火垂るの墓

↑幸せそうに笑う幼い命が、なぜ失われたのか。



『となりのトトロ』面白かったですね。
でもジブリ映画考察の第2回目は、『トトロ』じゃないんです。
これと同時上映された『火垂るの墓』の考察なんです。

【ジブリ考察シリーズ】
 第1回 『千と千尋の神隠し』
 第3回 『崖の上のポニョ』
 第4回 『ハウルの動く城』


『トトロ』に関しては、本当は悲しいお話だったと解説した
優れた記事が他にいくつも見受けられますので(ガセらしいですが)、
当道場が後追いで同じ事を指摘するのも差し出がましくあります。
ですが、『火垂るの墓』のある疑問点について、
詳細に触れている記事を見つける事が出来なかったので、
いっちょ、取り上げてみようかと思った次第です。

その疑問とは、節子の死因です。

感想としてよく言われるのが、幼い妹・節子が死んだのは
兄・清太のエゴイズムのせいであるという事ですが、
私は初見からこの説を否定しています。
節子はなぜ死ななければならなかったのか?
原作者・野坂昭如氏の文学的背景も踏まえて解説していきましょう。

なお、今回はかなり残酷なテーマを扱います。
苦手な方は、回れ右でお願いします。


―――


節子は栄養失調で亡くなったとされています。
これは、原作でそう明記されているからに他なりません。


> 白い骨は清太の妹、節子、八月二十二日西宮満池谷
 横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、
 実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るように
 みまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。



文章だけをそのまま受け取ると、やはり清太のエゴイズムが
節子を死に追いやったように捉えかねないのですが、
ストーリーを注意深く見てみると、おかしな点が1つだけあります。


詳細を思い出してみましょう。節子は亡くなる前に、
「あせも」が出来て、「おなかびちびち」になっていますよね。
下痢症はおそらく栄養失調によって引き起こされ、
皮膚症も免疫力が落ちた事で複合的に発症したと伺い知れます。

では、この症状が最初に現れたのは、いつだったか?

実はおばさんの家に居る頃に既に発症してるんです。
清太はお風呂で節子の背中に「あせも」を見つけ、
療養と称し、海に行って患部を塩水に浸けさせている。

つまり節子は、清太と2人でおばさんの家を出る前から
身体に何らかの異常をきたしていたのであり、
清太の行動によらずとも、節子は遅かれ早かれ、
同様の症状で亡くなっていた可能性があるという事です。


では、節子はいつ、病にかかったというのか?

答えは冒頭。

お母さんが重体となった空襲の後に降った雨が、
節子の左目の中に入った時―


このシーンがすごく引っかかってました。
節子がおばさんの家から出て行った為に栄養失調になったのなら、
なぜこんな描写を入れる必要があったのかと。

原作の記述を確認してみました。


> ようやく爆音遠ざかり、やがて五分ほど夕立のように雨が降って、
 その黒い染みを見ると、「ああこれが空襲の後で降るいうやつか。」(中略)

 堤防下りかけると、またも爆発音がする、まだ瓦礫の中の火は治まらず
 よほど広い道でないと熱気にあおられて歩けず、「もうちょっとここにおろ。」
 節子に言うと、声かけられるのを待っていたように「兄ちゃんおしっこ。」
 よっしゃと降ろし、草むらに向けて節子の足を抱える、
 思いがけず勢いよく小水ほとばしり、手ぬぐいでふき、

 「もう頭巾取ってええわ。」見るとすすけた顔だから、
 水筒の水で「こっちはきれいやからな。」手ぬぐいの一方の端湿らせて清める、
 「眼エ痛いねん。」煙のせいか赤く充血していて、
 「学校へ行ったら洗うてくれるよ。」(中略)

 「清太さん、お母さんに会いはった?」向かいの家の娘に声かけられ、
 清太は学校の校庭で衛生兵に節子の眼を洗ってもらい、
 一度ではまだ痛がるのでまた行列の尻に並んだ
ところで「ううん。」



やはり、空襲の後の降雨と、目に何らかの異物が入ったシーンがあります。
しかも痛がってる事を2回も強調して書いていますね。

アニメでは、財布からおはじきを取り出し地面に並べた時、
上から雨が降ってきて、それを見上げた節子の左目に雨粒が入ってます。


火垂るの墓


それからしばらくして「目が痛い」と清太に訴えた時も、
こすっていたのはやはり、左目の方でした。


火垂るの墓


―――


野坂昭如という作家がどういった人物であったのか。
これがはっきりすれば、このシーンの意味も分かるでしょう。
節子の死因を探る上ではっきりさせておきたいのは、
野坂氏が無駄な描写を入れたがる作家であったかどうか?

