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漫画道場 漫画やアニメを学術的観点から考察・レビューします。



2012年11月

【短評】『仮面ライダー555』考察~心の影(シャドウ)とライダーという仮面性(ペルソナ)

平成仮面ライダーシリーズ考察の第2回目は、
『仮面ライダー555』(2003年1月26日~2004年1月18日放送)です。
555ロゴ
【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 龍騎 フォーゼ 
ウィザード


『クウガ』と『アギト』で新たな視聴者層を獲得した同シリーズは、
龍騎』から実験として学術的な理論を背景にする事が試みられたようで、
ストーリーの謎が深まり、さらなる進化を遂げました。
ですが、背景が難解すぎた事、主人公が空気だった事が、
全てを白紙化したラストシーンにつながり、賛否を呼びました。

『555』では、前作で得られた成功と反省点を土台としたと見られ、
天才哲学者のカール・G・ユングによって一般化されたペルソナ理論を、 
夢を持たない主人公の行路として設定した事で、
ストーリー背景を文字通り主人公のバックボーンとして機能させ、
揺れ動く心理状態を経て、「夢」というテーマに繋げています。


―――


本作は、道場主が初めて平成ライダーの奥深さを知った作品なんですよね。
きっかけは第4話「おれの名前」で、とあるシーンが引っかかった事でした。
世界中の人の心を真っ白にしたい夢を持つ菊池啓太郎がファイズに変身出来ず、
啓太郎からベルトを取り上げたサボテンの怪人が変身しちゃった。

第1話「旅の始まり」でも、美容師の夢を持っている園田真理が変身出来ず、
何の夢もない主人公の乾巧が変身するという疑問が提示されており、
この対比はいったい何を表しているのかと考えたのですが、
たまたま偶然、私はこの答えを開く鍵を、既に持っていたのです。

私は放送前年の2002年、紫綬褒章を授章された坂部恵氏の影響で、
アトラスの名作RPG『女神異聞録ペルソナ』を、この時まさにプレイ中でした。
このゲームは言うまでもなく、ユングのペルソナ理論を基にしてます。
おかげで、難解な学論が物語解釈に適用可能な事をあらかじめ知りえていた為、
『555』との間に、"夢"と"仮面"という2つの共通点を見つける事が出来ました。

ライダー=仮面(ペルソナと定義した場合、啓太郎や真理は、
夢という仮面を最初から付けているから、仮面ライダーに変身出来ないのでは?
という推測が、巧との対比によって生まれます。
名作ゲームから着想を得た事で、私はこれ以降、平成仮面ライダーシリーズを
1つの文学として捉え、文学的な解釈を持ち込む事にしました。


『女神転生』というゲームについて補足解説しておくと、
同シリーズは伝統的に哲学の考え方が世界観に組み込まれているようで、
例えば、これまた名作と名高い『真・女神転生3』では、
デカルトの渦動説を基にしたと思われるボルテクス界が登場します。
ゲーム内容もいかにも「我思う、ゆえに我あり」っぽいですね。

ペルソナシリーズはより分かりやすく、夢や願望という仮面を
もう1人の人格(パーソナリティ)に見立て、
主人公とその仲間の成長を見事に描ききっています。

そんなゲームにどハマりしてる中で始まった『555』の放送でしたが、
第13話「敵か味方か」にて、2号ライダーである草加雅人が登場した事で、
ただの符号の一致に過ぎなかった推測が、いよいよ確信へと変わっていきました。


―――


『555』では、人間の深層意識の表層化という形で、
オルフェノク=影人間(シャドウに見立てていると思われます。
この時、もともと表層意識にあった人間の姿の方が影になっちゃってます。


ホースオルフェノク

↑表層化したホースオルフェノクと、深層化した木場勇治。


ユング心理学においては、人間の無意識の中にある「こうありたい」という願望が、
理想の自分を演じる為の仮面(ペルソナ)となるとされています。
真理と啓太郎は、理想の自分を持っています。

逆に、「こうありたくない」と拒絶した自分は、影(シャドウ)となって
無意識の中に残り、他者への嫌悪感として投影されるそうです。
木場勇治や長田結花が他人に向ける憎悪がこれに当たるんでしょうね。

