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2013年06月

【メディア記号論】(1) アナログ脳とデジタル脳


月下の棋士

↑『月下の棋士』の名シーン。


人間の脳には、複雑極まりない情報の中から最適解を選別する、
コンピュータがなかなか真似できない力が備わっている。

2005年9月18日、コンピュータ将棋ソフト・TACOSが、
非公式ながら、初めて公開の場でプロ棋士との平手の対局を行った。
相手は橋本崇載五段。ど金髪で派手好きな今時の兄ちゃんである。
この時、後手・橋本五段が最初に指した手は何と△1四歩、
『月下の棋士』の氷室将介が得意とした端歩戦法だった。

一手損と言われる端歩だが、2013年の3月23日に行われた、
5人のプロ棋士が1勝3敗1分で敗北を喫した最新の将棋ソフトとの対局でも、
初戦で唯一の勝ち星を奪った阿部光瑠四段が、
定石に無い手順を踏んだ角代わりの後、端歩を2回突いている。

端歩戦法は、大局観が無いとされるコンピュータの計算を、
局所的なせめぎ合いによって狂わせる、実に人間らしい発想だ。
橋本五段の狙いも、プログラムに入力されていない定石崩しにあった。
その作戦が功を奏したのか、終盤の逆転劇へと繋がる。
情報処理の上では互角の戦いを演じたコンピュータであったが、
人間は根本的な思考回路が異なるのである。


脳のメカニズムは、記憶については全貌が明らかになってきているが、
思考における研究は困難を極め、進んでこなかった。
そこで2007年、理化学研究所脳科学総合研究センターと富士通は、
日本将棋連盟とタッグを組み、プロ棋士の脳波を計測する事で、
思考のメカニズムを研究する共同プロジェクトを開始した。

人間の脳は、コンピュータの構造と非常によく似ている。
左右に配置されたデュアルコアCPU(右脳と左脳)を中心として、
後頭葉にGPU、側頭葉にハードディスク、前頭葉にメインメモリが搭載されており、
それぞれを連動させて、頭頂葉に繋がれた運動野から命令を出している。
では、天才を生み出す脳の違いはどこにあったか。

答えはこのいずれにも無い―
尾状核という、コンピュータには存在しない機関が、
人間の思考において大変に重要な役割を果たしている
事が分かった。

(参照:プロ棋士の直観は努力のたまもの 理研、米誌に発表


―――


尾状核は、小脳と連動して随意筋の運動制御を行う機関である。
人間が立って歩けるのは、赤子の頃に何度も転んで「痛い」目に遭った事を
小脳が危険回避の内部モデルとして記憶しているからで、
自転車の乗り方を一生忘れないのも、再び「痛い」経験をしない為だ。
無意識の中でこうした反射行動が取れるのは、
運動制御の命令が運動野に伝達され、体にフィードバックしているからである。

一見すると人間の思考とは何の関係も無いように思えるのだが、
プロ棋士はここをフル回転させていたのだという。


小脳は、神経細胞の集まる箇所から命令伝達を行い、
失敗の信号を出した神経細胞の伝達効率を長期抑圧し、
成功に導く信号だけが運動野に伝わるようにする事で、
半永続的なフィードバックを可能にしている。

だが最近の研究では、小脳の命令伝達は運動野だけでなく、
思考回路を司る前頭前野にも行われている
事が、
小脳のアクセスを調べていくうちに分かってきた。

(参照:京大、小脳核が小脳からの運動/認知信号を仕分けしていることを発見

実際に、プロサッカー選手は一般人より前頭前野が発達し、
瞬間的な情報処理能力が高い事が知られており、
かつての日本の司令塔・中田英寿も、IQ128の天才脳の持ち主で、
ピッチ上で味方選手にスルーパスを通すがごとく、
小脳が記憶するピッチのイメージを基に、前頭前野が状況を判断し、
運動野へと縦横無尽にパスを送っていたようだ。

