当道場では、平成仮面ライダーシリーズの学術的考察を行ってきて、
それが大きな反響を頂いてきました。本当に有り難い限りです。
【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
総論 555 フォーゼ ウィザード
サブカルチャーの分野では、『エヴァンゲリオン』以降かどうかは知りませんが、
90年代後半ぐらいから、漫画・アニメ・ゲームを中心に、
難解な理論をテーマとして作中に落とし込む作品が目立つようになり、
2000年代には、難解なまま放り出さずエンターテイメントとして昇華させた、
文学作品にも比肩する極めて質の高い作品も現れ始めます。
普段から何気なく観ていた日曜朝の子供番組もその1つで、
特に平成ライダーにおいては、哲学・科学・物理学による解釈がぴたりと当てはまり、
頭をぐるぐるさせるのが大好きな道場主の脳汁はノンストップ状態。
今ではこうして考察に勤しむ事が、毎年恒例の行事になっているのです。
そんな妄言じみた誰得情報を、皆様に共有して頂けた事は、
何物にも換えがたい幸運であると勝手に思っております。
そこで当道場では、今回から不定期の連載として、
リクエストのあった平成ライダーのプレイバック短評をやろうと思います。
これまでアクセスして下さった皆様に、恩返しのつもりで書いていきますので、
生暖かく見守って頂けますよう、お願い申し上げます。
―――
↑戦わなければ、生き残れない!
平成仮面ライダーシリーズ考察の第1回目は、
『仮面ライダー龍騎』(2002年2月3日~2003年1月19日放送)です。
なんで最初が『クウガ』じゃないの?って思われるでしょうが、
平成シリーズ中でも初期2作品に関しては、学術的考察が当てはまりません。
当時は昭和シリーズへのオマージュが強く、ホラー色が強かったり、
蜘蛛の敵に特別な意味があったり、ホンゴウやタチバナなる人物が出てきたり、
原作者・石ノ森先生へのリスペクトが見て取れましたが、
それゆえに手堅く、極端な独自性を出す事は避けられてたのではないかと。
『龍騎』に対しても、『クウガ』や『アギト』と同じように、
ドラマ性を楽しむものとして軽~い気持ちで観てたのですが、
にしてもどこか腑に落ちない、これまで無かった妙な違和感がある。
違和感の正体には、すぐには気が付きませんでした。
私はまだ学生の時分であり、元から頭の回転が速くもなかったので、
結局1年間通して観ても、最後までずっと首を捻り続けてました。
ところが次作『555』にて、すぐにこの違和感は解消されました。
詳細については次回のライダー考察で触れるとして、
『555』に隠された学術的背景を偶然にも見つけ出した事で、
前作にも何らかの背景があったのではないかと疑問を持ったのです。
そして、それは当たりでした。
―――
『龍騎』のストーリーは、1965年にノーベル物理学賞を受賞した
ジュリアン・シュウィンガーの理論であるCPT定理と、
1980年の受賞者、ジェームズ・クローニンとヴァル・フィッチの2人が発見した、
CP対称性の非保存をベースにしていると思われます。
物理界に存在する原子および分子の左右の対称性が、
自然界ではどちらか一方しか残されてこなかったというものです。
…何のこっちゃよく分からないので、下図で説明しましょう。
↑左右が存在する分子・炭素の例。
引用:「雑科学ノート」様 - 鏡の世界の話 -
http://hr-inoue.net/zscience/topics/mirror/mirror.html
アミノ酸ダイエットが流行った時、「L-カルニチン」など、
成分の名前にアルファベットが付いてたのを覚えてる方もいらっしゃるでしょう。
物質を構成する分子には左右が存在するもの(鏡像異性体)があり、
