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2012年08月

【総評】『仮面ライダーフォーゼ』~スイッチで本質化する内的宇宙

『仮面ライダーフォーゼ』が最終回を迎えました。

座薬のような頭頂部 もとい、革新的なデザインで話題をさらい、
好評のうちに幕を閉じる事となったこの作品ですが、
先日の短評で解説した通り、背景には壮大なテーマが隠されています。

今回は、それをさらに詳しく見ていくと同時に、
『フォーゼ』が描いた宇宙の本質について纏めてみようと思います。


【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
 総論 龍騎 555 ウィザード



―――


『仮面ライダーフォーゼ』は、1970年にノーベル物理学賞を受賞した
ハンネス・アルベーン博士の「プラズマ宇宙論」をベースにしていると思われます。

 ・磁場 = 階層(アメリカン・ヒエラルキー)
 ・重力 = 友情(対等な人間関係)


宇宙学では、言わずと知れた「ビッグバン理論」が主流です。
この理論は、これまた有名なアインシュタイン博士の相対性理論が背景にあり、
アインシュタインは宇宙定数を使って、重力によって揺れ動く星々が、
宇宙項(反重力)によって均衡が保たれる宇宙の姿を説明しました。

 G=κT-λg

※ Gは重力、κTが運動エネルギー、λgが反重力。

ところがこの定数、アインシュタインが考える定常的な宇宙の姿に従うべく、
帳尻合わせとして導入されたもので、実際の宇宙は膨張を続けている事が、
宇宙望遠鏡の名前にもなっているハッブル博士の観測によって明らかになりました。
アインシュタインは机上の空論だった宇宙項を後に撤回し、
「生涯における最大の失敗」だと述べています。

ところがところが、アインシュタインの死後に逆転ホームランが待っていました。
宇宙の膨張は右肩上がりの想定ではなく、重力によって弧を描くように減速し、
いつかは静止してしまう事が予想されていました。
これが、ハッブル望遠鏡で遠い宇宙の向こうの超新星を観測した結果、
減速どころかむしろ加速していた事が確認されたのです。

つまり、自らの重力におしつぶされるはずの宇宙が永遠に膨張し続ける為には、
重力に対抗する為の、より大きな反重力が必要な訳で、
アインシュタインの宇宙定数は、仮定としては正しかったと証明された事になります。

現在の宇宙論では、この力を暗黒エネルギー(ダークエネルギー)と呼んでいます。
何てったって世界中の天才科学者が束になっても解明出来なかった力です。
名前が中二病的でかっこよすなのはお察し下さい。


―――


プラズマ宇宙論は、物質を構成する原子の安定した姿から、
ボトムアップ的に宇宙の姿を説明した理論です。

原子は、陽子(+)を含んだ原子核の周りを電子(-)が飛び交う事で、
電気的に安定させ成り立っています。要するに磁石の力です。
ビッグバン理論では反重力的なエネルギーを謎としてきましたが、
プラズマ宇宙論では+と-の電磁作用で簡単に重力と反重力の関係を説明しました。


原子で構成される人間も+と-があり、お互いを重力で引っ張り合っているのですが、
『仮面ライダーフォーゼ』では、重力を"友情"に置き換えており、
重力から反重力に切り替えるアイテムとして"スイッチ"を象徴的に扱っています。


宇宙が今も膨張を続けているというのは、重力<反重力の状態だという事です。
『崖の上のポニョ』の考察で潮汐力の解説をした通り、
地球や月も例外ではなく、反重力によって月は地球から遠ざかっています。
これを希薄化する現代の人間関係に当てはめたのが『フォーゼ』のテーマです。

階層によって磁場が保たれている天ノ川学園において、ゾディアーツスイッチは
定常宇宙の力の源である、ダークエネルギーを呼び起こすものです。
ダークエネルギーは未知なる力。作中で描かれる"コズミックエナジー"とは、
人間関係を引き離す反重力のエネルギーであったと考えられます。
つまり、スイッチを押すと磁場が乱れ、人間関係が壊れていく。
学園理事長・我望光明の狙いは、"友情"という重力に縛られた人間を、
宇宙に輝く恒星のように、唯一の輝ける存在として進化させる事にあったのでしょう。

これに対し、フォーゼに変身する主人公・如月弦太朗の存在は、
リーゼントに短ラン姿と、明確に古き良き時代の人間である事が意識付けされており、
その他のブレザーを着たスマートな現代の若者達と対比させています。
「この学園の生徒全員と友達になる男だ」と連呼させる事で、
前時代的な特有の暑苦しさをベタに演出しているのも分かりますね。


フォーゼが使うアストロスイッチは、未知と言うより、既に制御されています。
ゾディアーツスイッチが反重力のエネルギーをそのまま取り込んだものだとしたら、
アストロスイッチはその力を制御しようとしたのではないでしょうか。
ゾディアーツになると人間は全てを反発し、最終的には我望のように孤立します。
反重力のエネルギーを行使したい我望にとっては、重力=友情など邪魔なだけです。
赤い目の輝きは、全ての人間関係を跳ね除けてきた非人間的な証なのでしょう。