これは即答出来ます。答えはNOです。
理由は、野坂氏は無駄な文節をカットして文章を紡ぐスタイルを
作家デビューした当時からずっと貫いてきたからです。
直木賞の選考委員の方からも、このような評価を受けています。

第58回直木賞~最高評価を付けた先生方の選評

海音寺潮五郎
 大坂ことばの長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、
 無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない。
 描写に少しもいやしさがなく、突飛な効果が笑いをさそう。感心した。

松本清張
 前回からの推薦者としては同慶に堪えない。
 私の好みとしては『アメリカひじき』よりも『火垂るの墓』をとりたい。
 だが、野坂氏独特の粘こい、しかも無駄のない饒舌体の文章
 現在を捉えるときに最も特徴を発揮するように思う。


野坂氏は、確固としたスタイルを築き上げると、
それを絶対に崩さないポリシーの持ち主でもありました。

選考委員の両先生が共に挙げられている「饒舌(冗舌)」スタイルは、
野坂氏がまだデビュー間も無い頃から続けているもので、
句点で区切らず、読点で文章を繋いでいく手法を指しています。
短所としては慣れていないと読みにくい一方で、
長所として、余計な文節を削ぎ落とす事が出来ます。

マルチタレントであった野坂氏は、もともと放送作家で作詞家でした。
大学ではシャンソン歌手を志していて、文芸作家となるのは
コラムニストとして成功を収めた後になるのですが、
つまり、純文学を志して文章表現を磨いた作家とは異なり、
手探りの状態で句点を使わないスタイルを生み出しているのです。
それだけに、自分の文章には相当の自信があったと思います。

野坂氏は、トレードマークとしていた黒いサングラスのように、
作家として研鑽を積んだ後も、無駄を省いた文章スタイルを続けています。
かっこいい自分を絶対に曲げない人でありました。
ですので、そのかっこいい文章にミソを付けるような、
蛇足な事をするかと言ったら、まずそんな事はないだろうと思います。


そもそも小説に無駄な描写はありません。
2流の作家ならともかく、直木賞作家である野坂氏が、
意味も無くこんなシーンをわざわざ用意するとは思えません。

やはり、ストーリーの主幹に関わる何らかの意味があって、
目に異物が入るシーンを書いた
、と考えるのが妥当なのです。


―――


しかし、まだ根本的な疑問があります。
目に雨粒が入っただけで、皮膚症や下痢症を引き起こすのか?

焼夷弾の後に降る雨は、原子爆弾による「黒い雨」とは異なり、
放射能の内部被曝の疑いは考えられません。
空襲後の雨、もしくは煤に、そのような毒性は無かったと考えられます。


> 六月五日神戸はB二九、三百五十機の編隊による空襲を受け、
 葺合、生田、灘、須磨および東神戸五か町村ことごとく焼き払われ、
 中学三年の清太は勤労動員で神戸製鋼所へ通っていた



原作の記述より、数度に渡った神戸大空襲のうち、
6月5日の空襲に使用された爆弾の種類を調べてみました。


引用:神戸市文書館 米軍資料にみる神戸大空襲
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/kushu/kushu70.html


月日 機種 爆撃機
数(機)
攻撃時刻 弾種等 投下爆弾
トン数
攻撃高度
(メートル)
第一目標 作戦の位置づけ
2月4日(日)

B29

69

13:50~
14:24

焼夷弾
破砕弾

172.8

7470~
8230

神戸市街地試行的大都市市街地への焼夷弾攻撃
3月17日(土)

B29

306

2:29~
4:52

焼夷弾
破砕弾

2328.1

1520~
2900

神戸市街地大都市市街地への焼夷弾攻撃
5月11日(金)

B29

92

9:53~
10:03

爆弾

459.5

4790~
6100

川西航空機深江製作所主要工業目標に対する昼間爆弾攻撃
6月5日(火)