このL=levoが、"左型"を意味する表記なのだそうです。
という事は、鏡合わせの分子である「D-カルニチン」というものもあって、
こちらはD=dextroが、"右型"を意味する表記なのだとか。
不思議な事に、地球上の生命体は左右どちらか片方の酵素しか持っておらず、
アミノ酸だと左型、糖質だと右型しか酵素反応が起きないそうです。
進化の過程でどちらか片方が選び取られたと見るべきなのか、
例えば右型カルニチンをいくら摂取しても、ダイエットにはならないんだって。
もちろんこれはアミノ酸や生物学に限った話ではありません。
物理学において、陽子⇔反陽子、電子⇔陽電子、中性子⇔反中性子と、
物質を組成する粒子には、それぞれ対称となる反物質の粒子があるのですが、
自然界ではこれらが消え去り、存在していないのです。
これについては、1957年には理由が判明しています。
物理の法則においては、「○○保存量の法則」というのがあり、
空間(パリティ)を左右に反転させても、電荷(チャージ)を+から-に裏返しても、
時間(タイム)を逆に巻き戻しても、こうした保存則が不変である事は、
数学的にも裏付け提示され、長く信じられてきました。
しかし、パリティとチャージを同時に反転(CP変換)させると、
保存則が破られ、質量などが変わってしまうケースが見つかったのです。
引用:コラムページ様 ~対称性と非対称性
http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/personal/hiroyuki/html/music/musicology3.html
対称性が崩れるという事は、鏡世界は物理法則に従っていない、
物質の組成バランスが不安定になっているという事で、
実際に反物質の粒子は、物質の粒子と比較して寿命が短いのだそうです。
物質と反物質がぶつかれば対消滅する(プラマイゼロになる)のですが、
エネルギー加速実験の結果、寿命の長い物質の方が余る事も確認されています。
つまり、物質と反物質は非対称であるという事になります。
もともと宇宙には物質と反物質の両方が存在していたと考えられていて、
対消滅が宇宙の歴史の中で気の遠くなる回数が繰り返された結果、
物質だけが残され、生命体が左右の偏りを持って生まれた、
というのが、現在の物理学において有力な説となっているそうです。
合ってるよね?わたしゃ哲学的に解釈したいだけだから、
『龍騎』が理解できればそれでいいの。
―――
さて、対称性の保存則が破られる事が、『龍騎』のストーリーと
どのように関わりがあるのか、ここから見ていきましょう。
一言で表すなら、
ライダーに変身 → CP変換
に見立てて、場の量子論を利用したエネルギー生成によって、
消えゆく運命である神崎優衣に新しい命を与えようとした、というのが、
道場主が考察するストーリーの謎を明かす鍵です。
『龍騎』における鏡像異性体の存在を見てみると、
城戸真司に対するリュウガ真司、神崎優衣に対するょぅι゛ょ優衣と、
ミラーワールドの中に存在するもう1人の自分に当てはまるのが分かります。
【左型】 【右型(鏡像異性体)】
城戸真司 リュウガ真司
神崎優衣 ょぅι゛ょ優衣
(存在せず) 神崎士郎
秋山蓮 (存在せず)
真面目に考えるとアホみたいに難しい数式を持ち出さなければならないので、
ごくごく簡単に説明すると、パリティ変換したミラーワールドでは、
チャージ変換も行われ、現実世界とは逆に、物質粒子が存在しないと考えられます。
これらは全て反物質粒子に入れ替わっていて、+は-に、-は+になってます。
現実世界の住人が、ミラーワールドに行くとどうなるか?
時間経過によって体がシュワシュワしてますよね?