つまりオルフェノク化とは、深層意識の中に閉じ込めている
拒絶すべき自分の弱い心が剥き出しになってる状態を表している
と見られ、
普通の人が演じるかっこいい自分=ペルソナを取り外しているから、
ライダーという仮面を付ける事が出来るのだと推察されます。

オルフェノクは動物の力を備え、人間より五感に優れるという設定になってます。
これが上手い伏線にもなっていて、木場がやたら目が良くなったように、
巧の猫舌は、オルフェノクである事の暗示になってるんですよね。
井上敏樹脚本はこういう伏線の張り方が実に面白いです。
ただ『カブト』の料理設定は…うん、まぁ、別の機会に回しましょう。


では、人間なのに仮面ライダーに変身出来る草加雅人はどう解釈すべきか?


草加雅人

↑これも乾巧って奴の仕業なんだ…悪い顔してます。


草加の場合、優等生の仮面を付けて本当の自分を隠しています。
しかし、自分のドス黒い感情も抑圧しきれずにいる。
オルフェノクと同様に、やっぱりシャドウが表層化している状態です。
即ち、優等生とライダーという2つの仮面の付け換えが出来る、
自分を演じ分けられる賢い人間である、と解釈出来ます。

こやつ…なかなか出来おる!


草加は真理の事を、「母親になってくれるかも知れない存在」だと言ってます。
この心理状態をユングの深層心理学の観点から分析すると、
草加の心の中では無意識のうちに理想の女性像(アニマ)が働いていて、
これが理想の母親像(グランドマザー)と一致している。

草加の深層意識に棲んでいるのは、善悪のせめぎ合いです。
心理学用語の「社会的ジレンマ」に陥ってると言えます。
他人に良く思われたい感情と、他人を支配したい負の感情が渦巻いていて、
それは過去に受けていたいじめ体験に結びついています。
いじめから庇ってくれた真理は、シャドウから逃れる為の救いの手であり、
実は草加は、自分の弱い心を追い出したかったんじゃないかと思います。


ちょうどこれ、ジブリ映画の『ゲド戦記』とよく似ていて、
こちらは主人公・アレンが理想の父親像(オールドワイズマン)である父親を殺し、
もう1人の自分であるシャドウを生んでしまった、というお話でしたね。
この映画を作った宮崎吾朗監督が、父親である宮崎駿氏に抱いていた
エディプス・コンプレックスを克服するお話でもあります。


―――


ペルソナ理論を背景に据えた時、『555』の謎もすんなり飲み込めます。
まず、オルフェノクの王とは何ぞや?という疑問。

オルフェノクの王は、滅び行く運命にあるオルフェノクに永遠の命を授け、
完璧な生命体へと進化させる力を持つとされていますね。
果たしてこれはどういう事か、再びユング心理学を当てはめてみると、
オルフェノク=シャドウであるとした場合、心の影が永遠になるというのは、
自分を包み隠さず、本能のあるがまま利己的に生きられる事を意味しています。
個人として非常に合理性のある、理想の生き方に違いありません。

敵の幹部であるラッキークローバーの1人・影山冴子は、
覚醒したオルフェノクの王の前に、永遠の命を乞い出ます。
ここで注目すべきは、ロブスターオルフェノクの肉体が王が放つ光に包まれた後、
人間として残されていた影山さんの影の部分が消失している
事です。


ロブスターオルフェノク

↑影山さん(人間の部分)の影が消えていく。


オルフェノクの王は、人間の心の影に対する光であり、
「こうありたくない」と抑圧している弱い部分を消し去ってくれていると考えられます。
つまり残されるのは「こうありたい」と願う理想の自分のみで、
確かに何ひとつ悩まなくていい、個人として完璧な生命体になっているのです。


そしてもう1つ、「夢」の終着点について。
オルフェノクの王の圧倒的な力に対し、巧たち人間の選んだ道は、
心の弱さを抱えたまま、人間らしく生きる事でした。

「弱さに負けない夢を持ってほしい」
「卵を抱くようにして暖めれば必ず夢は叶うのさ」

という、モノローグ的な台詞が意味するのは、
社会という集合体の中で自分の個性を見出せずに苦しみながらも、
しっかりと弱さと向き合い、打ち勝つ強さを得ようというメッセージにも聞こえます。
 

ところで、永遠の命を得た影山さんはどうしたかというと、
人間に倒された王の亡骸を何かの培養液みたいなのに漬けて、
 
「あなたは死なない、きっと蘇る、きっと」

なんと、完璧な生命体になったはずのオルフェノクが、
まるで人間のような「夢」を持ったんですよね!