アストロスイッチの開発者・歌星緑郎は、我望の親友でもありましたが、
我望と異なり、大地に根を下ろす事を望んでいたと思います。
反重力によって宇宙は膨張し、人間関係が疎遠になっていっても、
地球という星は、人間にとって帰るべき場所に違いありません。
歌星博士は重力に縛られた人間を愛していたのでしょう。

「ゾディアーツスイッチは人体への負担がかかる」という台詞は、物理的にも正しく、
人間は重力の束縛からムリヤリ離されると、様々な障害を起こします。
だからこそ宇宙に行く為の訓練を宇宙飛行士が積む訳ですが、
重力を友情に置き換えてみると、人間は1人では生きていけないという、
2つの意味に連なるメッセージである事が明らかになるのです。


ふ…深い。深すぎる。もはや子供番組じゃねーよ。


―――


歌星博士の息子・賢吾は、紆余曲折を経て友情を築いた弦太朗に、
変身出来ない自分の代替として、アストロスイッチとフォーゼドライバーを託します。

この賢吾くん、実は人間ではなく、体内にあったコアスイッチから生まれ出た
"コアチャイルド"なる存在であった事が判明します。
コアスイッチとは、20年前に我望と緑郎が月面で発見したもので、
宇宙から声を発していた宇宙の大いなる意志である"プレゼンター"が、
その声を受信出来る知的生命体と接触する為に、宇宙にばらまいたのだそうな。
コアスイッチを解析して得られた力がコズミックエナジーであるなら、
プレゼンターの意志とは、宇宙を膨張に向かわせるベクトルの事だと考えられます。

で、このコアスイッチ、やはり隠された意味があります。
『フォーゼ』がプラズマ宇宙論をベースにしていると定義した場合に限るのですが、
"コア"という言葉は、物質の最小単位の"原子核(コア)"を示す推察されるのです。
原子論では、最小の物質である原子は、最小の宇宙であるともされています。


内的宇宙 外的宇宙

↑内的宇宙である原子と、外的宇宙である銀河系の比較。
 その姿形や、力学的バランスまで酷似している。



原子核は、陽子(+)と中性子で構成されています。
+と+が寄り集まれば反発し合い斥力が発生しますが、これを「核力」と呼ばれる
中性子の強い相互作用(+と-の電磁作用の102倍の引力)で原子核を安定させてます。
かの有名な湯川秀樹博士の中性子理論です。

プラズマ宇宙論は、宇宙に存在する正体不明のダークエネルギーについて、
磁場による相互作用であると説明し、重力に支配されたこれまでの定説を覆しました。
この理論はビッグバン理論を否定するもので、まだ主流ではないのですが、
人工的に発生させたプラズマが、銀河の構造のように渦巻きを描くなど、
実証的にも信憑性の高い理論として注目されている新説です。


コアスイッチは、コアチャイルドである賢吾の中にありました。
我望は外的宇宙から得たダークエネルギーで宇宙に出ようとしましたが、
コアチャイルドの原子核は、外的宇宙に匹敵するほどの力を既に内包していました。
すなわち、コアスイッチを原動力とした内的宇宙の形成です。
コアスイッチには、核力によって反重力を制御する力があると考えられます。
我望の力はビッグバン理論によるもので、賢吾の力はプラズマ宇宙論によるもの。
『フォーゼ』で描かれる戦いは、対立する2つの理論の戦いでもあるのです。


賢吾は宇宙に旅立つ指名を持って弦太朗達に別れを告げますが、
弦太朗の発した重力と、賢吾の中の重力が引かれ合い、
地球を帰るべき場所として、賢吾は弦太朗のもとに戻ってきます。

外的宇宙である銀河の果てから送られてきたプレゼンターの意志が、
内的宇宙であるコアとなって賢吾の体内で働いているのは、
宇宙学の観点から見ても大変に面白い解釈で、
このストーリーを考えた中島かずきという人は、宇宙学に関する
何らかの知識を持って脚本制作に当たったと見て間違いありません。


―――


我望が支持するゾディアーツスイッチによる宇宙進出を否定した賢吾は、
アストロスイッチで宇宙の反重力的なエネルギーを制御し、
フォーゼシステムによってその力を行使して、宇宙へと旅立とうとしました。

人間は重力から解き放たれれば、簡単に宇宙へ行けます。
それを否定してしまえば、別の方策を講じなければなりません。
ではその方策とは何か?それは、賢吾が支持したフォーゼシステムが
何を象徴しているかを考えれば、自ずと答えが出てきます。

フォーゼのデザインは宇宙服をモデルにしているそうです。
嘘だろ?あの座薬がか? 確かに宇宙を意識したスタイルですね。
フォーゼシステムは単身で宇宙まで飛んで行く事が出来ます。
フォーゼが宇宙に出る時は、愛車のマシンマッシグラーを使うか、
コズミックステイツにチェンジしてロケットを使っています。
要するにフォーゼシステムは、ゾディアーツスイッチ=反重力に頼らずに、
宇宙に進出する事を目的としていたと想定されるのです。

