ワンピース

↑背景が潰れるまで描かれた大海賊時代の1カット。



累計発行部数、2億5000万部。 
最新巻初版、400万部。 

『ONE PIECE』の凄さを端的に表した数字である。 

これほどまで人気がある理由は、作者である尾田栄一郎が、 
「誰にでも分かる」漫画を描いている所だろう。 

「誰にでも分かる」と述べてしまえば簡単なように思えるが、 
作者が読者に対し、作品の意味を過不足なく伝えるというのは、 
老若男女さまざまな、何百万の違う価値観を持った読者と、 
たった1つの共通認識で結ばれるという事だ。 
信号機の赤が「止まれ」で、青が「進め」といった、 
単純な"記号"なら「誰にでも分かる」だろうが、 
作品という複雑に入り混じった"記号"を充分に理解させるには、 
激流に隔てられた対岸に橋を渡すのと同じくらい努力が居る。 
尾田はそれを15年間も継続しているのである。 


――― 


『ONE PIECE』の凄さを表すのは、何も数字だけではない。 
尾田はヒットを計算して描ける作家だという事が、 
この作品の特徴を挙げていけば見えてくる。 

まず、全体を通して、抽象的な表現が全く無い。 
少年漫画全般に言える事だが、尾田はこれを徹底している。 
『ONE PIECE』は1つを理解させるのに10の描写がなされていて、 
これにより読者の解釈をその1つに集約させようとしている。 
小説よりは映画に近い表現方法だと言える。 

ストーリーの骨子に命を宿す為に、肉付けとして 
時代背景やストーリー設定にも配慮を行き渡らせ、 
建物や群集まで、とにかく細密に描き込まれている。 
それらを寄木細工のように配置通りに組み上げる事で、 
空想の中の大海賊時代を、まるでその場で見てきたかのように、 
具体性を帯びた世界観を作り上げているのである。 
ここまで細かい作品を週刊誌で連載している事が驚きだ。 


これは美術や文学で言う所の写実主義=レアリスムに当たる。 
写実主義は19世紀半ばにフランスで興った思潮であり、 
美術ではクールベやマネ、文学ではスタンダールが完成させ、 
日本では明治時代に坪内逍遥の『小説神髄』によって著された。 

以下はその引用である。 

 小説は、見えがたきを見えしめ、曖昧なるものを明瞭にし、 
 限りなき人間の情欲を限りある小冊子のうちに網羅し 
 之をもてあそべる読者をして自然に反省せしむるものなり。 

漫画では『ナニワ金融道』の青木雄二も取り入れており、 
社長とヒラ社員のスーツの柄の違いや、領収書の金額など、 
背景が黒く潰れるまで書き込んである。 

『ONE PIECE』にも、この写実的な手法が取り入れられている。 
見えがたきを見えしめ、曖昧なるものを明瞭にする為に、
時には背景が潰れるほどまで10の描写をしているという訳だ。


――― 


次に、『ONE PIECE』には『スラムダンク』にも見られた、 
完成されたプロットが繰り返し使われている。 

『スラムダンク』では、 

・桜木が天才の自分を夢想する 
↓ 
・ライバルに天才性を否定される 
↓ 
・自分に出来る事を絞り込む 
↓ 
・ダンクを決めて天才を証明する 

どの試合でも、基本的な流れは全て同じである。 
少年漫画に限らず、例えば高橋しんの『いいひと。』でも、 
LG編から完成されたプロットが繰り返されている。 

『ONE PIECE』では、 

・新しい島に上陸 
↓ 
・事件が起こる 
↓ 
・事件の首謀者を倒す 
↓ 
・宴を開く 

この流れが、それぞれの島で手を変え品を変え展開される。 

これは、作者の"象徴"を変化させない為に用いられるもので、 
最後まで同じテーマを伝え続けるのに有効な手法だ。 


『ONE PIECE』が連載されている週間少年ジャンプでは、 
伝統的に、努力・友情・勝利というプロットが多用され、 
鳥山明の不朽の名作『ドラゴンボール』など、 
正義の主人公が悪を討ち滅ぼす"勧善懲悪"の作品が占めている。 

ところが、『ONE PIECE』にはこれが当て嵌まらない。 

ルフィ達は悟空のように修行をする場面が描かれておらず、 
唯一例外として覇気を会得する場面も、さわりに触れただけだ。 
ベジータのようにかつての敵と共闘したのは、 
投獄されたクロコダイルらと一時的に手を結んだくらい。 
必ず勝利ともいかず、青キジやマゼランに破れ、 
シャボンティ諸島やマリンフォードでは大敗北を喫する。 

"勧善懲悪"どころか、ルフィ達の方が悪者扱いされ、 
賞金首として指名手配されているくらいである。 


では、尾田が完成されたプロットを繰り返して 
伝えようとしている"象徴"とは何か? 


――― 


再び『小説神髄』を紐解くと、坪内逍遥は、 
作品作りにおける主脳は人情なり、と述べており、 
日本人の根底に流れているのは"人情"だから、 
それをありのままに写実しなさい、としている。 

これより以前、つまり江戸時代の小説というと、 
歌舞伎の脚本のような"勧善懲悪"の作品を指し、 
それは当時においても充分に古臭いものだった。 
明治以降、二葉亭四迷らによって日本に写実主義が広まり、 
"勧善懲悪"のスタイルから、"人情"を描いた 
心理的写実のスタイルへと移り変わっていった。 


尾田の描くレアリスムは、こういった"人情"をテーマにした 
任侠映画や時代劇の影響を受けている事で知られている。 

どんな苦難も分かち合い、支え合ってきた日本人の心― 

仲間と一緒に喜び、仲間と一緒に泣き、仲間と一緒に怒る。 

なぜこの作品が何百万もの支持を集めるのかと言えば、 
明治以降に生まれた「誰にでも分かる」日本人の"人情"を、 
一切の抽象表現を排し、圧倒的な写実描写によって 
解釈の余地が残らないほどにまで伝えてきたからだろう。 


20世紀少年』はシュールレアリスムの極致にあり、 
抽象表現の奥にある20世紀の文化を読者が認識しなければ、 
作品の"象徴"を拾い上げる事はなかなか難しい。 

『ONE PIECE』はレアリスムの極致にある。 
既に読者の中に存在している解釈項を"象徴"にしているので、 
おおよそ写実主義が何たるかを知らなくとも理解できよう。 

伝統文化の魂を込めつつ、新しい世界観を構築する。 
やはり、『ONE PIECE』は凄い。
 


ご清覧ありがとうございました。