ラストシーンは、ずっと夢を持てなかった巧が、

「俺にも、ようやく夢が出来た」
「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、皆が幸せになれますように、ってな」

 
と、〆てエンド。


この最終回が表す意味はとても平易で、すんなりと腑に落ちます。
しかし裏では、草加の苦悩の原因だった社会的ジレンマの克服、すなわち、
個人の合理性と社会の合理性の合一が果たされた事が、
オルフェノクだった海堂直也、琢磨逸郎らの行動で暗示されており、
こうした不言のロジックが背景でずーっと積み上げられてきたからこそ、
たった1つのメッセージだけで伝わるようになってるんですな。

ううむ…非の打ち所の無いストーリー構成です。


―――


物理学をベースにしたと思われる前作、『龍騎』と比較すると、
心理学がベースになっている『555』のストーリーは、
心理描写と非常によくマッチしていて、大変に分かりやすかっただろうと思います。
どちらが優れているのかを決めるものではありませんが、
『555』の場合、既に哲学の域にまで落とし込まれている理論を採用した事が、
傑作と言われる大きな要因となっている
と道場主は結論付けます。

たまたまこじつけが当てはまっている、とも取れますが、
こういった解釈が12年も継続して可能である事を考えれば、
偶然ではなく、狙って作られていると思ってます。

おそらく、脚本家の方が自力で捻りだしているのではなく、
配給会社の東映か、制作に携わるテレビ朝日のどちらかが、
企画会議で毎年フォーマットをこしらえて、脚本を依頼してるのでしょう。
藤林聖子さんの歌詞がお話と妙に符号するのも、たぶんこれが理由。


さて、次回は『仮面ライダー剣』の短評になります。
『555』で成功を収めた平成シリーズが、なぜスベってしまったのか、
これまた学術的解釈で解説していきましょう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『仮面ライダー龍騎』考察~神崎士郎が考えた量子力学的エネルギー生成法

当道場では、平成仮面ライダーシリーズの学術的考察を行ってきて、
それが大きな反響を頂いてきました。本当に有り難い限りです。


【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 555 フォーゼ ウィザード



サブカルチャーの分野では、『エヴァンゲリオン』以降かどうかは知りませんが、
90年代後半ぐらいから、漫画・アニメ・ゲームを中心に、
難解な理論をテーマとして作中に落とし込む作品が目立つようになり、
2000年代には、難解なまま放り出さずエンターテイメントとして昇華させた
文学作品にも比肩する極めて質の高い作品も現れ始めます。

普段から何気なく観ていた日曜朝の子供番組もその1つで、
特に平成ライダーにおいては、哲学・科学・物理学による解釈がぴたりと当てはまり、
頭をぐるぐるさせるのが大好きな道場主の脳汁はノンストップ状態。
今ではこうして考察に勤しむ事が、毎年恒例の行事になっているのです。
そんな妄言じみた誰得情報を、皆様に共有して頂けた事は、
何物にも換えがたい幸運であると勝手に思っております。


そこで当道場では、今回から不定期の連載として、
リクエストのあった平成ライダーのプレイバック短評をやろうと思います。
これまでアクセスして下さった皆様に、恩返しのつもりで書いていきますので、
生暖かく見守って頂けますよう、お願い申し上げます。


―――


龍騎ロゴ

↑戦わなければ、生き残れない!


平成仮面ライダーシリーズ考察の第1回目は、
仮面ライダー龍騎』(2002年2月3日~2003年1月19日放送)です。

なんで最初が『クウガ』じゃないの?って思われるでしょうが、
平成シリーズ中でも初期2作品に関しては、学術的考察が当てはまりません。
当時は昭和シリーズへのオマージュが強く、ホラー色が強かったり、
蜘蛛の敵に特別な意味があったり、ホンゴウやタチバナなる人物が出てきたり、
原作者・石ノ森先生へのリスペクトが見て取れましたが、
それゆえに手堅く、極端な独自性を出す事は避けられてたのではないかと。

『龍騎』に対しても、『クウガ』や『アギト』と同じように、
ドラマ性を楽しむものとして軽~い気持ちで観てたのですが、
にしてもどこか腑に落ちない、これまで無かった妙な違和感がある。

