坂道のアポロン


↑混ざり合う2つの魂。


『坂道のアポロン』の舞台となった、長崎県佐世保市。

県内で2番目に人口が多く、ハウステンボスのある所として知られており、
作者・小玉ユキ先生の故郷でもあります。
私は今この街に住んで、翻訳家の仕事をしています。


長崎県には「南北問題」というのがあり、経済の流動性を見ると、
「北」の佐世保市が活発で、積立金を減らさず収支を安定させているのに対し、
「南」の長崎市は停滞していて、減債基金を切り崩す事で健全な収支を保ててます。
そのせいか、長崎県の経済政策はおおむね南高北低になっています。

佐世保の足腰の強さの秘訣は、何と言っても民業にあり、
ハウステンボス以外にも、一代で成功を収めたジャパネットたかたや、
あのマクドナルドを撤退させるに至った佐世保バーガー、
地方都市の中では日本一元気なアーケード街など、
地域振興のモデルケースとしても全国的に名前を知られています。

なぜ佐世保がこんなに上手くいってるのか?
理由は、軍港と造船の街してのもう1つの顔にあります。


佐世保市の町並み
引用:まちあるきの考古学様(http://www.koutaro.name/machi/sasebo.htm)より

佐世保

↑佐世保川を挟んで、東側に市街地、西側に造船所と軍港がある。


上の地図を見て頂けるとこの地域の地理的特性を一望できる思いますが、
田園広がる人口4000人ほどの小さな集落だった佐世保は、
明治19年(1886)5月の軍港設置の勅令から都市計画が立てられ、
同年9月には家屋を無秩序に建築する事を制限しました。
その為、市街地と港が東西に綺麗に分かれており、
東側にある市街地の道路はタテヨコ揃うように、碁盤目状に整備されてます。

この都市計画があったからこそ、アクセスの分散が防がれ、
人が一ヶ所に集まるコンパクトな街並みが作られたと言えます。
旧海軍府グッジョブ。お上のおかげやでぇ。


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長崎県では今年の4月から「ノイタミナ」を再び放送するようになりました。
『のだめカンタービレ』以来、60分に増枠してからは初めてですが、
理由はもちろん前半30分枠の『坂道のアポロン』。後半はカケラも流しません。
そもそも長崎では『ワンピース』ですら深夜アニメ扱いです。

県と佐世保市は観光振興の期待を寄せているそうですが、
地域振興課で宣伝をしていた記憶はありません。
ここは来月アップ予定のクールジャパン論で詳しく述べましょう。


『坂道のアポロン』では、主に市街地が舞台となっています。
作中で練習場所として利用していた「ムカエレコード」のある三ヶ町と、
薫と律子がスティックを買った「フルヤ楽器店」のある四ヶ町のアーケード街も、
最初の都市計画通り、見事なほどに真っ直ぐに作られてますよね。
これ、直線に繋がったアーケードとしては日本一の長さらしいです。

薫と千太郎が通う「佐世保東高」ですが、佐世保には東高は無いんですよ。
アニメ版の第2話で出てきた亀山八幡宮の位置から言っても、
地図上で赤く囲われた市街地エリアの最上部付近にある
「佐世保北高」の事だと見て間違いないでしょう。

同じく第2話では、鹿子前(かしまえ)行きのバスに乗って海水浴に行ってますが、
ここは地図の西側、佐世保重工の先にある西海パールシー辺りでしょうか。
第3話で出てきた眼鏡岩は、北高より更に北側に行った眼鏡岩公園にあります。
小玉ユキ先生と同じ佐世保市出身・久保ミツロウ先生の『モテキ』にも、
下関が舞台とのたまいながら、なぜかこの岩が出てきましたね。

オープニングで出てくる道路は、国道35線だと思われます。
薫と千太郎はこの道を南に下って帰宅します。

北高 → 亀山八幡宮 → 三ヶ町(ムカエレコード) → 四ヶ町(フルヤ楽器店)


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こんな佐世保ですが、旧海軍府の軍港は昭和20年(1945)に米軍に接収されました。
昭和30年(1955)に陸軍が撤退しますが、その後も海軍による統治は続き、
現在も多くの米軍さんが佐世保には滞在し、Yナンバーの車が市街地を走ってます。
佐世保と米軍さんは、切っても切り離せない間柄なんですね。

昭和25年(1950)には朝鮮戦争が勃発しますが、佐世保は連合軍の作戦基地となり、
三ヶ町と四ヶ町には米軍向けの飲食店・バー・キャバレーが激増しました。
特需景気の恩恵を受けるのと同時に、米国の文化もまた持ち寄られます。
前述のハンバーガーもそうですし、そしてジャズもまた然り、という訳です。
佐世保は戦後の日本きってのジャズの街でもあるんですよ。
当時は東京に次いで日本で2番目にレコードが売れ、地価は東京より高かった所です。
今でも九州最大規模のジャズフェスティバルが佐世保で毎年開催されていて、
ジャズは米軍さんの心だけでなく、佐世保市民の心も捉えています。


『坂道のアポロン』は昭和41年(1966)頃の佐世保を描いてるそうです。
アニメ版の第4話では、この街と米軍との関係がよく表されていました。
アメリカ人の父を持つハーフの千太郎が、なぜ不良になったのか。
なぜ白人のジャズが好まれ、黒人のジャズが嫌われるのか。

翻訳家の仕事というのは、言ってみれば他人を知る事です。
薫が千太郎の生い立ちに触れて涙を流したように、
他人を言葉の意味を知るには、その人の背景までを知らなくてはなりません。
言葉の通じない相手に対し、千太郎のように怒りをぶつけるのか、
それとも淳一のように理解で包んであげるのかは、
まさにこの街が半世紀に渡って経験してきた葛藤でもあるのです。
私は佐世保で翻訳家をしている事に浅からぬ縁を感じてます。

ジャズというのは、1つの答えでもあります。
『坂道のアポロン』では、米国生まれのジャズを通じて人と人との心を通わせます。
ジャズは西洋の音楽技術と、アフリカ系移民の魂が融和した音楽です。
薫と千太郎、生まれも育ちも全く異なる2つの魂が混ざり合うテーマは、
米国の文化を受け入れた佐世保が舞台だからこそ説得力が生まれるのです。

佐世保の街の文化背景を知れば知るほど、『坂道のアポロン』は面白くなります。
この記事が同作品の理解の一助となってくれる事が、私の希望です。


総評はこちら → 『坂道のアポロン』~アニメならではの「音」の表現
 



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