(参照:一流のサッカー選手は知力も高い スウェーデン研究チーム

プロサッカー選手が、何千何万のパスの成功例から、
状況に応じた最適解を選んで行動に移す判断能力を有していたように、
プロ棋士の場合も、小脳と連動する尾状核を動かす事で、
小脳に蓄積された何千何万もの成功例=棋譜の記憶にアクセスし、
最適解となる一手を判断していたのではないだろうか。


どうやら人間とコンピュータとの違いは、自力学習の習熟にあるようだ。
小脳を鍛えれば、前頭前野の判断の精度も上がり、
運動野を通じて随意筋を効率よく動かせるようになる。

人間の脳は、最適解を得る為の脳内活動を反復し、
まるでRPGの戦闘のように、経験値を獲得してレベルアップするのである。


―――

エンコード

↑メディア媒体を介した情報は、エンコード(圧縮)されている。


ところが脳内の経験値は、テレビや映画、活字や漫画など、
メディア媒体で記号表現された情報から得るのは、極めて効率が悪い。
あらゆるメディアの情報は、情報を受信する側ではなく、
発信する側の方が最適解を探し、巧みな記号表現を駆使して、
1つの意味に限定するよう伝えているからだ。

人間の脳内では、生命に関わる情報をを扱う脳幹網様体が、
リアル世界(リッチコンテンツ)に転がっている膨大な情報をキャッチしている。
この時、網様体は拾い上げた大容量の情報を整理する事なく、
アナログデータのまま、大脳(CPU)に送っている。
大脳は整理前の重たい情報を0と1のデジタルデータに変換し、
前頭葉(メモリ)にある前頭前野に情報処理させている。

情報処理の訓練を積んだその道のプロであれば、
ハードディスクに記録した成功経験を参照にした高速処理が可能だが、
一般人の場合、それがインプットされていないので、
イチから最適解を導き出す思考を組み立てなければならない。
あまりに情報の容量が大きいと、大脳から次から次に送られてくる情報が、
前頭葉で渋滞を起こし、メモリの少ないパソコンのように、
思考のウインドウを立ち上げたまま、フリーズする場合がある。

その為、メディアは予めアナログ情報をエンコード(圧縮)し、
前頭葉にかかる負担を軽減している
のである。


メディア媒体の弊害は、試行錯誤を経ずに最適解に辿り付ける
情報の分かりやすさと引き換えに、エンコードによって
リアル世界から獲得出来る経験値を大きく損失してしまう点にある。
高校球児に炎天下での練習を経験させずに、熱中症対策の本を読ませても、
真夏の甲子園の舞台を乗り切る事など出来ないし、
車に乗る人がドライビングゲームでハンドルやブレーキ捌きを覚えても、
運転免許は容易に取得は出来ないだろう。

エンコードされた情報は、何の疑いもなく受容され続けてきた。
もちろん情報が小さく圧縮されている分だけ、脳内のメモリ節約になり、
より多くの情報をインプット出来る長所はあるが、
それではコンピュータの持つデジタルな脳とまるで同じで、
インプットされたデータしか、アウトプット出来ない事を意味している。
前頭前野における判断力の発達具合も後退しかねない。


―――


桂木桂馬

↑クソゲーにはクソゲーの味があります。


誠に残念だが、漫画やアニメもメディアコンテンツである以上は、
記号表現によってエンコードされた情報であると言える。
特に最近は、単一化された属性を組み合わせるだけで構成された、
マクドナルドのハンバーガーのようなキャラばかりが生み出されている。
そして制限された情報ばかりを受信し続けていると、
リアル世界で試行錯誤を重ねてきたリア充と比較して、
小脳を鍛える時間的機会を損失しかねない。