違和感の正体には、すぐには気が付きませんでした。
私はまだ学生の時分であり、元から頭の回転が速くもなかったので、
結局1年間通して観ても、最後までずっと首を捻り続けてました。


ところが次作『555』にて、すぐにこの違和感は解消されました。
詳細については次回のライダー考察で触れるとして、
『555』に隠された学術的背景を偶然にも見つけ出した事で、
前作にも何らかの背景があったのではないかと疑問を持ったのです。

そして、それは当たりでした。


―――


『龍騎』のストーリーは、1965年にノーベル物理学賞を受賞した
ジュリアン・シュウィンガーの理論であるCPT定理と、
1980年の受賞者、ジェームズ・クローニンとヴァル・フィッチの2人が発見した、
CP対称性の非保存をベースにしていると思われます。

物理界に存在する原子および分子の左右の対称性が、
自然界ではどちらか一方しか残されてこなかったというものです。

…何のこっちゃよく分からないので、下図で説明しましょう。


炭素分子

↑左右が存在する分子・炭素の例。

引用:「雑科学ノート」様 - 鏡の世界の話 -
http://hr-inoue.net/zscience/topics/mirror/mirror.html


アミノ酸ダイエットが流行った時、「L-カルニチン」など、
成分の名前にアルファベットが付いてたのを覚えてる方もいらっしゃるでしょう。
物質を構成する分子には左右が存在するもの(鏡像異性体)があり、
このL=levoが、"左型"を意味する表記なのだそうです。
という事は、鏡合わせの分子である「D-カルニチン」というものもあって、
こちらはD=dextroが、"右型"を意味する表記なのだとか。

不思議な事に、地球上の生命体は左右どちらか片方の酵素しか持っておらず、
アミノ酸だと左型、糖質だと右型しか酵素反応が起きないそうです。
進化の過程でどちらか片方が選び取られたと見るべきなのか、
例えば右型カルニチンをいくら摂取しても、ダイエットにはならないんだって。


もちろんこれはアミノ酸や生物学に限った話ではありません。
物理学において、陽子⇔反陽子、電子⇔陽電子、中性子⇔反中性子と、
物質を組成する粒子には、それぞれ対称となる反物質の粒子があるのですが、
自然界ではこれらが消え去り、存在していないのです。

これについては、1957年には理由が判明しています。
物理の法則においては、「○○保存量の法則」というのがあり、
空間(パリティ)を左右に反転させても、電荷(チャージ)を+から-に裏返しても、
時間(タイム)を逆に巻き戻しても、こうした保存則が不変である事は、
数学的にも裏付け提示され、長く信じられてきました。
しかし、パリティとチャージを同時に反転(CP変換)させると、
保存則が破られ、質量などが変わってしまうケースが見つかった
のです。


引用:コラムページ様 ~対称性と非対称性
http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/personal/hiroyuki/html/music/musicology3.html


対称性が崩れるという事は、鏡世界は物理法則に従っていない、
物質の組成バランスが不安定になっているという事で、
実際に反物質の粒子は、物質の粒子と比較して寿命が短いのだそうです。
物質と反物質がぶつかれば対消滅する(プラマイゼロになる)のですが、
エネルギー加速実験の結果、寿命の長い物質の方が余る事も確認されています。
つまり、物質と反物質は非対称であるという事になります。

もともと宇宙には物質と反物質の両方が存在していたと考えられていて、
対消滅が宇宙の歴史の中で気の遠くなる回数が繰り返された結果、
物質だけが残され、生命体が左右の偏りを持って生まれた
というのが、現在の物理学において有力な説となっているそうです。

合ってるよね?わたしゃ哲学的に解釈したいだけだから、
『龍騎』が理解できればそれでいいの。


―――


さて、対称性の保存則が破られる事が、『龍騎』のストーリーと
どのように関わりがあるのか、ここから見ていきましょう。

一言で表すなら、

ライダーに変身 → CP変換

に見立てて、場の量子論を利用したエネルギー生成によって、
消えゆく運命である神崎優衣に新しい命を与えようとした
、というのが、
道場主が考察するストーリーの謎を明かす鍵です。


『龍騎』における鏡像異性体の存在を見てみると、
城戸真司に対するリュウガ真司、神崎優衣に対するょぅι゛ょ優衣と、
ミラーワールドの中に存在するもう1人の自分に当てはまるのが分かります。