宇宙への進出は、人類開闢から連綿と受け継がれてきた夢でもあります。
宇宙服をモデルにしているフォーゼは、明日を夢見る子供達を
果てしない宇宙へと導いてくれる、宇宙船のような存在なのかも知れません。
『宇宙兄弟』では、宇宙服の事を「最小の宇宙船」だと紹介する台詞がありますが、
フォーゼの宇宙服スタイルもやはり"宇宙船"を表していたと考えられます。


―――


「内的宇宙」という言葉を最初に使ったのは、J.G.バラードというイギリスの作家です。
彼はこう言います。「人間が目指すべきは、外的宇宙ではなく内的宇宙だ」と。
作品の背景にある壮大なテーマや、フォーゼの象徴化に見られるのは、
中島かずき氏の内的宇宙だと言っていいと思います。
『仮面ライダーフォーゼ』は、原子の仕組みを作中に落とし込む事で、
バラードが目指した深遠な内的宇宙を見事に表現したのです。

弦太朗と賢吾は、最後に自力で宇宙に行く事を誓い合いました。
『フォーゼ』が描こうとした宇宙の本質は、重力と反重力が拮抗した、
定常的な人間関係、つまり、変わらない友情であったと思います。


この1年間、私達を宇宙への夢へと誘ってくれたのは間違いなく、
ダサかっこいい座薬ちゃん フォーゼの戦う姿でした。


この記事はアニプレッションに投稿しました。
 →【総評】仮面ライダーフォーゼ~スイッチで本質化する内的宇宙
 


ご清覧ありがとうございました。

【クールジャパン論】(4) 古田織部の生き様を見よ


へうげもの

↑見よ、このドヤ顔!


日本のコンテンツ産業が、今後どうあるべきか。
漫画やアニメ、ゲームといったサブカルチャーに対する議論も、
現在では政府の主導によってなされているが、
はたして、官民一体となった対策の立案には至っていない。

そうしたギャップが生まれる要因がどこにあるのか、
『へうげもの』の古田織部正重然と時の権力者との交わりから、
詳細に見ていきたいと思う。


―――


日本が歩んできた文化史を紐解けば、いつの時代も「もの」を通じて、
歴史やそこに関わった人物のひととなりを見る事が出来る。

茶人・神谷宗湛は『宗湛日記』にて、慶長4年(1599年)2月28日、
古田織部の茶会で初披露された織部黒の沓型茶碗を、
「ウス茶ノ時ハ、セト茶碗ヒツミ候也、ヘウケモノ也」と評している。
つまり、「歪んだ瀬戸物茶碗が面白おかしい」と。


古田織部という人は、武野紹鴎を師に持つ父・重定の影響を受けている。
紹鴎の師は、侘び茶の開祖と言われる村田珠光であり、
紹鴎の弟子は、茶聖と称せられたかの千利休であるのだが、
作中でもその数奇(変人)ぶりは「父親譲り」とされ、
織部自身も38歳の時に利休に弟子入りしている事からも、
元々のルーツは侘び茶にあったのが分かる。

しかし、織部の作った「もの」は、室町の潮流として栄えた東山文化とも、
そして絢爛な華をあしらえた織豊・桃山文化とも異なる意匠が凝らしてある。
当時の時代の背景として「かぶきもの」=数奇に傾倒した者が居たのは、
『花の慶次』などのヒット漫画作品でも知られているが、
織部もまた、伝統と格式を重んじた茶の湯に対する「へうげもの」=数奇者として、
独自のフォーマットを築こうとしていた人物だったという事が、
織部焼と称される歪んだ茶碗から見て取れるだろう。


古田織部や千利休らは、時の権力者である羽柴秀吉らに重用されている。
文化人の支持を取り入る為に政治利用されていた茶の湯であったが、
その背景となる"数奇"は充分に理解をされていた。

『へうげもの』では、秀吉はセンスが壊滅的に乏しい人物として描かれている。


古田織部

> むさい…なんともモリッと冴えない茶碗だぞこりゃあ…。
 ザリッとした無釉の骨気が魅力の備前焼なのだがな…。
 目かけてくれた羽柴さまには悪いが…これは俺の蒐物集には加えられんの…。



このように織部にがっかり茶碗を与えて嘆息を吐かせているものの、
数奇に対する理解として数奇者が喜びそうな「もの」を
天下を治める為に活かしていた事が、よく表されているだろう。
『へうげもの』の「もの」とは、器物を評価する時に使われた言葉であるが、
作中ではひょうけた人物、つまり数奇者を指す言葉として使われており、
「もの」に込められた人物背景まで丁寧になぞらえてある。