リア充をアナログ脳の持ち主だと定義すれば、
アナログ脳は人間の感情を読み取る時、随意筋である表情筋や声唇だけでなく、
不随意筋である眼輪筋の変化や、声帯靭帯の緊張を、
場の空気として一瞬で読み取り、コミュニケーションに活かす事が出来る。
リアル世界には、メディアコンテンツには決して再現出来ない、
複雑極まりない情報がそこら中に転がっている。

『神のみぞ知るセカイ』の桂木桂馬は、現実なんてクソゲーだと言い切った。
それは桂馬の知るリアル世界が、本当にクソだったからではなく、
桂馬自身がリアル世界の最適解を見つけられず、思い通りに攻略出来なかった、
プログラム偏重なデジタル脳の持ち主だったからである。
コンピュータのようなデジタル脳に陥らない為には、
メディアがエンコードした1つの情報を、10だと信じてしまわず、
ハードディスクに記録された経験と勘を頼りに、
情報を受信する側が、デコード(解読)を施さなければならないのだ。


脳科学者の養老孟司は、デジタル脳に陥りがちな現代人に対し、
田舎で暮らし、畑を耕しながら生活する事を提言している。
体を鍛える事で脳を自在に動かせるようになるという、
実に理に適った生活スタイルであるが、おおよそ実践する事は難しいだろう。

より現実的な選択肢が、他にもある。
メディアコンテンツの記号表現によってエンコードされる情報は、
必ずしも意味が1つに限定されている訳ではない。 
10はいかないにしろ、小脳の内部モデルを形成するには充分なくらい、
メモリに負担のかかる大容量の情報を投げかける発信者も居る。
そうした情報を自在に扱えるようになれば、ひょっとしたら、
将棋のプロのように一瞬で最適解を探す判断力が養われるのではないか。

次回は、複雑なエンコードが施された記号表現を解読する為の、
デコードのプログラムの重要性を、より詳細に見ていこう。
  


ご清覧ありがとうございました。

【総評】『高校球児ザワさん』~エピファニー文学を継承したポスト萌え


高校球児ザワさん

↑「フェチすぎる野球マンガ」として紹介された本作。
 その本質はどこにあるか。



オリンピック競技から野球が除外された理由をご存知でしょうか。
人気や競技人口は、実は小さな問題に過ぎません。
野球の世界組織である国際野球連盟・IBAFは5大陸130カ国が加盟しており、
そのうち77カ国では国内リーグ戦を実施、
IOCの求める3大陸50カ国規定をクリアしているからです。

では、なぜ除外に至ったのか?
理由の1つは、「女子種目の規定が最も遅れた競技だから」です。
背景にあるのは野球競技の国際ルール導入への遅れで、
アレクサンダー・カートライトが1845年に作った塁間距離などの他は、
細かいルールのほとんどが世界共通ではない為に、
ストライクゾーンや使用する用具ですら曖昧なまま、
国際基準に合わせる為に導入された統一球を使う事にも批判が出るのが、
野球という極めて保守的なスポーツなのです。
こんなんでよく国際大会とか開けるよねっていつも疑問。

当然ながら女子種目の規定も進むはずもなく、
男子は野球、女子はソフトボールという二分化が進みました。
エレン・ウィレ女史の呼び掛けで男女同一ルールを採用したサッカーや、
その後のなでしこジャパンとの活躍と比較すれば、
IBAF女子ワールドカップで日本が3連覇を果たした女子野球なんて、
あれ? 女子ってソフトをやるんじゃないの?
という認識がまず最初に出てくる、悲しいほどの低い知名度しかありません。
女子選手も男子と同じように野球をやるべきだと、
IBAFが国際的な働きかけを始めたのは、2000年代に入ってから、
女子サッカーより実に10年以上も遅れての事です。


漫画やアニメには、水原勇気やメロディちゃんなど、
男子選手と同じ舞台に立ったプロの女子選手が居ますが、
現実では1991年の野球協約の改訂まで、女性はプロになる事を、
何とルールの上で認められていませんでした。
高校野球に至っては、女子選手のメンバー登録と公式戦出場を、
高野連の大会参加者資格規定により、いまだに認められてはいません。
それどころか、練習試合ですら相手校の事前承諾が必要です。
多くの女子選手は、中学まで野球をやっていても、
高校ではまず続けられないので、ソフトに行くしかないのです。