【左型】     【右型(鏡像異性体)】

城戸真司    リュウガ真司
神崎優衣    ょぅι゛ょ優衣
(存在せず)   神崎士郎
秋山蓮      (存在せず)


真面目に考えるとアホみたいに難しい数式を持ち出さなければならないので、
ごくごく簡単に説明すると、パリティ変換したミラーワールドでは、
チャージ変換も行われ、現実世界とは逆に、物質粒子が存在しないと考えられます。
これらは全て反物質粒子に入れ替わっていて、+は-に、-は+になってます。

現実世界の住人が、ミラーワールドに行くとどうなるか?
時間経過によって体がシュワシュワしてますよね?
これは生命体の持つ物質粒子(+)が、鏡の中の反物質粒子(-)とぶつかり、
対消滅(プラマイゼロ)を起こしていると解釈する事が出来ます。

ミラーワールドに巣食うモンスターも反物質で組成されていると想定される為、
モンスターを倒したり、これらを使役してバトルを始めれば、
相手を倒す時に放出した質量と、相手の肉体が持っていた質量が、
より高いエネルギーへと変換される
為、結果として上記現象が加速され、
新たな粒子と反粒子が対生成される事が予測されます。
対消滅・対生成を繰り返せば、いつしか物質粒子だけが残されるはずです。

城戸真司とリュウガ真司がライダーキックでぶつかり合ってるのは、
対消滅のモデルとして非常に分かりやすい描写になってますね。


ライダーキック

↑ライダー対消滅キック。


さて今度は、神崎兄妹の立場から考察してみましょう。
現実世界で1度死亡している妹・神崎優衣は、
CP変換によって生き永らえた鏡像異性体であり、
その肉体は反粒子によって組成されているものと考えられます。
しかし、反粒子の寿命は現実世界では長く続きません。

そこで考えられたのが、量子力学的なエネルギー生成法です。
対消滅・対生成によって残された寿命の長い物質粒子を、
優衣の新しい命として与えちゃおうという寸法!
ミラーワールドはさながら、衝突型のエネルギー加速器であり、
考案者の神崎士郎は、ライダーバトルを加速させて、
1つの生命体となりえる膨大なエネルギーを取り出そうとしたんですな。
まさに天才です。重度のシスコンですが。


神崎士郎

↑神崎士郎。 妹萌え・中二病をこじらせると天才を生む。


士郎の代理として戦うラスボス・仮面ライダーオーディンは、
タイムベントカードを所持しており、CPT全てを変換出来る唯一の存在です。
フォーゼの総評で、未知なる反重力の話をしましたが、
理論上では時間に関わる粒子にも、反粒子が存在するはずなのです。
CP変換だけでは崩れてしまう物理法則ですが、
残る1つの時間対称性(T変換)までカバーされた場合においては、
物理法則が保存される
事が理論的に証明されています()。

士郎が実践したエネルギー生成法は、このCPT定理に支えられています。
不完全な変換でその場凌ぎに補われた優衣の命を、
今度は周到に勘考した理論をもって、完全に救おうと考えたのです。

士郎からしたら、ライダーバトルを止めさせようとする真司らの動きは、
物理法則に反した想定外の現象であり、MajiでKireる5秒前だったはずです。
「ちょっ待てお前ふざけんな」と、浅倉さんを場に投入した気持ちが、
ちょっとだけ分かるような気がしないでもありませんね。


※ 『龍騎』放送終了後の現在では、CPT対称性の破れも示唆されています。
  物理学者って、どんだけ頭良いんだよ。



―――


実は、『龍騎』が放送された前年の2001年に、野依良治教授が
対称性に関わる研究開発でノーベル化学賞を受賞しており、
『龍騎』のストーリーはこれをヒントに生まれたのではないかと思われます。


引用:やわらかサイエンス様 ~キラリと光るキラリティー
http://www.geolab.jp/ms-science/science30.html


素粒子論というのは、理数系大学レベルの極めて難しい学問で、
道場主もおそらく10分の1も理解してません。
ですが、『龍騎』のスタッフは『エヴァ』のように専門用語を散りばめる事をせず、
平易な表現に落とし込んで、視聴者に理解させる事を試みています。