古田織部が織部焼を完成させる事が出来たのは、
数奇というフォーマットへの理解が下地にあり、
それらが生み出す「もの」への理解があったからに他ならない。


―――


ジャパンフォーマットを活かす道として、漫画やアニメを政治利用し、
海外に向けて積極的に輸出していく方策は正しい。
現政権を羽柴秀吉としてとらえれば、秀吉がいかにセンスが無くとも、
文化保護と育成の対象にサブカルチャーが選んだのには、
これまで受けてきた偏見に鑑みると、大きな進歩を遂げたと言えよう。

しかしながら、政策を打ち出して既に2年。
これまで何の進捗も伺えないのには、偏見と理解とのギャップが
未だに埋められない事実を如実に物語っているだろう。
有態に言えば、どう扱っていいのかさえ分かっていないと見られるのだ。


ジャパンフォーマットは、信頼の上に成り立っている。
製造業界では「チャイナリスク」なる言葉がまことしやかに囁かれているが、
他国と日本の決定的な違いが、この信頼性(リライアビリティ)である。

折りしも世間では中韓の政治的アピールが立て続けに発生し、
韓流ドラマの放送が見合わされるなどの措置が取られているが、
現在の韓流文化の広まりは、2003年から始まった以前のブームの延長線上には無く、
08年の世界不況以降の円高・ウォン安を背景にした、
韓国の外貨獲得の政策としての文化輸出が奏功したものだ。
この国にもやはり、「コリアリスク」とも言うべきリライアビリティの問題が存在し、
国際舞台の上で信頼を損なう行いを簡単にやってしまう。

かつてはリスクの上において中韓の製品は回避されていたが、
他国が不況に喘ぐ間に、中韓は日本やアメリカでリストラされた技術者を受け入れ、
たった5年で世界を席巻する技術力を付け、安さと両立させた。
技術立国と言われた日本は信頼の上に胡坐をかき、開発を怠ってしまった。
今や世界の下請けを担うのは、中韓である。

コンテンツ産業でも全く同じ構図が生まれている。
高額な人件費に苦しむテレビ業界を中心に、安価な韓流文化は持て囃され、
素材面でビジネスリスクの低いK-POPなど輸入してきたのだが、
その裏で、自国のコンテンツをここ5年間まるで育ててこなかった為に、
アジア事業展開において大きな差を付けられてしまった。

クールジャパン政策は、「空白の5年間」を取り戻す為の、
生き残りを賭けた戦いでもあるのだ。


―――


韓流文化が多額の宣伝費をかける理由は、ただ1つ。
そうしなければ、世界の注目を自分達に向ける事が出来なかったからである。

日経新聞によると、韓国のコンテンツ関連の予算は200億を越えていて、
日本の予算規模のおよそ8倍なのだそうだが、逆に言えばこれは、
日本は8分の1の予算で、世界と戦える訴求力を生み出せているという事だ。
いかにジャパンフォーマットが他国に信頼されているか分かるだろう。

コリアフォーマットと比較すれば、リライアビリティの差がより明らかとなる。
中韓ではコピー品が濫造されてきた背景があるが、
K-POPもやはり、J-POPの「モノマネ」であるという認識が欧米ではなされている。
剽窃作品として有名な『テコンV』も、日本のアニメが元なのは言うまでもない。
つまり、韓国はオリジナルフォーマットを生み出す力が欠けているのだ。


日本では古来から、他国の文化を輸入し、それをアレンジして、
自国の文化を新たに生み出す力を持っていた。

再度、『へうげもの』を見てみよう。

古田織部は、唐物(中国産の陶磁器)の良さを理解しながらも、
「欲しいものは自分で作るしかない」とし、
師匠である千利休の侘び数奇の良さも取り入れながら、
オリジナルフォーマットである織部焼を生み出した。


織部焼


織部焼を実際に目にするとよく分かるだろうが、これを見て、
絢爛な唐物や静謐な侘び数奇の「モノマネ」だと言う人がいるだろうか。
器の歪みと革新的な図柄が幾何学的なバランスのもとで成立した、
破調の美を基調とした名品である。

古田織部は、織部正(染織物の官)という官職を秀吉から与えられ、
侘び数奇に代わる新しいフォーマットの創出を命じられると、
織物関係のデザイナーとのコネクションを通じて、
「織部十作」なる宗匠らを、いわゆるプロデューサー的な立場で支援し、
江戸時代に続く陶芸文化の育成に多大な功績を残した。

江戸時代では陶芸は藩のお抱えとなり、大量生産を目的に分業化されたが、
例えば皿物しか作っていなかった九州の陶工の中から、
「西の仁清(京焼)」と呼ばれる現川焼がいきなり出てきたり、
オリジナルフォーマットを作る意識が後の時代まで極めて高かった事が分かる。
これもやはり、各々の藩が陶芸文化を推奨していたからだろう。
利休や織部の文化育成の貢献が、こんな所にも現れている。