現在のオリンピックでは、こうした性差別を撤廃する動きがあり、
「男女同一のルールで行う」ことは特に重点となります。
男子は硬式野球を、女子はソフトをやってる実態がある野球競技は、
オリンピック種目として相応でないという判断が下されました。

今回は、野球界に横たわる暗黙のルールを踏まえながら、
高校野球における女子選手という存在の特異性をあぶり出した作品、
『高校球児ザワさん』を評してみたいと思います。


―――


何を隠そう、道場主はソフトボールの選手でした。
五輪競技から除外されていなかったら、今でも続けていたでしょう。
社会人の道を断念してスポーツ関係の新聞記者になりましたが、
やはり、ソフトも野球も大好きだからこそ、
スポーツに関われる仕事を選んだのかも知れません。

『高校球児ザワさん』の主人公・都澤理沙ちゃんも、
ただ野球が大好きだという理由で、公式戦に出られないのを知りながら、
野球エリートの兄を追って甲子園常連の強豪校・日践学院に入学し、
男子選手に混じって、日々練習を続けています。


女子選手と男子選手の運動能力を比較すると、
「女松坂」の異名をとった小林千紘投手の球速が130キロ台ですから、
女子のトップ選手が、男子中学生と同じくらいだと考えて下さい。
サッカーでも、なでしこジャパンが高校生と試合をしたら、
高校生の方がメタメタに勝ちます。それほど男子と女子は違います。

しかしそれはトップレベルを比較した場合に限ります。
そこらへんの高校に130キロ投げられる選手が入学すれば、
公式戦の登板機会なんていくらでもあります。
ゆえに、130キロ投げられない男子が規定上ではベンチ入り可能なのに、
130キロ投げる女子がその機会すら与えられないのは、
高野連め…ぐぬぬ、と思いたくなるのが女子選手の必定ですよね。

理沙ちゃんが他と違う点は、入学したのが野球の強豪校であった事です。
インタビューで「実戦では使えない」と自己評価を下した通り、
仮に理沙ちゃんが女子のプロ選手並みの力を持っていたとしても、
「130キロの投手」では、地区予選を勝ち抜くどころか、
強豪校ゆえに、実戦に登板させてもらえる事すら難しい。



『ザワさん』の特徴は、フェミニズム観点の一切を排除している点です。
理沙ちゃんは日践学院硬式野球部の一員として、
思いっきりビンタされる事もあれば、罰として坊主になる事もあります。
完全な男女同列の極めて過酷な環境の中で、男子選手から浮いて見えてしまう、
気になって気になってしょうがない女子選手の特異性を、
理沙ちゃんの周りの男子選手の視点から、毎回8ページずつ描いています。


―――


さて、第三者の視点から対象となる人や物を描くのは、
『よつばと!』の回で解説した通り、あの川端康成も用いた、
モダニズム文学の典型的な手法ですね。

探偵シャーロック・ホームズがいかに頭が切れるかは、
助手のワトソンの視点から描かれる事で、より強調されて伝えられます。
ワトソンのズボンの裾に付着していた泥の撥ねを観察して、
ワトソンがロンドンのどこを散歩していたのかを言い当てる事は、
地質学に精通するホームズにとって朝飯前なのですが、
ワトソンにとっては驚愕する他ありません。
読者である私達も、どちらかと言えばワトソンと同じ凡人ですから、
ワトソンの視点で描く方が、その驚きに共感できるという訳です。
作者のコナン・ドイルは狙ってこれを書いています。