当時としてはこれは相当な冒険であったでしょうが、勝算はあったと思います。
前作『アギト』が高視聴率を獲得し、ゴールデンタイムにも進出するほど、
大人の視聴者層からの支持を集めていたからですね。
『エヴァ』の先例もあり、難しい事をやってもイケると踏んだのでしょう。
後に『電王』で大成功を収める、小林靖子脚本の妙技です。


しかしこれには、2つの難点がありました(道場主の見立てではね)。
まず1つは、一般化されていない理論を採用した事
CPT定理は鏡を使って出来るだけ分かりやすく説明されているものの、
なぜ鏡世界で時間が巻き戻るのかを一般化するには、別の理論が必要であり、
そしてそれは作中で1度も示唆されてはいません。
ゆえに、最終回でまさかの全てチャラにする超展開について行けず、
「???」となってしまった方も多かったと思います。

もう1つは、主人公をアンチテーゼとした事。 
「戦わなければ生き残れない」としたライダーバトル全50話のうち、
龍騎に変身する城戸真司は第49話まで戦う目的を見出せず、
ヒロインを支持する形でナイトに全てを託し、死亡してしまいます。
その為、戦う意図が明確な秋山蓮の方が真司のキャラより目立ってしまい、
主人公としての存在意義が薄弱化してしまいました。


ここらへんの反省は、次作に活かされています。
プレイバック短評の第2回では、小林靖子にゃんの師匠である、
井上敏樹脚本の傑作、『555』の学術的背景について見ていきましょう。
 


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『イーグル』~ケネス・ヤマオカに学ぶアメリカ大統領超人論


アメリカ国章

↑アメリカ国章・ハクトウワシ。

引用:栃木県HP・国際交流員の「今週の言葉」より

http://www.pref.tochigi.lg.jp/f04/life/kokusai/kouryuuin/1274953244848.html


今からちょうど4年前、ある漫画が話題になりました。
アメリカ大統領選の活動実態を描いた、かわぐちかいじ先生の『イーグル』です。

なぜこの作品が話題になったのかというと、4年前の選挙で、
史上初の黒人系大統領として当選したバラク・オバマ氏より先に、
有色人種の大統領の出現を予言していたとして、
Yahoo!ニュースなどメディアに取り上げられたのです。

実際に予言していたかどうかは別にして、かわぐち先生と言えば、
『沈黙の艦隊』で核問題を取り上げ、国会審議で名前を挙げられるほど、
政治を克明に描き出した事で知られていますよね。
『イーグル』も同様に、アメリカ社会が抱える闇の部分をあぶり出し、
日系候補であるケネス・ヤマオカの打ち出した進歩的な政策を通じて、
問題解決の具体的な道筋を提示しています。


オバマ大統領の再選が果たされた今、再度この作品を振り返り、
大統領にたる人物とはいかなるものかを探ってみましょう。

…前回の予告?政治家は公約を破るのが(ry


―――


『イーグル』のストーリーをおさらいします。

母子家庭で育った本作の主人公、日本の新聞記者の城鷹志は、
母の死後すぐに、アメリカ次期大統領候補・ケネスの密着取材記者に抜擢されます。
「なぜ自分が?」と鷹志が問うと、「子供には父親を知る権利があるから」と、
ケネスは自分が実の父親である事を明かします。

名前が"鷹志"ってとこがミソですね。
タカ科の大型種であるワシは、太陽に届く翼を持つ王者の象徴であり、
「端から端まで1万マイル」の支配力とまで表された強きアメリカの国章です。
アメリカの志を引き継いだ子として、この名前が付けられたのでしょう。
ともあれ、出生の秘密は最後まで関わってきます。

鷹志は自分や母に何ひとつ尽くしてくれなかった父親に対し、
複雑な感情を抱きながらも、選挙戦を戦い抜くケネスの信念に触れ、
父としてでも、大統領候補としてでもなく、1人の人間として、
少しずつケネスを受け入れ、記事にしていきます。


ケネスの人物像はいったいどんなものか?

