猪熊滋悟郎

↑滋悟郎おじいちゃんの口癖。


今回からしばらくロンドンオリンピック特集です。
第1回目は「柔道」をテーマに扱います。
第2回「体操」はこちら。


しかし今回の柔道競技、判定で荒れていますね…。
海老沼匡選手の準々決勝で起きた、あの前代未聞の判定覆り。
あの3人の審判は謹慎処分になったそうですが、
対戦相手だった韓国の曺準好選手にも申し訳ない事をしたと思います。

ジュリー(審判委員)によるビデオ判定が導入され、判定が何度も覆った事で、
これまでいかに誤審が多かったかが、改めて証明されてしまいました。


漫画で柔道と言えば、手塚イズムの後継者・浦沢直樹先生の名作である
『YAWARA!』の名前が真っ先に挙がるでしょうが、
この作品では、実は誤審が描かれた事は1度もありません。
これは、漫画の世界で描かれる"柔道"と、現実世界で行われている"柔道"が、
全く別の競技である事を意味しています。

いったい何が違うのか?なぜ漫画には誤審が無いのか?
柔道の親と呼ばれる故・嘉納治五郎氏の教えを紐解きながら、
これを明らかにしていきたいと思います。


―――


柔道って何でしょうかというそもそも論から始めると、
講道館柔道を興した嘉納治五郎氏の精神を学ぶ事だそうです。
即ち、「一本を取る柔道」によって「精力善用」と「自他共栄」を図る事。
相手の背中を先に畳に付ける競技を行う事じゃないんですって。

『YAWARA!』には、嘉納氏の教えを体現したキャラが居ますよね。
その名も猪熊滋悟郎(じごろう)。どう見ても嘉納氏をモデルにしています。
で、その滋悟郎おじいちゃんですが、口癖のように突いて出る言葉が、
「一本取らずして何が柔道ぢゃ」ですね。

滋悟郎おじいちゃんは、何も自分の美学を押し付けているのではありません。
「一本を取る柔道」こそが正しい柔の道に通じているから、
孫である柔や、入門してきた弟子に対してそう言ってるだけでしょう。


では、なぜ「一本を取る柔道」が正しいのか。
当然ながらこれが根底にあるがゆえに、おじいちゃんの言葉がある訳です。

道を志した事も無い私が人に道を説くというのもおかしな話ですので、
猪熊柔のモデルとなった山口香さんの言葉を借りる事にしましょう。


引用:山口 香の「柔道を考える」より

技を練る時間
http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/547ef2b4ed46614478dd5012f33b7132


 技術があって試合で勝つことができたとしても、さらに技を練り、
 高める時間がなければ技は錆び付いてしまい光を失っていく。
 相手に研究され、技を見切られるために試合自体も魅力のないものになっていく。
 お互いが手の内を知れば知るほど試合は緊張感を欠き、
 平凡なものとなる傾向にある。

 国際柔道連盟は効果ポイントをなくしたり、足取りを禁止したりと、
 柔道本来の持つ魅力を取り戻そうとの努力が見られる。
 しかし、一方でこんなに大会を増やし、ポイントで選手を縛ったことは、
 柔道で最も大事な技を練る時間を選手から奪い、
 本質であるべき切れる技をみる醍醐味を無くしてしまう危険がある。


山口さんは、柔道の本質が技の研鑽を積む事にあると書かれています。
そして別の記事では、こうもおっしゃっています。


自他共栄
http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/855216dbd2784c401bbdf43bbf665857


 柔道のルールが柔道の魅力を失わせたという議論もあるが、私はそうは思わない。
 もちろん、要因の一部ではあるかもしれないが、
 取り組む人間の柔道に対する根本的な考え方を変えなければ
 どんなにルールを変えても変わらないと思う。


嘉納氏や滋悟郎おじいちゃんの言う「一本を取る柔道」とは、
即ち、技の研鑽を積み、誰の目にも明らかな完璧な一本を取るという事であり、
相手からポイントを奪う為に修得した中途半端な技をかけるのでは、
自分の為にも、自分に礼を尽くしてくれる相手の為にもならないという事でしょう。


―――


浦沢先生が『YAWARA!』で描いたテーマは、まさに
嘉納氏の教えにある「精力善用」と「自他共栄」にあります。

主人公の猪熊柔は、天賦の才を持ちながら、柔道にあまり熱心ではありません。
つまり、「精力善用」ではない状態にあるという事です。
ところが、決着がつかなかったジュディとの国際大会での再戦の約束や、
柔道を辞めたいと言う柔を支えた伊東富士子の助力があって、
柔は柔道に真剣に取り組むようになります。つまり、「自他共栄」です。

『YAWARA!』の世界では、誰1人としてポイントを取りに行く柔道をしません。
あのプライドの高い本阿弥さやかですら、柔からポイントリードをしている場面で、
逃げずに柔の組み手を真っ向から受けています。
(現実の柔道の場面なら、組み手を切ります。そういう指示が出ます。)


「一本を取る柔道」を目指さなければならないのは、
それが嘉納氏が掲げた理念を実践する為の唯一無二の答えだからで、
山口さんの言葉を借りれば、柔道の本質だからなのだと思います。

この作品では、なぜ誤審が描かれなかったか?
考えてみれば簡単で、誤審をしてしまうような微妙な技の決まり方が、
作中ではまるっきり無かったからなんですよね。
柔の出した技は全て綺麗に決まっており、疑いようの無い一本だったからです。

仮に山口さんの危惧が当たっているのだとしたら、
ポイントを奪い合う現在の柔道は、道の精神から外れていってるのかも知れません。


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海老沼選手は準決勝で敗れたものの、続く3位決定戦では、
誰の目にも明らかな美しい一本勝ちを収めました。

ご本人は「金メダルを獲れなかった事が悔しい」とおっしゃっていましたが、
あの時に繰り出された技は、メダルよりも価値のある、
本物の柔道精神の賜物であったと思います。
滋悟郎おじいちゃんもきっと、お褒めになるでしょうね。
 


ご清覧ありがとうございました。