日本は他国の著作権を侵害する事なく、オリジナルの文化を作り出してきた。
世界から信頼されるのは、こういった理由だろう。


―――


現在のクールジャパンは、どのように文化育成をしていくか、
実はまだ内容を精査している段階である。
そして政府の平成24年のアクションプランの中には、
具体的な政策として漫画やアニメ文化の育成計画が含まれていない。
それどころか、輸出の計画すらままなっていない。

重点政策として挙げながら、なぜこのような遅滞が生まれるのか。
これは単純に、四方に資金を回せるだけの潤沢な予算を確保していないからだ。
クールジャパンは、成長戦略が取りたくても取れない状況にある。

ジャパンフォーマットは確かに世界に信頼されているだろう。
韓国の予算の8分の1しかなくても、世界中のバイヤーが日本に買い付けに来る。
しかし、信頼の上に胡坐をかいて研鑽を怠っていたらどうなるか、
製造業で痛い目を見た今なら分かるはずである。


口では文化事業の重要性を説きながら、お金は出さない姿勢を崩さない。
政府高官も内心では、漫画やアニメを低く見ていると見ていい。
その証拠に、議員事務室に漫画が置いてあるだけで国会で答弁するほどだ。
豊臣秀吉は桃山時代の文化育成に糸目を付けなかったが、
現代の権力者は、コンテンツ産業が自動車に代わる
輸出産業の枢軸になるとは、誰も本気で考えていないのだろう。

そうこうしている間にも、コンテンツ産業全体が縮小化してきている。
今必要なのは、輸出の拡大を図って外貨を獲得する事でなく、
コンテンツ産業に関わる人材を予算を組んで支援し、育成していく事である。


さて、『へうげもの』には作品権利に関する逸話がある。
NHKがアニメ化する際、第11話から作者と出版社のクレジット表記を外したのだ。
国営放送局までがサブカルチャーに対するリスペクトを欠いているのが、
悲しいかな、日本という国の現状である。

私の願いは、頭で数奇を理解しようと努めた『へうげもの』の権力者のように、
クールジャパンがサブカルチャーと真に向き合ってくれる事だ。
古田織部が秀吉に忠誠を尽くしたのは、秀吉が織部の「友」であったからで、
それぞれの違う価値観をお互いに認め合ってきたからだ。
政府は信頼に背を向けたままである。これでは誰からも信頼は得られないだろう。
 



ご清覧ありがとうございました。

【ゲーム】ユーザー目線から見たドラゴンクエストのオンライン化


ドラゴンクエスト10


↑オンラインで無かったら…ねぇ。


今、私が注目している事と言えば…。
8月2日に発売されたWiiの新作ソフト、『ドラゴンクエスト10』です。

漫画はどうした。

私はWiiは持っているのですが、『ドラクエ10』は買ってないんですよね。
『9』まではやってましたけど、さすがにオンラインというのは…。
けっこうこういう人が多いみたいで、先日発表された同ゲームの初週販売本数は
前作の2割程度の42万本と、話題を集めるには至っていません。

『ファイナルファンタジー11』で既にオンライン化の実績のある
スクウェアエニックスですが、『FF11』はPC市場をメインターゲットにしており、
家庭用ゲーム機でのオンライン化というのはかなりの冒険だったと言えます。
しかもそれがドラクエで、しかもナンバリングタイトルでと来れば、
従来のファンから疑問符が付いても不思議ではありません。


引用:アニメな日々、漫画な月日 様

今回はとっても個人的な見解になりますが、
なぜスクエニがドラクエシリーズのオンライン化に踏み切ったか、
経済学の観点からちょいちょい補足的に解説をしつつ、
なぜ私がそれを支持しなかったのかを述べていきたいと思います。

なお、強烈な【Wii下げ】の文章が含まれていますので、
任天堂ファンの方はご注意下さい。



―――


さて、まずはスクエニの狙いです。スクエニは合併前から、
バランスシート(財政状況)の不安定さが指摘されていました。
両者とも出せば売れる看板タイトルを抱えながらも、
開発スパンの長期化で、収益が上がらない年があったりしたので、
合併してソフト供給サイクルを安定化させました。

しかし、結局はこれもソフトの売上に左右されてしまいかねない、
フロー(流動)型の収益構造には変わりありません。
そこでさらに安定化させる為に行ったのが、ストック(固定)型への転換。
つまり、定常的な収益が期待出来る"オンライン化"です。

スクエニは、企業として当然の選択をしています。
フローに依存した自転車操業では、バランスシートの修復は不可能です。
まずここを念頭に置いておく必要があります。


『ドラクエ10』のプレイ人口が42 → 50万人に伸びたと仮定します。
50万人の人が6000円の商品を買った場合、営業収益は30億円になります。
このうち2割を小売や運送会社などに払ったとして、残りは24億円です。
そこからユーザーが毎月1000円の月額利用料を課金したとすると、
月単位で5億円のストックが得られる事になります。
課金ユーザーは4週置きに1割ずつ減っていく事にしましょう。

では、前作『ドラゴンクエスト9』の収益はどうだったか。
400万人の人が5000円の商品を買ったと計算すると、営業収益は200億円です。
小売・運送もろもろ差し引いて、最終的な収益が160億だったとします。