B29

474

7:22~
8:47

焼夷弾
破砕弾

3079.1

4160~
5730

神戸市街地大都市市街地への焼夷弾攻撃
8月6日(月)*

B29

250*

0:25~*
2:01

焼夷弾
破砕弾
爆弾

2003.94

3840~*
48804

西宮ー御影市街地*中小都市市街地への焼夷弾攻撃


これによると、

・M47A2 100ポンド焼夷弾
・T4E4 500ポンド破砕集束弾
・E46 500ポンド集束焼夷弾

以上の3種類が使用されていた事が分かります。
清太が「250キロの直撃かて大丈夫」と言っていたのは、
M64 500ポンド通常爆弾、通称「250キロ爆弾」の事ですが、
この日の空襲ではどうやら使用されていないようです。
使用された爆弾のうち、神戸市街地に甚大な被害を齎したのは、
M69 6ポンド焼夷弾を38発内臓した、E46集束焼夷弾、
すなわちクラスター爆弾と呼ばれるものです。
清太の家に落ちてきたのも、この弾の中に入っていた1つです。

6ポンド焼夷弾の中身は、ナパーム剤(ホワイトガソリン)です。
付着した箇所の火を消えにくくする為、増粘剤が混ぜてあります。
これが投下後の熱で気化して雨雲になり、広範囲に降り注いだとしても、
要するにガソリンや増粘剤を目の中に入れただけでは、
確かに目には害であれ、体中に異常をきたすまでにはならないでしょう。


では、雨粒に含まれる煤の方はどうか?

ダイオキシンなど有害化学物質を含んだ家屋は、戦前にはありません。
当時の木造建築物は、日本の伝統工法で建てられており、
壁は添加物を用いない土壁で、金具も使わず凹凸だけで組んであります。

これもやはり、燃えかすが雨粒と一緒に目に入ったとしても、
その後の疾患の原因になったとはまず考えられません。


―――


ではいったい、何が目に入ったというのか?

このままでは道場主の妄想で終わってしまいますので、
とある仮説を立ててみましょう。


6月5日空襲の主な攻撃目標は「神戸市街地」でした。
しかし、清太とおばさんの会話からも分かるように、
「動員行っとった神戸製鋼は爆撃でメチャメチャ」になってます。
つまりこの日に爆撃を受けた中には、軍需工場も含まれるのです。

再び米軍資料を元に、場所を確認してみましょう。


被害状況


これは神戸市の損害評定です。少し分かりにくいですが、
青い線が1945年当時の海岸線で、作中に出てくる川は石屋川の事です。
現在では石屋川周辺は埋め立てられて河口位置が変わっているので、
ポートアイランドと六甲アイランドがある推定位置から、
当時の石屋川の河口付近を割り出してマーキングしました。

これを見ると、石屋川近くにある清太の住む御影地区は、
「第二焼夷弾攻撃」の際に、爆撃を受けた事が分かります。


神戸


これが現在の石屋川周辺の地図です。

赤いポイントと色付けされた範囲が清太の家があった地区、
青いのが御影公会堂、オレンジのが御影小学校(御影国民学校)です。


> 中学三年の清太は勤労動員で神戸製鋼所へ通っていたのだが、
 この日は節電日、御影の浜に近い自宅で待機中を警報発令された



原作の記述によると、清太の家は海の近くにあったのでしょう。
アニメでも、いったん海側に出てから川を上ってます。


> 「御影国民学校へ集合してください、上西、上中、一里塚の皆さん。」
 清太の住む町名を呼ばれ、とたんにそや学校に避難しとるかもしれん



ともありますが、この3つの地区は現在の御影本町(赤く色付けした範囲)の、
御影字上西(御影本町6丁目)、上中・一里塚(御影本町8丁目)の事です。
清太の家はこの中にあったと思われます。


石屋川と御影公会堂


これは節子の目に雨粒が入った直後のシーンです。
画面左手の壊れた建物が石屋川駅、右手にある建物が御影公会堂です。


> 時折堤防の松並木越しに見透かす阪神浜側の一帯、
 ただ真っ赤に揺れ動いていて、

 きっと石屋川二本松のねきに来てるわ(中略)

 堤防の上を歩き進むと、右手に三軒の焼け残り、
 阪神石屋川の駅は屋根の骨組みだけ、
 その先のお宮も真っ平らになって御手洗の鉢だけある(中略)

