの弾きすぎで指の皮が剥けたりする描写がある。 
ところが、軽音部員は放課後の音楽室で皆で楽しくお茶を飲み、 
陰で必死に練習しているにしても、表立った描写は抑えられている。 
やはりこれも、伝えるべき必要の無いものとして、 
作者が意図的に排除しているからだろう。 

このように『けいおん』には、悪意、汚辱、苦痛など、 
あらゆる"不快"な描写の一切が取り除かれ、 
"快"の描写だけが選別され残されているのが分かる。 
「桜が丘女子高」というユートピアを生み出す為の下地が、 
引き算の徹底によって形成されているのである。 


残された"快"の描写は、ここから更に純度が高められる。 
『けいおん!』では、音楽的な役割がキャラとして与えられている。 
リードギターが先行し、リズムギターがそれを追従し、 
ドラムスは自分のペースを守り、ベースは周りの人に合わせ、 
キーボードは後ろから見ている、といった感じ。 
軽音部員の1人ひとりが楽器であり、軽音部自体が1つのバンドのように、 
まとまりをより感じさせる為の横の繋がりが細かく設定されていて、 
ユーザーが作品に入り込みやすい空気を生んでいるのである。 

そこに、ユーザーが好みそうな猫耳やコスプレの要素も取り入れ、 
いわゆる属性と呼ばれる演出効果でキャラへの感情移入を高めている。 
例外的に沢庵の子だけは演出に失敗し人気を落としているが、 
リズムギターの子を「にゃん」付けしたり、ギターに名前を付けたり、 
キャラクターの付加価値を上げる試みはおおむね成功している。 

その上で、アニメ版ではキャラクターデザインを手掛ける 
堀口悠紀子が原作より優れた"黄金比"の絵柄を導入して、 
極めて質の高いアニメーションをユーザーに提供している。 
キャラ・作画・演出、完璧なまで三重奏。 
まるで口どけする甘いチョコレートのようだ。 
チョコレートの"素材"本来の味であるカカオの苦みを取り除き、 
そこに甘さを加えて、最高のスイーツになるよう調味されている。 
芸術美の粋を結集させ、甘美な世界を作り上げたのである。 

『けいおん!』の悪い点をあえて挙げるなら、 
展開の起伏に乏しく、作品としての変化が無い所か。 
同じような"快"の描写を再生産して繰り返し使用しているので、 
甘いのが苦手なユーザーからの共感は得にくいだろう。 
ユーザーの嗜好は多々あれど、甘いもの好きにはたまらない、 
そんな作品に仕上がっているのではないだろうか。 


―――


これと逆の事をやったのが、『げんしけん』の作者・木尾士目が
『月刊アフタヌーン』で2010年まで連載していた『ぢごぷり』である。 

『けいおん!』では"快"の描写を残して増幅させていたが、 
『ぢごぷり』は"不快"な描写を残して増幅させている。 
キャラ設定、属性効果、"黄金比"の絵柄を用いた点までは同じで、 
あらゆる悪意、汚辱、苦痛を克明に表現する事を試みた。 
例えるなら、カカオ99%のビターチョコレートだ。 

だが、『ぢごぷり』は結果的に読者からの共感を得る事に失敗した。 
起伏に乏しく、育児に疲れて落ちていくだけの暗い展開を、
甘味好きの読者にネガティブに取られてしまったのだろう。 
この漫画は巻行2冊で打ち切られ、木尾は人気のあった 
『げんしけん』の続編を新たに描いている。 


なぜ両者にこのような差が生まれた生まれたのだろうか。 
ここでヒントとして出てくるのが、倒錯である。 

プラス要素とマイナス要素、極性の違いはあれど、 
『けいおん!』と『ぢごぷり』に用いられた技術は同じものだ。 
だが不思議と『けいおん!』には萌えて、『ぢごぷり』には萌えない。 
これは、『ぢごぷり』からは「エロ」を感じない事とイコールで、 
すなわち倒錯が発生しないからであると考えられる。 