5億円+4.5+4.05+3.645+…と、継続的な収益構造が確立された場合、
『ドラクエ10』は1年後に150億円を売り上げ、前作の収益を越えるのです。
あな恐ろしや、これがストック型の強みですね。


と こ ろ が 、、、


世の中そうは上手くはいきません。

仮に課金ユーザーが倍の早さで減っていったらどうなるでしょうか?
1年後で95億、2年経ったら全く伸びず100億円に留まります。
サーバー管理費や人件費を差し引けば、前作より確実にマイナスです。
つまりストックを保持するには、いかに長く遊んでもらうかがポイントである為、
ユーザーを繋ぎ止める方策が絶対不可欠という事です。

スクエニ側では10週ごとに大規模アップデートを予定してるそうですが、
実はこれ、大きな落とし穴があります。


―――


ここまで見てきた流れは、あくまでメーカー目線から見た皮算用に過ぎません。
ユーザー目線から見た場合、長く遊びたくても遊べない、
無視する事の出来ない懸念材料が、ここに重く圧し掛かってきます。

第一の懸念が、Wiiのハード寿命です。

『FF11』が10年間も継続したストックを得る事が出来たのは、
先に述べた通り、PC市場をメインターゲットにしていたからです。
しかし、『ドラクエ10』は家庭用ゲーム機で販売した事で、
ゲーム機本体の商品寿命とも戦っていかなければならなくなりました。
SD機であるWiiはハード寿命が既に尽きている上に、
折りしも時代はゲーム機からスマートフォンに移り変わる真っ最中。
10年間も戦えるオンラインゲームが据置ゲーム機で実現するはずがありません。

WiiUが2012年内に発売されたとしても、全く同じ事が言えます。
新型ハードと言えども10年も持たせるだけの設計がなされてないので、
スクエニの目論見は最初からアテが外れている事になります。


第二の懸念が、ユーザーの出費です。

第一の懸念より、ユーザーが毎月の利用料金だけでなく、
ハードの購入でさらなる金銭的な負担を強いられる事が分かります。
もちろんそのまま現行機に留まって遊べばよいのでしょうが、
魅力的な新作ソフトは後から次々に生まれてきます。
アップデートがユーザーを継続的に満足させられるものでなかったら、
ハードの過渡期を迎えた所で、これ以上の出費を敬遠する人が必ず現れます。

これらの懸念材料が残り続ける限りは、売上にもマイナスに作用する為、
『ドラクエ10』は『FF11』の成功をなぞる事が出来ないでしょう。


―――


家庭用ゲーム機でオンラインゲームを提供する事を現実的に見た場合、
『ドラクエ10』はリリースのタイミングも逸していました。

初週販売本数を2年前に発売された『モンスターハンター3(tri)』と比較すると、
『ドラクエ10』は42万本に対し、『モンハン3』は58万本です。
前者の方が若干スローペースかな?なんて思えてしまいますが、
この2年の間にWiiの普及台数が1000→1200万台に拡大している点を考慮すれば、
前者は29人に1人、後者は17人に1人が購入した計算になる為、
『ドラクエ10』は従来のユーザーを数字以上に取り込めていない事が分かります。

両者はともに携帯機で発売した前作の販売本数が400万本を越えています。
ユーザー数がほぼ互角のタイトルでこれだけ差が生まれたのには、
ソフトのオンライン化だけに起因するのではなく、
商品寿命が尽きたハードでリリースしたのも理由の1つと見られるのです。


最後に個人的な話をすると、『モンハン3』のオン環境はとにかく最悪の一言でした。
そのほとんどが、Wiiの特性に起因するものであった事を覚えています。
この時に味わったハードの制約とリテラシーの格差は、
ドラクエの新作に対してもマイナス印象を植え付けるに充分でした…。

実際は面白いのは遊ばずとも分かるんですが、
積極的に遊びたいという気持ちを萎えさせる要因があって、
それを敬遠している人も多いのではないかと思います。

『ドラクエ10』は家庭用ハードを選択した事に必ず足を引っ張られるでしょうが、
私はそれ以上に、Wiiに対する感情的な面で購入を避けました。


ちなみに私は、任天堂の十年来のファンです。
WiiUが、NINTENDO64のランドネットサービスの頃からの、
山内前社長の夢を実現したマシンである事も全て承知しています。

その上で、任天堂のハード設計思想には疑問を呈しています。
クラシックコントローラーPROであったり、3DSの拡張スライドパッドであったり、
経年変動に耐えられない設計のミスマッチが多すぎる。
アンバサダープログラムや3DSLLの投入に至っては、言語道断です。
ユーザーにそういう所で損をさせると、信頼も損ないかねないと思ってます。
顧客満足を二の次にして企業論理を優先させたメーカーがどうなったか、
3Dテレビの市場展開の失敗を見ても分かります。

