↑記号化された生命の"象徴"。
作家が思い描く理想は、それを追い求める事で"象徴"となり、
叙述や映像といった"記号"を用いて表す事で現実となる。
ところが、理想と現実は掛け離れているもので、
なかなか現実は理想通りに行かないのが、作家の苦悩だろう。
それゆえに表現力を磨き、自分の理想に近付けるのだ。
今から200年ほど前から、宗教や科学といった神話的なものが
論理や演算によって説明され、意味付けられるようになった。
19世紀は「理性の時代」と呼ばれ、ありとあらゆるものに
意味を持たせていく事が、人間性を表すと考えられていた。
ところが、どうやっても意味付けできないものがあった。
それが、人間の感情だ。
叙述や映像によって記号化=意味を持たせるという事は、
固定してそこから動かなくする、断定という静的な動作である。
だが言うまでもなく、人間の感情は動的で不断だ。
揺り動く感情を、1つの表現で記号化する事は出来ない。
例えば、テレビタレントの「ベッキー」を見て、
"明るい"性格な子だと記号化する事が出来るだろうが、
ハーフとして周りから区別されてきた"暗い"一面もあろう。
どんなに正しく意味付けしようとしても、人によって
受け取り方が異なるし、理解のされ方も違ってくる。
人間性とは、19世紀の学者達でも答えを出せなかった、
とてつもなく深淵で、複雑怪奇なものなのだ。
ドイツの哲学者、エルンスト・カッシーラーは、
人間を19世紀的な「理性の動物」としてでなく、
感情と理性の間にある"象徴"を取り出す事の出来る、
「象徴の動物」として定義した。
二律背反する人間の感情は、"記号"で表す事が不可能だが、
"記号"を越えた"象徴"を使えば説明出来ると考えたのだ。
この思想は、シンボル(象徴)の哲学と呼ばれる。
カッシーラーは"象徴"をイカロスの飛翔に例えている。
太陽には届かないと分かっていても、翼を持って翔び立つのが、
人間性の本質を表すものだとした。
太陽=理想 > 蝋の翼=象徴 > 地面=現実
欧州では19世紀末から20世紀初頭にかけて象徴主義が興り、
文学では抽象的な叙述、絵画では抽象画が流行り始めた。
ピカソや岡本太郎は、動的で不断な人間の感情を、"象徴"によって
両極の意味合いを包括し、過不足なく伝えようとしたのだ。
漫画にもやはり、抽象化作品と、具体化作品がある。
次回は、抽象表現で理想と現実の間を描いた『20世紀少年』を、
その次は、空想写実を具体化した『ワンピース』を解説する。
ご清覧ありがとうございました。