『ぢごぷり』には、おっぱいがたくさん出てくる。 
"黄金比"にとても近い絵で、ぷにゅぷにゅと柔らかそうに描かれている。 
しかし、それらは例外なく授乳器としての機能を果たすのみで、 
「エロ」としての倒錯は起きにくかった。 


育児は、もれなく"快"と"不快"の両方がついてまわり、 
"快"で得られる充足が大きいから、"不快"に耐えられるのだろう。 
これまでの育児漫画は、その両極性をカバーし、 
作品の"象徴"とする事で、多くの読者からの共感を得てきた。 
しかし、どちらか一方を意図的に削ったとするなら、 
穴埋めに別の何かを持ってこないと、作品として成り立たなくなる。 

その補完こそが倒錯であり、『けいおん!』の「萌え」であった。  
『ぢごぷり』は倒錯による読者の穴埋めがなされなかった。 
ゆえに、同じ技術を用いた両作品に差が付いてしまったのだろう。 


―――


こういった倒錯を一種の芸術美として感じさせるには、 
外堀を隙間なく埋めるような周到さと、確かな技術が要る。 
よつばと!』の回で川端康成の共通例を挙げたように、
「萌え」にはモダニズム文学に通じる技術が実際に使われた作品もある。
俳句でも、17文字まで短く削り取った文章から
大きな世界を想像させる手法が古くから用いられており、
そういった意味では「萌え」は詩的であるのかも知れない。

『けいおん!』は、残したコンテクストが高いレベルでまとまるように
"快"の描写をひたすら描き続け、感情移入を高めている。 
優れた作品であるならある程度のバランスを維持しているものだが、
狙ってやらなければ出来ないのが、"黄金比"のバランスである。

この作品は、原作者かきふらいと制作会社の京都アニメーションにより、 
売れるコンテクストとして初めから計算されていたのだ。


 この記事はアニプレッションに投稿しました。

※後記
 アニメ版のトイレシーンにて、記載漏れがあったようです。
 唯ちゃん達もトイレに行った事あるんですって…。
 原作のコンテクストではこの違いは結構重要なんですけどね…。
 


ご清覧ありがとうございました。

【萌え論】(2) 倒錯の芸術美


同級生トゥハート

↑『同級生』と『To Heart』、どちらが"黄金比"に近いか?


現在の「萌え」を芸術美の完成、つまり"黄金比"としてみた場合、 
"黄金比"が確立する前の「萌え」の原型となる絵柄は、 
90年代に流行した、恋愛をテーマにした漫画やアニメ作品、ゲームなど、
美少女ものとして区分されるコンテンツの中に見られる。


1997年、『新世紀エヴァンゲリオン』の再放送を受けて、
深夜アニメの採算性が見込まれるようになり、
テレビ東京を中心にアニメの放送枠が急速に拡大した。
これより以前ならOVAとして作られただろう美少女ものの作品群も、
深夜枠を利用して地上波に流入する事となる。

が、同時期はTV業界全体で自主規制の嵐が吹き荒れる真っ直中であった。
98年には『ギルガメッシュないと』が打ち切りとなり、
深夜アニメにおいても、OVAでは積極的に用いられたお色気シーンの数々を、
地上波でそのまま適用する事は難しい状況にあった。

そこで白羽の矢が立ったのが、既に表現規制の問題をクリアし、
ブームを呼んでいた美少女ゲーム(ギャルゲー)のアニメ化である。

ヒットの要因は、美少女を美少女として描く作画技術の高さにあった。


―――


もともとギャルゲーは、アダルトゲーム(エロゲー)から派生したものだ。
美少女コンテンツの草分けは、92年発売の『同級生』とされているが、
同作品はエロゲーとして先にヒットを収めており、
家庭用ゲーム機に移植される際、「エロ」を完全に取り除く事で、
美少女として描かれた人物画と、背景となる心理描写が残った。

何をもって"美少女"とするかは様々だが、客観的には美しいと認識されるには、
端整な顔をした若い女性を、誰にでも分かるように美しく描く必要がある。
『同級生』の原画家・竹井正樹は、それに相応する作画技術を持っていた。 
エロゲーもギャルゲー同様、万人を説得する力が絵に無ければ、
審美眼の厳しいユーザーから冷たく見放されてしまう。
こうした技術的な下地があったからこそ、「エロ」が無くとも
キャラクターに深く感情移入する事が可能な美少女ゲームになりえたのだ。