スクエニに対しても、ストック型への転換を図る事は企業として当然ですが、
必ずしもそれがユーザーにとってプラスになるとは思えません。
少なくとも『ドラクエ10』は、ユーザー目線から見てフレンドリーではありません。
10年間戦える息の長いソフトにしていくのであれば、
10年経っても衰えないような設計思想を持ったハードで発売すべきでした。


任天堂もスクエニも、顧客満足の観点から見た商品作りを、
もう1度、思い出してもらいたい所です。
 


ご清覧ありがとうございました。

【雑記】とある方への応援メッセージ

私が普段からお世話になってるアニメブロガーの方が、
髄膜炎の疑いで検査入院されていたそうで…。




最初に異常を訴えられていたのが7月25日。
「39.9℃の熱が出てダウン~」とツイートがあり、てっきり私は
夏風邪かなにかだろうと思って、軽い返信をしてしまいました。
この事をひどく後悔ししています。

ブログを始めて4ヶ月。
この間に色んな方と交流が出来た事に感謝しているのですが、
中でも、この方には格別の計らいを頂いており、
そもそも私がアニメブロガーの方々のフォロワーとして交流が出来るのは、
この方が当道場の記事を合同ブログで掲載して下さったからなのです。


以来、私はアニメブロガーの皆様の視聴感想が楽しみになり、
決まった曜日になるとアニメブログを巡回をするのが習慣になりました。

私はアニメファンという訳ではないですし、
どの作品が何曜日に放送されるのかも覚えていないほどなのですが、
土曜日になると『ナディア』面白かったーとつぶやかれたり、
日曜日になると『ガンダムAGE』がやっぱりこきおろされたり、たりたり、
ツイッターのタイムラインがそのアニメの話題で埋まると、
ああ今週も始まったな、と、あたかも自分が
アニメの話題に参加しているような一体感が沸いてくるんですよね。

要するに私はアニメブロガーファンなのです。
感想記事を拝見する事で「観た感」を共有させてもらっています。

そして、私がそういう楽しみ方が出来るのも、
最初に私をアニメの面白さに誘い込んでくれた、この方のおかげなんです。
当道場がヘッダーメニューを改造したのも、
大先輩であるこの方のブログを参考にしての事でした。

それだけに、ご病気をされたという報告には、ショックを受けました。
漫画家のしんがぎん先生が急逝された時のような、
ただただ、「えっ」って言葉が頭の中を埋め尽くしていく感覚です。


―――


ちょうど『宇宙兄弟』の今週の回では、主人公の六太が
宇宙の話をしたら喜んでついてきそうな仲間がここに居たと気付くのですが、
私にとってアニメブロガーの皆様方との交流は、
単なるアニメ感想の共有以上の意味があると感じているんです。

この漫画道場は、mixiページでスタートしています。
ところが、mixiページ自体が思っていた以上に活気が無かった為に、
ふらふらさまよって、行き着いたのがブログというう選択肢でした。
SNSという所は、ライトなお付き合いがメインで、
mixiページもファンページを管理される方がほとんどを占めています。
当道場の記事のようなドリップコーヒーの残滓のように濃いコンテンツは、
明らかに場違いちゃんだったんですよね。


そんな中で、右も左も分からず始めたブログには、
色んな味を持った方々がいらっしゃいました。

砂糖とミルクで味を整えられてる方、酸味と苦味のバランスを重視される方、
俺はこの味しか作れねぇとばかりにバリバリのブラックを提供される方。
偏見視される事も少なくない漫画やアニメと真剣に向き合われ、
面白さを伝える努力をされている方ばかりでした。
私にとっての仲間は、ここに居た!という、そんな思いです。

特に、合同ブログで私を紹介して下さったこの方にお返し出来るのは、
感謝という言葉以外にありません。


―――


とても個人的なメッセージで、公にするには不適切かも知れませんが、
応援記事という形で、お見舞いの言葉を添えさせて頂きます。


ヨーク様。
ご病状はいかがでしょうか。

検査入院の間は、大変にお辛かっただろうと思います。
間もなく開かれるコミックマーケットの事も気がかりでしょうが、
どうかお気を楽にされて、治療に専念なさって下さいませ。

1日も早いご回復を、心よりお祈り申し上げます。
 


ご清覧ありがとうございました。

【短評】『ガンバ!Fly high』~内村航平が愛読した「楽しい体操」


藤巻駿

↑相良さんに最高の技をプレゼントし、満面の笑顔の藤巻駿。


いやー、やりましたね!内村航平選手!
体操競技・個人総合にて、見事に金メダルを獲得しました!
おめでとうございます!!