ベトナム戦争で戦死した兄に代わって戦地に従軍、自らも瀕死の重傷を負い、
戦争で死ぬ無意味さを思い知りながらも、生きて帰還します。
その後は実力派の弁護士として活躍し、上院議員に当選。
ついに大統領候補となり、ベトナムの死地を乗り越えて得た経験を、
平和政策に結びつけて有権者に訴えかけます。

で、その政策。


・ 銃の全面規制
・ 人種差別の撤廃
・ 専守防衛
・ 全海外駐留米軍の撤退
・ 軍縮の代わりに国連軍を増強



…後半の方はあれよね、『沈黙の艦隊』の海江田四郎と同じよね。


ケネスの考えは、対立候補であるアルバート・ノアと交わした教育論に表れています。

大統領選に立候補したケネスは、副大統領の経験を持つノア陣営を訪れ、
「牧場に狼が現れた時、羊をうまく避難させるにはどのようにすれば良いか」と、
ソルト&ペッパーの容器を駒に見立てたチェスの勝負をします。
無論、「狼」は国難を、「羊」は国民を表しています。

ノアは、羊を追いたてる牧羊犬を育てるべきだと主張します。
スーパーカー政策と名付け、エリート社会の形成を目指したものですね。
対するケネスは、羊を牧羊犬のように賢く育てるべきだと主張しました。
スーパーカーに置いていかれた有色移民を救い上げる政策です。


ケネスや海江田元首の主張の背景は、かのドイツ哲学の権威・ニーチェが
『ツァラトゥストラかく語りき』で提唱した「超人」思想にあると思います。
超人とは、大衆に流されない強い個人として行動する、
すなわち"鷲の勇気"を持った人の事で、個人主義の推奨でもあります。
(ニーチェはポーランド人であり、ドイツが大嫌いでした。)

ケネスや海江田は、個人として国家からも独立する事を求めていますよね。
つまりは、国民1人ひとりが牧羊犬になる事を望んでいると言えます。
これは個人主義的無政府主義(アナーキズム)という考え方で、
特に海江田は、思想と行動の統合が取れた超人として当てはまります。

しかしケネスは、海江田と1つだけ異なる点があります。
海江田の目的は世界政府の樹立に帰結しますが、ケネスの目的は、
パックスアメリカーナ(アメリカ主導の平和)からの独立は訴えていても、
アメリカという国を好意的に捉えており、軍産複合体を解体し、
アメリカをより正しい道へ導こうとしているのです。
これは、軍事縮小を訴えて暗殺されたジョン・F・ケネディや、
マフィア壊滅を進めて同じ顛末を辿ったロバート・ケネディと同じ考え方です。


アメリカ国防費

アメリカ国防費
↑年々ふくらむアメリカの国防費。

引用:米国はどのように衰退してゆくのか?

http://www.kane-kasi.com/blog/2012/06/001880.html


軍産複合体とは、軍需産業とほぼイコールの意味です。
日本での公共事業と同じく、国家予算を圧迫し続ける主要因として、
ずーーっと予算削減の槍玉に挙げられています。
つーか当然よね、ベトナム戦争の頃の10倍になってるんだから。

世界を1つにしたい海江田、アメリカを1つにしたいケネスと、
お互いの利害主張に違いはあれど、結論は同じ、
国家それぞれではなく、国連軍を中心とした安全保障です。

余談ですが、本宮ひろ志先生の漫画『サラリーマン金太郎』で、
鷹司誠士なる人物が「世界政府の時代は間も無くやってくる」的な事を言ってたのは、
かわぐち先生の影響ではなかろうかと思ってたりします。
他にそんな事を言ってる人は、かわぐち先生の漫画くらいしか居ないので。
別の漫画にも伝播するほど、影響力の大きさが伺えますね。


―――


さて、現実の大統領は超人たりえたでしょうか。

上図の2009年~2011年の連邦予算に注目してみると、
オバマ政権下でもバランスシートにおけるチェンジが起きてない事が分かります。

オバマ氏はケインズ主義政策を実施しています。
正確には、経済ブレーンとしてケインズ主義者を起用した、となります。
公共投資による有効需要の創出が狙いです。
しかし、注ぎ込んだ予算に対する見返りが充分で無かったとして、
民から官へ」の移行に失敗したオバマ氏には批判が集まっていました。
元は弁護士なので、経済に関しては唯一の泣き所だったのです。


今回の大統領選でも、対立候補のロムニー氏が支持を集めたのは、
ビジネスコンサルタントをやっていた正真正銘の経済専門家であるロムニー氏が、
新自由主義の観点から、オバマ政策の穴を突いたからですね。