しかし、「萌え」と比較した場合、竹井の絵は"黄金比"から外れている。 
どちらかと言えば『同級生』より後にヒットした 『To Heart』の方がそれに近い。 
前者の絵は顔の輪郭線がはっきり描かれているのに対し、 
後者の絵は鼻や頬の線がほぼ省略され、よりデフォルメされている。 


かつてのアダルトコンテンツは、劇画調が主であり、
顔の線や陰影は多く、裸体や服のしわも細微に描かれていた。
だが、そうした絵柄が用いられた女性は老けて見られる為、
次第に簡略化した線が用いられるようになった。

こういった特徴を表す作品は、美少女ブームより以前に存在している。 
1982年頃に流行した、ロリータブームである。 
 漫画で言えば内山亜紀、アニメで言えば『くりいむレモン』に代表される、
少女のかわいらしさを強調したような絵柄は当時から人気があり、
それ以外の目鼻立ちの濃い絵柄を市場から締め出すに至った。
『To Heart』は、そうした時代の変化を揺り戻すかのように、
竹井の絵を時代遅れの古臭いものへと追いやったのだ。

同作品は家庭用ゲーム機へと移植され、「エロ」成分が除去された後、
表現規制の風が強まった地上波で、堂々と放送される。
これ以降、より洗練された絵柄が用いられた『シスタープリンセス』が生まれ、 
「萌え」が一大ブームとなる礎が築かれていったのである。

「萌え」の"黄金比"となる絵柄は、ロリータブームを起源にし、
『To heart』によって方向性が決まり、『シスプリ』によって広まったと見られる。
 

―――


「萌え」作品は、こうした市場背景を持っており、 
80年代の淘汰を生き残った作家や、それを模倣してきた後続によって 
脈々と受け継がれてきた"黄金比"の絵柄によって表されている。 

"黄金比"とは即ち、これまでユーザーが「エロ」として消費してきたものだ。 
萌え漫画の代表格である『あずまんが大王』のあずまきよひこが、 
かつて『淫魔の乱舞』というエロ漫画を描いていた事も、 
あながち偶然ではない何かを感じずにはいられない。 

「萌え」は、「エロ」とははっきり違う。 
それこそ、『あずまんが大王』と『淫魔の乱舞』ぐらい違う。 
しかし絵柄だけを見て「萌え」と「エロ」を比較した場合、
ギャルゲーとエロゲーの美少女が同じ"黄金比"で描かれているように、
両者の境界も極めて曖昧になる事は確かだろう。

「萌え」とは、パラフィリア(倒錯)の芸術美である。 
個人の嗜好、つまりへーゲルの言う即自的な主観が、 
ロリコン(少女愛)や、フェティシズム(性対象倒錯)など、 
倒錯としての様々な形が存在するだけで、そのメカニズムは全く同じだ。 
「エロ」を排除しても残りうる美的感覚が対自的な客観として働く事で、
「X=¬X」というあり得ない数式が成立し、 
全く違うものが、あたかもイコールであるように倒錯を起こす。 

これが「萌え」の正体なのではないかと思う。 

美少女から「エロ」を取り除いても、倒錯によってそれを補完する事は、
『伊豆の踊り子』で言えば、主人公である「私」が、
女湯から身を乗り出して手を振る天真爛漫な「踊り子」を見て、
笑いがこみ上げてくる感覚と同様のものであるだろう。


次回は、へーゲル弁証法的な観点から、 
けいおん!』と芸術美について、 詳細に述べていく。


 この記事はアニプレッションに投稿しました。
 


ご清覧ありがとうございました。

【萌え論】(1) へーゲル弁証法で「萌え」を定義する


いまいち萌えない子

↑いまいち萌えない子。「萌え」の"黄金比"から外れている。


2011年1月14日、神戸新聞社が出したアルバイト募集の広告で、 
こんなユニークな問題が出され、話題になった。 

 右のキャラクターがいまいちいけてない(萌えていない)理由を3つ挙げなさい。 

問題のキャラクターとは、通称「いまいち萌えない子」と呼ばれ、 
ツインテール、だぼだぼのセーラー服、ニーソックス、ぺたん座りと、 
いわゆる"萌え要素"を必要最低限に備えているのに、 
どういう訳だがまるで萌えない、全身青尽くめの女の子だ。 