ほんと一時はどうなる事かと思いましたよ。
当道場が長崎県出身選手の紹介で「金メダル最有力」とか書いた翌日に、
鉄棒でまさかの落下をして種目別決勝への進出を逃したり。
第2のデスブログになる所でした…危なかった。


ロンドンオリンピック特集の第2回はもちろん、「体操」です。

既にニュースにもなっていますが、内村選手は体操漫画である
『ガンバ!Fly high』を愛読されていたそうです。
海外のインタビューで「目標としている体操選手は?」と聞かれた際にも、
藤巻駿(この漫画の主人公)」と答えられたほどのハマりよう。

この作品は、原作がロサンゼルス五輪の金メダリスト・森末慎二さんなんですよね。
自ら企画を週刊少年サンデーに持ち込まれ、体操競技の面白さを、
森末さん自身の経験を通して描かれてきました。

内村選手もハマっていた体操漫画が伝えてきたものとは何か。
今回はそれを見ていきたいと思います。


―――


東伝次

↑つり輪のヘラクレス・東伝次。


『ガンバ!Fly high』という漫画を象徴するのが、東先輩のこのシーンですね。
ウルトラG難度の力技を披露するも、技の構成を抜いてしまった為に点数は伸びず、
それでも自分の技を出し切った事をガハハハと笑い飛ばしています。

この後、藤巻駿が自身の代名詞であるトカチェフ前宙を決めるのですが、
新堂キャプテンから「藤巻は9.70以上を出せますかね?」
と聞かれた、平成学園体操部コーチのアンドレアノフは、
「得点は…問題じゃない!大切なのは本人が満足出来る演技が出来たかどうかさ」
と、演技を楽しむ事の重要性を説いています。


アンドレアノフは、「楽しい体操」を駿たちに教えてきました。
点数をあえて気にせず、難しい・美しい技をやりたいままに挑戦する。
内田先輩は哲学的に、真田先輩はかっこよく、東先輩はパワフルに、
それぞれが考える体操の表現を、「楽しい」という言葉に置き換えています。

留意すべきは、技の構成を無視した演技や、加点対象にならない演技などを、
金メダリストの森末さんが肯定的に描いている事です。
東先輩の例で言うと、空中でポージングを決めてニッカリ笑ったり、
手首をまっすぐに伸ばさずわざわざ疲れる握り方をしたり、
審査の上で何の得にもならない事を好きこのんでやっている所ですね。

点数至上主義として描かれるライバルの李軍団の方が、
実は正論を言ってるのですが、この作品ではあえてそれを否定しています。
自己満足とも言えかねない「美しい体操」を、「楽しい体操」と結びつけ、
積極的に取り組ませるアンドレアノフコーチの指導方法は、
そのまま森末さんのメッセージであると受け取る事が出来るのではないでしょうか。


―――


冒頭のシーンに戻ると、駿は自身の代名詞である「トカチェフ前宙」を、
閉脚屈伸の姿勢から繰り出し、見事に成功させています。

しかし、当時の体操競技のルールでは、トカチェフ前宙自体がスーパーE難度で、
開脚でやっても閉脚でやっても、上限は変わりません(たぶん)。
技の難易度が青天井になった現在のルールであれば加点されるでしょうが、
この時の駿の演技は、「相良さんに最高のトカチェフ前宙をプレゼント」する為の、
得点として評価されるかどうかも分からない自己満足なんですよね。

しかし、技を成功させた後の駿は、ご覧の通り満面の笑顔。
結果としても、9.902という超高得点を叩き出しますが、
この笑顔こそが、『ガンバ!Fly high』という漫画そのものなのです。


トカチェフ前宙は、駿が中学生の時、アンドレアノフコーチの前で
3人の先輩と一緒に開いた「新技発表会」で初披露した技です。
新技と言っても、中学生が考える程度のものですから、
それぞれが披露した技も、技と呼べるほどのものでも無かったのですが、
どれもやはり、「楽しい体操」の延長線上から生まれたものでした。

駿の新技も、たまたま競技で認定される「新技」であったというだけで、
その原点は3人の先輩の新技と同じ、「楽しい体操」なんですね。
屈伸のトカチェフ前宙も、そうした体操を楽しむ心から生まれたものであり、
いかに難しく、いかに美しい技を披露するかという向上心こそが、
森末さんが考える「楽しい体操」だという事が分かります。


―――


内村選手も、演技を終えたらカメラに向かってピースサインをし、
野菜は食べずに有楽製菓のブラックサンダーを食べまくり、
求道者のようなスポーツ選手とは正反対の、無邪気な心をお持ちです。
ゆかのG難度「リ・ジョンソン」など、とてつもない技を軽々とやってのける裏には、
小学生の時にご両親がプレゼントしてくれたトランポリンで、
きゃあきゃあ言って遊んでた背景がある事が知られています。

子供の遊びの延長が、最高難度の技に繋がっているなんて…。
まさに漫画の中の世界の話じゃないですか。
これが内村選手の口から語られるのですから、信じざるを得ないですね。


『ガンバ!Fly high』は、「楽しい体操」を伝えるばかりか、
漫画の面白さまでも備えた、ウルトラG級の素晴らしい作品であるのは、
審査をする読者の目から見ても、疑う余地もないでしょう。

そしてそれを愛読していた内村選手が金メダリストとなったのは、
日本の誇りがまた1つ増えたという事なのかも知れません。
 


ご清覧ありがとうございました。

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