スラムダンク

↑安西先生は山王戦の勝利と選手達を信じていた。


手塚治虫の時代、漫画は小説の延長でしかなかった。 
手塚は文学的な叙述のテクニックを漫画に持ち込み、 
生涯をかけて自らのテーマである生命観を描き表した。 

叙述=文字は、登場人物や対象物を説明する為の記号で、 
ナレーション、台詞、様々な手段を用いて伝えられるのだが、 
映像=絵は、その叙述の延長線上に存在しており、 
説明の代わりに置き換えた、他者と識別する為の記号であった。 
「ブラックジャック」は白髪でツギハギの顔をした、 
黒いコートを着込んだ男だ、と説明する代わりに 
絵で描いて置き換えたものが、手塚の漫画という事になる。 


ところが、時代は絵に変革を起こした。 
それが、劇画の時代だ。 

劇画は、絵に含有する叙述の数をより増やす事で、 
読者に迫力や臨場感を伝え、強固な説得力を持たせた。 
手塚は劇画との戦いに挑み続け、ついに敗れてしまう。 

そして劇画はそこから更に進化を遂げる。 
絵の中の叙述の質量が膨大になり、映画のように 
映像だけで読者に伝える事が出来るようになったのだ。 
「ゴルゴ13」は、俺の後ろに立つな…、と、 
表情を全く変えずに、細い目の奥から冷酷に言い放つ事で、 
極めて冷静で用心深い性格を読者に正確に伝え、 
どんな困難な依頼でも黙って引き受け、必ず遂行させる事で、 
ニヒルでかっこいい男の中の男だと認識させる。 

こうして漫画は小説から独立し、叙述と映像を融合した、 
漫画と映画の中間媒体として社会的地位を確立するのである。 


――― 


『スラムダンク』は、そんな叙述と映像のテクニックを 
極限の域まで到達させた、最も質の高い漫画の1つだ。 
手塚の時代にはただの記号に過ぎなかったものが、 
優れた後進作者によって、読者との共通認識を結ぶ 
"象徴"へと押し上げられていった。 

"象徴"については、またの機会に説明する事にする事にして、 
今回は、井上雄彦の表現力に迫る。 


主人公はバスケット初心者、湘北高校1年の桜木花道。 
桜木は、自分は天才だ、○○はオレが倒す、と放言し、 
天才の自分を夢想しながらバスケットに打ち込んでいく。 
ところが、現実には流川という本物の天才が居て、 
桜木の思い描く通りのスーパースター街道にはほど遠かった。 
桜木は現実を見据え、自分の可能性を絞り込んでいく。 

インターハイ出場を賭けた神奈川予選の翔陽戦、 
桜木は自分自身に3つの目標を課す。 

① 退場しない 
② ルカワより点をとる 
③ リバウンドを制す 

そこに好敵手・花形が大きな壁として立ち塞がり、 
桜木は花形に、てめーもオレが倒す、と宣言した。 

だが、流川は抜群のセンスで次々と得点を重ね、 
桜木はまたしても自分の天才性を目の前の現実に否定される。 
それでも安西先生や赤木の教えを思い出しながら、 
今の自分に出来る事を整理し、リバウンドに専念するが、 
ここでとうとう4ファウルを犯してしまい、 
5ファウル退場を恐れてリバウンドを拾えなくなった。 


桜木は考える。 
お前は天才じゃないんだとばかりに、翔陽から穴扱いされ、 
自分に突き付けられる現実を冷静に受け止めながら、 
諦める事なく、自分の可能性を模索して。 

桜木はこの後の海南戦で、自分に出来る事をこう言った。 
ドリブルのキソ、パスのキソ、庶民シュート、リバウンド、 
少しさびしいが、これが今のオレの手持ちの武器だ、と。 

ここに挙げた4つは、全て練習で身に付けたものだ。 
ところが、桜木が最初から出来たプレイが他にある。 

それが、スラムダンク― 

これこそ天性の才能であり、天才・桜木の存在証明だ。 
桜木は自分の可能性を最後に必ずダンクシュートに託すのである。


桜木はいつも勝負所でこのダンクを決めている。 
そしてその時のマッチアップは、桜木が最初に 
○○はオレが倒すと言った相手だ。 

陵南の仙道、翔陽の花形、海南の牧、そしてヤマオー。 
強敵を前に、ここぞという時に試合を決定付けるダンクを決め、 
○○はオレが倒す宣言を有言実行する。 

翔陽戦では5ファウルを取られ、退場となるが、 
彼は見事に観衆の前で天才の証明が出来たのだった。 

桜木が○○を倒した、と書かれてはいないし、 
桜木が天才の証明をした、とも書かれてはいない。 
ただ、桜木のスラムダンクが観衆を味方に付け、 
翔陽の猛攻に最後まで耐え抜いた、とだけ叙述されているが、
読者には、桜木が有言実行した事が読みとれるようになっている。 


――― 


井上雄彦の表現力は、高い文学性に裏打ちされている。 

『スラムダンク』の最終回には、山王工業との死闘に 
全てを出し尽くした湘北は、続く3回戦、愛和学院に 
ウソのようにボロ負けした、とだけ叙述してあり、 
なぜ、ウソのようにボロ負けしたのかは書かれていない。 

しかし、やはり井上の叙述の裏には真意がある。 

安西先生は5人に対し、ある言葉をずっと投げかけてきた。 

「君たちは強い」 

これは、才能を持った5人がそれぞれの個性を発揮し、 
チームとして1つに纏まった時、どんな強敵でも、 
たとえ相手が日本一の山王工業であったとしても、 
決して引けを取らない強さを持っているという意味に他ならない。 

ところが桜木は、山王戦の最後にマイボールを保持する為に、 
役員席に体を投げ打ってルーズボールを拾い上げる。 

この時、桜木は腰に怪我をする。 
ひと夏をリハビリに捧げる事になる、大きな怪我を。 
これほどの大怪我を負ってしまった桜木が、 
次の愛和学院戦に無事に出場出来たとは考えにくい。 
桜木は欠場したと推測するのが妥当だろう。 

湘北は5人揃ってこそ、「君たちは強い」だった。 
5人揃わなければ、勝利を呼び込んできた桜木が居なければ、 
歯車が噛み合わずに並のチームになってしまうのが、 
明確に語られずとも、読者には伝わるようになっている。 

これが、ウソのようにボロ負けした理由である。 
桜木が欠場したからボロ負けした、とは書かれていない。 
しかし、それが容易に想像出来る。 

これは、文豪ヘミングウェイが残した「氷山理論」という、
れっきとした純文学のテクニックである。
井上雄彦の表現力は、文学作品と比べても遜色がなく、 
ただの漫画ではない、漫画文学とも呼べる作品へと昇化させた。 


――― 


日本では今、活字離れが懸念されている。 
小説を読まない層が増え、活字文化が衰退していると。 

しかし、普通に考えればそれは当然の流れだと言える。 
なぜなら、日本には漫画文化が根付いたからだ。 
井上雄彦のような高度な文学技術を持った作家が、 
どんどん漫画家になるから、小説の存在感が薄まった。 
今や優れた文学性を持った作品は漫画の方が多いだろう。 


それを証明すべく、次回は、川端康成の文学と 
あずまきよひこ『よつばと!』を比較してみよう。
 


ご清覧ありがとうございました。