キャラクター論

↑"己が信念"を仲間に預けるルフィ。人物像や作品の主題まで伝わってくる。


漫画におけるキャラクターとは何だろうか。 

「Character」とは、創作作品で"登場人物"を指す言葉だが、 
漫画では2つのアプローチをもって「Character」を形成している。 

1つは、形而下学的な、形の有るものとして。 
「ルフィ」が"麦わら帽子"に換喩して表すことの出来る、 
外観を伝える上での形式的な特徴である。 

もう1つは、形而上学的な、形の無いものとして。 
「ルフィ」が"海賊"としての誇りを胸に掲げているような、 
内面を伝える上での表象的な特徴である。


人間性を1つの表現で表す事は困難だが、漫画はそうはいかない。 
際立った特徴を抜き出し、強調する事が必要になってくる。 

漫画で最も重要なのはキャラであると言われているが、 
ここで言うキャラとは、意味上の「Character」を指すのでなく、 
複雑に入り混じった人間性の中から簡略して抜き出された、 
単一的な"素材"を表すもので、これらを集合させる事で、 
その人物の全体、つまり「Character」が形成されるのである。 


――― 


ところが、こうした単一的なキャラ作りが行き過ぎた事で、 
成熟した作品が目立たなくなってきたのが昨今の現状としてある。 

例えば、「ライバル」が"天才"で"お金持ち"で、とか、 
「妹」が"ツインテール"で"ツンデレ"で、という風に、 
単一化された"素材"を集合させて組み上げるだけで、 
マクドナルドのハンバーガーのようにお手軽に 
読者のニーズに応えたキャラが出来てしまう訳だ。 


本来であれば、人間性は"素材"によって単一化されても、 
"素材"の1つひとつは人物全体を類型するものであるべきだろう。 

『タッチ』の「上杉達也」は、高校野球の"エース投手"だが、 
同じエースなら『ダイヤのA』の「沢村栄純」も居る。 
しかし、"エース投手"を使って物語を進行するのに、 
"バントだけはやたら上手い"というキャラの抜き出し方では、
「沢村」全体の人物像は見えてこない。
事故死した弟より速い球を投げる"双子の兄"の「達也」のように、
マウンドに向かう強い動機となる"素材"が欠かせないのである。

逆に、『NANA』の「小松奈々」や『DEATH NOTE』の「ニア」は、
人間性は類型できても、キャラの抜き出しが弱い。
全体の人物像が形而的に表されていない為、
特徴が伝わらず、読者の認識が分枝する可能性があるのだ。


つまり、人物の特徴を形而的に強調する事に配慮しながらも、
抜き出す"素材"はその人物を"象徴"するものが望ましい。 
単一化された"素材"は他者と差別化する為の記号に過ぎないが、 
その記号から人物像までをも類推させられるような 
可逆的な意味を持たせる事が、キャラを立てる事に繋がるのだ。 


キャラ  人間性
"素材"←→"象徴"


「ルフィ」は"麦わら帽子"に触れられる事を嫌がるが、
信じた仲間になら、それを預けようとする。
ここに、「ルフィ」の人間性を見る事が出来よう。


―――


キャラ作りが重要なのは、漫画に限らない。

『ふしぎの海のナディア』の主人公、「ナディア」は"肉嫌い"であるが、
これは彼女の過去や人間性に深く関わっている"素材"である。
『仮面ライダー555』の主人公、「乾巧」の"猫舌"も、
後のストーリーで怪人化する重要な伏線になっている。
『仮面ライダーカブト』の「天道総司」の"料理好き"とこの点が異なる。

最近では漫画的なキャラが芸能人などへも拡張していて、 
AKB48、オリラジ藤森、川越シェフ、尾木ママなど、 
形而下学ないし形而上学的な"素材"の集合体がウケている。 

複雑な人間性を分かりやすくアピールする為にも、
キャラ化は欠かせないのだろう。


次回は、高橋留美子『めぞん一刻』の登場人物の1人、 
四谷さんにスポットを当て、キャラ作りの秘訣に迫る。
 


ご清覧ありがとうございました。