 二本松は国道をさらに山へ向かった右側にあり、
 たどり着いたものの母の姿なく、



こうありますので、石屋川駅のねき(近く)にある二本松の所で、
清太と母は非常時に待ち合わせをする約束を交わしていた事が分かります。

※ (コメント欄より追記。情報有り難うございます。)


アニメの映像と合わせて確認すると、こういう進路が推測されます。


 ・清太と節子、家を出て避難を開始。
 ↓
 ・まず駅のある西の方角に向かう。
 ↓
 ・いったん海に出てから、川床のくぼみに身を隠す。
 ↓
 ・雨が降った後、川縁を登って状況確認。
 ↓
 ・北側に見える御影公会堂には行かず、その焼け跡だけを見る。
 ↓
 ・避難案内に従い、東にある御影国民学校へ。


―――


問題は、風向きです。

節子が財布を取り出し、雨粒が落ちてくるシーンでは、
アニメの映像を確認する限りだと、西から風が吹いています。
それより前の、清太が海へ逃げてきたシーンでも、
対岸から濛々と立ち昇った黒煙が空を覆いつくしてますが、
これもやはり西側から清太達の居る地区に伸びています。


火垂るの墓


西側の対岸、現在のポートアイランド周辺には何があったかと言うと、
当時は軍需製品を製造していた海軍管理工場がずらーっと並んでます。
米軍資料にも、攻撃目標の中には対岸の重化学工業地帯にある、
川崎重工など18の企業の名前がリストに挙がっている事が分かります。

もちろんそこでは、化学製品を扱っています。
これらが燃焼して化合すればダイオキシン類が発生しますし、
当時は鉱毒を含む金属も大量に使用しています。


さらに損害評定で位置関係を見ると、この付近は
「第一焼夷弾攻撃」によって損害を受けた事も確認出来ます。

空襲後の雨は、爆撃から20分~1時間後に降ると言われていますが、
清太が石屋川に辿り着いたのは、自宅が爆撃を受けて10分後です。
御影本町から川までの距離は1kmもなく、走って逃げた事を考慮しても、
川に到達するのに20分以上もかかった事はまず考えられません。

つまり2人が見た雨は、風向きと時間を考慮すると、
「第二焼夷弾攻撃」ではなく、「第一焼夷弾攻撃」で発生した
工場からの黒煙によって降ったものだと仮定されます。

有害物質を含んだ黒煙が雨として降り注げば、
人体に影響が出るのも不思議ではないでしょう。
まして目の中に入れるなどしたら、中毒症状が出ても当然です。


さて、もうお分かりでしょう。

無駄を省く文章スタイルの持ち主であった野坂昭如氏が、
重化学工業地帯の対岸にあった御影地区に、
通り雨が降った事をわざわざ明確に記述する意味が。

節子の死の真因は、軍需工場の出火から生まれた
有害物質を含む黒煙の雨粒を左目に受け、
体内に取り込んだ事によるものだと考えられるのです。


そもそもただの栄養失調であれば、エネルギー消費量から言っても
兄の清太の方が先に症状が出るはずです。
小さな子供はお年寄りと同じで、成長期の中学生よりも
生体を維持するのに大きなカロリーやビタミンを必要としません。

一方で子供は、免疫力が低く、疾病にかかりやすい傾向にありますが、
節子の場合は化学物質によって体内の免疫機能が失われ、
栄養素の欠乏を引き起こしたものと思われます。

死の運命は、清太がどんなに手を尽くしても、
回避する方法が無かったのでしょう。


―――


この映画は、兄妹の閉じられた交流を中心に描かれ、
作品のテーマとなる戦争感は、他のジブリ作品と同様に、
時代の背景としてなるべく奥に隠されています。

しかしどんなに上手く隠していても、それが滲み出ています。
お母さんの悲惨な姿、節子の病気、清太の苦酷と、
死の色合いがあまりに強すぎる為に、誰もが否応なしに
反戦のメッセージを受け取らざるを得ません。

高畑勲監督はこれを反戦映画では無いとしていますが、
戦争によって父母兄妹が全て亡くなっている事を考えれば、
その残酷さが浮き彫りになるのは間違い無いでしょう。


戦後から半世紀以上を経ても、『火垂るの墓』など、
優れた作品によって、当時の状況を鮮明に知る事が出来ます。
最後に、神戸大空襲で失われた多くの命に敬意と哀悼の意を表し、
この記事を終えたいと思います。
 


ご清覧ありがとうございました。