新自由主義とは、日本で言えば竹中平蔵氏の構造改革路線に当たります。
小泉元首相がよく言ってた、「官から民へ」ってやつです。
公共事業に割く予算を削減し、緊縮財政のもとで経済を立て直すのが狙いです。


アメリカでは、共和党は右寄り、民主党は左寄りだと言われています。

ですが、ここだいじ。

オバマ氏はあくまで自分好みなケインズ寄りの経済学者を起用しただけであり、
当の政権下では自由主義の象徴であるTPPを推進するなど、全く逆の事もやってます。
ロムニー氏もあくまで自由経済論によって現政権を否定したに過ぎず、
反ケインズ主義のレーガン政権を別の経済論で批判した事もあります。

民主党でもクリントンのように新自由主義政策を採った政権もありますし、
共和党でもケインズ主義の経済学者をブレーンとした政権も多々あります。

政治は二者択一ではないという事です。


『イーグル』が伝える政治家の資質とは、超人である事だと言っていいでしょう。
かわぐち先生が一貫して描き続けてきた人物像でもあります。
ゆえに、政治家をシロかクロかの結論で決め付けるのは、
「萌えアニメを見てるから性犯罪を起こす」というのと同じくらいの暴論だと思います。
「ケインズ主義を採用したからオバマ政権は失敗したのだ」という意見には、
道場主は積極的に与する事は出来ません。

ケネスが駐留米軍撤退を訴えた時は、作中では多くの批判が出ています。
例えば現実の世界でオバマ氏が「沖縄基地から米軍を引き上げます」と言ったら、
そりゃもう漫画で描かれてるほどでは済まないくらいの批判が出るでしょう。

ですが、ケネスにはそう言わざるを得ない個人の問題があり、
有権者の前で嘘を吐く事は、ケネス個人としても統合性の取れない行動なのです。
ケネスの平和政策は、ベトナム戦争と兄の死が背景となっていて、
彼を密着取材していた鷹志は、それを知っていく事となるのです。

オバマ氏もチェンジと言った背景には、生い立ちに関わるそれなりの理由があります。
結果として4年間ではアメリカをチェンジする事は出来ませんでしたが、
エネルギー革命によって輸入国から輸出国に転じるなど、
極めて重要な政策を一貫して支援し、実現へと導いた人物でもあります。
「官主導」と言いつつ、大事なことは民間任せのどこぞの政権とは違うのです。
政治家にとって個人を継続する事こそが最大の資質であるのなら、
オバマ氏は充分に超人であると言えるでしょう。


―――


さて、日本で目下の注目を浴びる政治家と言えば、数々の問題発言でお馴染み、
国政復帰を目指す前東京都知事の石原慎太郎氏ですね。
石原氏と言えば、「天罰」発言で被災地から猛バッシングを浴びましたが、
これもやはり、石原氏個人と深い関わりがある事をご存知でしょうか。

石原氏は日蓮宗(法華宗)の宗徒であり、弥勒山の顔役も務めています。
そして、日蓮宗と関連の深い三島由紀夫とは友達でした。
三島は自衛隊にクーデターを呼びかける演説をした後、割腹自殺しています。

日蓮宗では、「我欲」というキーワードが出てきますが、
この言葉は石原氏が天罰発言の前にしきりに口にしていた事であり、
石原氏は、自殺した三島の強靭な遺志を受け継ぎ、
我欲にまみれたとされる日本の未来を本気で憂いているように思えるのです。
ブレないという意味では、石原氏の一貫した主張は超人論だと言えます。

道場主も、失策続きの石原氏を賞賛する気はありませんが、
石原氏の背景は痛いほどに理解しています。


私たち有権者は、鷹志がケネスに密着取材した時のように、
政治家個人をもっと深く知るべきではないでしょうか。
この人はクロだからダメ、あの人はシロだからイイ、という二元論は、
敵対候補やマスコミが作り出したイメージに過ぎないはずで、
それが本当に個人を知る事であるとは言えない気もします。

私だって「仮面ライダーは子供の観るべき番組」とか言われたら、
400字詰め原稿用紙100枚分くらいの抗議文を送りつけて反論しますぜ。

かわぐち先生は、読者1人ひとりも個人を確立し、
牧羊犬のように賢くならなければならないと訴えかけているのでしょう。
 


ご清覧ありがとうございました。

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