「萌え」については、これまで色んな解釈がなされてきた。 
そして、"萌え要素"は個人の嗜好によって左右される曖昧なものとして、 
見解を統一する定義が述べられる事は無かった。 
ところが、この子はどう見ても「萌え」度合が不足しており、 
その定義付けに解釈の余地が残されている事をはっきりと示したのである。 

「いまいち萌えない子」は、まず目が大きすぎると指摘された。 
それからパースの狂った体型、絶対領域の可視範囲の狭さなども理由に挙げられ、 
全身青尽くめな点は、優れた絵師によって無関係である事も明確になった。 
何と比較して"大きい"、"狂っている"、"狭い"と言っているのか、 
誰も根拠を示していないのだが、この子の空虚に浮いた表情を見ていると、 
なぜだか説得力があるように思えてしまう。 

ここから導き出されるのは、「萌え」は決して個人の嗜好だけではなく、 
客観的な判断基準によっても想起される感情であるという事だ。 


例えば、"絶対領域"という単語をネットで調べると、 

 ただ単に露出があれば良いというわけではなく、 
 「ミニスカートの丈:絶対領域:ニーソックスの膝上部分」の比率が 
 「4:1:2.5」であることが理想(黄金比率)とされ、 
 誤差の許容範囲±25%と言われる。 

と、具体的な数字までかなり詳細に書かれてある。 

もちろんこれは出典元のネタ的な解釈に過ぎないのだろうが、 
どうやら「萌え」には"黄金比"が存在し、その客観的基準により、 
顔パーツのバランスやデッサンの不安定さが指摘され、 
萌える、萌えないの正否判断がなされていると見て良いだろう。 


精神現象学の父・ヘーゲルは、主観と客観が合一に至る流れを、 
正・反・合の3つの図式で表し、弁証法をもって両者の矛盾を克服した。 


・正 =「即自」
 意識や精神など、主観的な考え方(萌え要素)を指す。 

・反 =「対自」
 法則や原理など、客観的な考え方(黄金比)を指す。 

・合 =「即かつ対自」
 主観と客観の合一によって生まれる理念(萌え)を指す。 


「萌え」は"萌え要素"という記号によって消費されるものでは無いと、 
「いまいち萌えない子」は確かに証明していた。 
必要最低限の"萌え要素"を装備していても、"黄金比"から外れていては、 
「萌え」という認識の合意には達しえなかったのだ。 

ヘーゲル弁証法で言うところの"合"に該当する理念が「萌え」であるなら、 
"萌え要素"という主観を、"黄金比"という客観と対比させ、 
「萌え要素=黄金比」となった時に、「萌え」が想起されるという事になる。 
「X=¬X」という回答は数学的には間違いであるが、 
「いまいち萌えない子」に対する回答としては、正解だろう。 


正…萌え要素 = 反…黄金比 

    ↓      ↓ 

     合…萌え 


ヘーゲルが目指したのは、芸術を理念によって体系化する事である。 
「絵にも描けない美しさ」や「言葉に言い表せない感動」を、 
カントは自然美とし、認識できる対象ではないとした。 
ヘーゲルはカントの美学を引き継ぎつつ、精神性と自由をもって 
これらを芸術美として客観的に認識していくようになった。 

ヘーゲルの理論に当てはめれば、「萌え」は美的感覚の一種であり、 
『へうげもの』の古田左介が感じる「数奇」と同様に、 
意識や精神で認識する芸術美として定義する事が出来る。 

ではいったい、「萌え」の"黄金比"はどこにあったのだろうか。 

次回は、萌えが想起されるメカニズムについて、詳細に述べていく。


 この記事はアニプレッションに投稿しました。
 


ご清覧ありがとうございました。

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