丘の上の王子様

↑丘の上の王子様。キャンディは彼の幻影を追う。


少女漫画というのは、世相というやつを実によく反映していて、 
名作と呼ばれる作品を年代を遡ってずっと読んでいけば、 
男女関係の変遷が見て取れて、非常に面白い。 


現代における恋愛市場は、女性優位だと言われている。 
これをはっきりと示したのが『花とみつばち』で、 
男性を"花"、女性を花から花へ移りわたる"蜜蜂"に例えている。 
女性は華麗に着飾り、しっかりとメイクをして、 
痩身と美肌に注力し、その為にお金をかけることも厭わない。 
男性が女性の気を引こうと思ったら、同じように自己投資し、 
今の女性と同じ市場に登壇しなければならない。 

これに異を唱えたのが、『電波男』の著者・オタク評論家の本田透である。 
彼は自己投資を拒み、二次元コンテンツにお金をかける事を奨め、 
「恋愛資本主義」を完全に否定、キモメンの矜持を掲げた。 

「恋愛資本主義」とは、本田透の言葉ではなく、 
ドイツ歴史学者の筆頭であるヴェルナー・ゾンバルトが、 
1913年の著書『恋愛と贅沢と資本主義』で提示したテーマだ。 
マルクス主義の流れを受け、中世の恋愛観を解説した。 

中世では、宗教観において倹約や貞操が守られてきたが、 
啓蒙主義によって宗教性が排除され、人間の自由が解放された。 
恋愛市場はこの時から奢侈へと傾き、宮廷の女性達は 
吟遊詩人が歌う精神の愛より、自らの手で勝ち取る実利の愛を選んだ。 
これが後のフェミニズム運動につながっていく。 

現代の恋愛市場でも、これと似たような現象が起きている。 
積極的に男性を消費していく女性達を"肉食女子"と呼び、 
強い女性の象徴としたが、中世の頃と1つだけ異なる点があり、 
それが、男性達が恋愛市場から次々と降壇していき、 
蔑みの意味を込めて"草食男子"と呼ばれている事である。 


では、なぜ世の男性は女性優位の市場から去っていくのか。
そこには明確な理由があるはずだ。


――― 


女性には、理想の男性像というものがある。
これがいわゆる「白馬の王子様」と呼ばれるイメージで、
昔の少女漫画を読めば必ず出てきた鉄板のキャラである。

しかし、『はいからさんが通る』の「伊集院忍」にしろ、
『キャンディ・キャンディ』の「アルバートさん」にしろ、
ヒロインを陰から支えるナイト役に徹しているケースがほとんどで、
主体性を発揮していたのはどちらかと言えば主人公の女性の方だった。

両作品が連載されていた70年代当時は、アメリカのウーマンリブを発端とする
フェミニズム運動が最盛期を迎えていた頃である。
日本でも、最初は手塚治虫や赤塚不二夫らが支えていた少女漫画が、
60年代から70年代にかけての女性作家の台頭によって、
多くの優れた作品が生み落とされ、名実ともに女性のものになっている。


少女漫画はこうした社会的な背景を持っている為、
実はそのほとんどが、「王子様」からのアプローチをただ待つ事なく、
自分から理想の男性を捕まえに積極的に動いている。
『シンデレラ』や『眠れる森の美女』のイメージが強い「王子様」だが、
少女漫画の中では、男性はずっと以前から草食だったのだ。

「王子様」に要求されていたのは、イケメンである事と、
自分のモーションに対してだけアプローチを返してくれる事。
「王子様」が自分とは違う女性を選ぶ選択肢はあり得なかった。
こういった都合の良い理想を、現実の男性とすり合わせ、
嘆息をついていたのは、今に始まった事ではない。


――― 


しかし、やはり男性側にも理想の女性像というものは存在する。
永遠の恋人『タッチ』の浅倉南をはじめ、『めぞん一刻』の音無響子、
『銀河鉄道999』のメーテルなど、女性の理想と同様、
自分を陰から支えてくれる献身的なヒロインこそが望まれた。
主体性を発揮するのは主人公の男性であり、女性は自分からのアプローチを
ただ待っていてくれさえすれば、それで良かった。
やはり、女性が自分と違う男性を選ぶ選択権は無かったのだ。
こちらもまた、何とも都合の良い理想である。

現代の女性は、この要求を満たすどころか、 
ファッション資本に包摂されてモードスタイルに傾倒し、
獲物を狩る為なら自分の貞操すら擲ち、実利を得ようとする。
 
こういった女性は、古典的なヒロイン像を思い描く男性の理想には反するだろう。 
二次元コンテンツが一定のニーズを満たしているのは、 
オタクと呼ばれる男性達の逃避場所となっているのではなく、 
実利に走る女性が精神的な満足を与えられないからに違いない。 


つまり、男性の草食化は、男性側だけに問題があるのではなく、 
男女ともに理想を求めて現実を省みなかった結果、
恋愛市場において需要と供給の不一致が生まれた為だと考えられる。 

どちらかが手綱を取れば上手くリード出来るはずなのだが、
どちらも手綱を引っ張って、結局は落馬してしまいそうな状況に陥ってるのだ。
「白馬の王子様」も、キャンディが愛したアンソニーのように、
どこかで落馬して死んでしまっているのかも知れない。


――― 


恋愛の自由化によって確かに女性は強さを確立し、 
主体性において男性より優位に立つほどまでに強くなった。 
しかし男性は、女性に必ずしも強さを求めてはいない。 
そして女性も、男性に草食化を求めている訳ではない。 
男女ともに、男性らしさ・女性らしさを求めているという事だろう。 

このように異性に対し、"らしさ"を求める事を、 
フェミニズムの反対、いわゆるバックラッシュという。 

バックラッシュの本来の意味は、がっちりと噛み合った歯車の 
間に生じる差を表し、機械的な摩擦によって増大するが、 
この場合、男女の歯車が噛み合っていない事を指している。 
お互いの理想と現実の間にズレが生じているのが現状だ。 


では、いつ頃から女性は実利を求めるようになっていったのか。 
その答えを、少女漫画の歴史の中に見る事にしよう。 
バックラッシュ現象は少女漫画の世界でも起きている。
 


ご清覧ありがとうございました。