同様に、女子である理沙ちゃんが頭を坊主に丸めるのは、
男子部員にとっては「うわぁ…」と、思わず言いよどんでしまう事件です。
女性にとって頭髪は、命に例えられます。
AKB48の峯岸みなみさんが懲罰で坊主にした時は、
AKBファンのみならず、国内・海外に大きな波紋を呼びましたよね。

理沙ちゃんは他の男子部員と同じ単なる野球バカであり、
ごく普通に野球に打ち込んでるだけなのですが、
野球という男社会の中では、女子選手の存在は異端そのもの。
まして女性が坊主にするなど、正気の沙汰ではありません。

その他、勝負事に対して貪欲であったり、
女として扱われる事に戸惑いを隠せなかったり、
チームメイト達が発見する、理沙ちゃんに対する驚きは、
「野球は男性がやるもの」と固定観念を持っている一般読者にも、
そっくりそのまま、ストレートに伝えられます。



モダニズム文学において、"発見"の楽しさを教えてくれたのは、
アイルランド出身のジェームズ・ジョイスという作家です。 

ジョイスは、故郷・ダブリンの町を散文に残す事で、
ダブリンとそこに住む人達の特徴を"発見"していきました。
そして1914年、短編集『ダブリン市民』を発表。
老若男女さまざまな点景から織り成されるストーリーによって、
ダブリンとはどういう町であるのかを、浮き上がらせるように書いています。

ジョイスはこうした"発見"の事を、エピファニー(顕示)と呼んでいます。
エピファニー文学は、小さな"発見"を積み重ねる事で、
全体の大きなイメージを類推させる文学です。
『高校球児ザワさん』はジョイスと同じ文学技術が用いられている作品で、
エピファニー文学そのものと言っても差し支えありません。


―――


「萌え」も、伝統的に第三者の視点から描写されています。
ですが、もともとこれは主人公から主体性を奪ってキャラを薄めた上で、
ヒロインとなる人物像に主体性を移し、より萌えさせるように生み出された、
モダニズム文学と関わりない、キャラクター性に誘導する為の技術です。

ここから文学に転じさせるには、各々のキャラクターに対して、
ジョイスのような鋭い洞察が加えられる必要があります。
ところがこうした作品群は、属性によってキャラを差別化する事にのみ腐心し、
心理状態が深く掘り下げられる事はめったにありませんでした。


かつては『ザワさん』も萌え作品の一部として捉えられ、実際にメディアからは、
脇の処理の甘さやアンダーシャツから浮き出た肢体を克明に描いた、
フェチすぎる野球マンガ」として紹介されました。

「萌え」を下地とした作品群からは、まったくの偶然ながら、
『ザワさん』のように、たまに文学の域にまで高じた作品が出ます。
『ザワさん』が本当に伝えたかったのは、理沙ちゃんのフェチっぷりではなく、
野球競技が置かれた性差別の問題であったと思います。
ジョイスがダブリンの町の抱える停滞問題に直接言及する事なく、
第三者の言動に反映させる形でそれを抽出させたように、
野球界の封建的な性差別を、理沙ちゃんの障害として描く事で、
読者の誰もが、問題として"発見"に至ります。

作者の三島衛里子先生が、ジョイスと同様に点景で野球を洞察していたから、
野球について深く考えさせられる作品になったのでしょう。
ポスト萌えは、こういった所から生まれるのかも知れませんね。


さて、五輪復帰を目指して男女同一ルールの採用を決めた野球競技ですが、
この度、野球のIBAFはソフトボールのISFと統合し、
今年4月に世界野球ソフトボール連盟・WBSCとして発足しました。
試合時間短縮の為、五輪ではソフトボールの方に合わせて7回制になるそうです。

これに非難ごうごうなのが、野球ファンのおじさま方。
男社会の面子として「そんなの野球じゃねぇ」とのたまっております。

そもそも、野球競技自体がでたらめなルールの下でやってたんですから、
ルールを体系化する事には前向きであってもらいたいものです。
 


ご清覧ありがとうございました。

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