これは生命体の持つ物質粒子(+)が、鏡の中の反物質粒子(-)とぶつかり、
対消滅(プラマイゼロ)を起こしていると解釈する事が出来ます。
ミラーワールドに巣食うモンスターも反物質で組成されていると想定される為、
モンスターを倒したり、これらを使役してバトルを始めれば、
相手を倒す時に放出した質量と、相手の肉体が持っていた質量が、
より高いエネルギーへと変換される為、結果として上記現象が加速され、
新たな粒子と反粒子が対生成される事が予測されます。
対消滅・対生成を繰り返せば、いつしか物質粒子だけが残されるはずです。
城戸真司とリュウガ真司がライダーキックでぶつかり合ってるのは、
対消滅のモデルとして非常に分かりやすい描写になってますね。
↑ライダー対消滅キック。
さて今度は、神崎兄妹の立場から考察してみましょう。
現実世界で1度死亡している妹・神崎優衣は、
CP変換によって生き永らえた鏡像異性体であり、
その肉体は反粒子によって組成されているものと考えられます。
しかし、反粒子の寿命は現実世界では長く続きません。
そこで考えられたのが、量子力学的なエネルギー生成法です。
対消滅・対生成によって残された寿命の長い物質粒子を、
優衣の新しい命として与えちゃおうという寸法!
ミラーワールドはさながら、衝突型のエネルギー加速器であり、
考案者の神崎士郎は、ライダーバトルを加速させて、
1つの生命体となりえる膨大なエネルギーを取り出そうとしたんですな。
まさに天才です。重度のシスコンですが。
↑神崎士郎。 妹萌え・中二病をこじらせると天才を生む。
士郎の代理として戦うラスボス・仮面ライダーオーディンは、
タイムベントカードを所持しており、CPT全てを変換出来る唯一の存在です。
フォーゼの総評で、未知なる反重力の話をしましたが、
理論上では時間に関わる粒子にも、反粒子が存在するはずなのです。
CP変換だけでは崩れてしまう物理法則ですが、
残る1つの時間対称性(T変換)までカバーされた場合においては、
物理法則が保存される事が理論的に証明されています(※)。
士郎が実践したエネルギー生成法は、このCPT定理に支えられています。
不完全な変換でその場凌ぎに補われた優衣の命を、
今度は周到に勘考した理論をもって、完全に救おうと考えたのです。
士郎からしたら、ライダーバトルを止めさせようとする真司らの動きは、
物理法則に反した想定外の現象であり、MajiでKireる5秒前だったはずです。
「ちょっ待てお前ふざけんな」と、浅倉さんを場に投入した気持ちが、
ちょっとだけ分かるような気がしないでもありませんね。
※ 『龍騎』放送終了後の現在では、CPT対称性の破れも示唆されています。
物理学者って、どんだけ頭良いんだよ。
―――
実は、『龍騎』が放送された前年の2001年に、野依良治教授が
対称性に関わる研究開発でノーベル化学賞を受賞しており、
『龍騎』のストーリーはこれをヒントに生まれたのではないかと思われます。
引用:やわらかサイエンス様 ~キラリと光るキラリティー
http://www.geolab.jp/ms-science/science30.html
素粒子論というのは、理数系大学レベルの極めて難しい学問で、
道場主もおそらく10分の1も理解してません。
ですが、『龍騎』のスタッフは『エヴァ』のように専門用語を散りばめる事をせず、
平易な表現に落とし込んで、視聴者に理解させる事を試みています。
当時としてはこれは相当な冒険であったでしょうが、勝算はあったと思います。
前作『アギト』が高視聴率を獲得し、ゴールデンタイムにも進出するほど、
大人の視聴者層からの支持を集めていたからですね。
『エヴァ』の先例もあり、難しい事をやってもイケると踏んだのでしょう。
後に『電王』で大成功を収める、小林靖子脚本の妙技です。
しかしこれには、2つの難点がありました(道場主の見立てではね)。
まず1つは、一般化されていない理論を採用した事。
CPT定理は鏡を使って出来るだけ分かりやすく説明されているものの、
なぜ鏡世界で時間が巻き戻るのかを一般化するには、別の理論が必要であり、
そしてそれは作中で1度も示唆されてはいません。
ゆえに、最終回でまさかの全てチャラにする超展開について行けず、
「???」となってしまった方も多かったと思います。
もう1つは、主人公をアンチテーゼとした事。
「戦わなければ生き残れない」としたライダーバトル全50話のうち、
龍騎に変身する城戸真司は第49話まで戦う目的を見出せず、
ヒロインを支持する形でナイトに全てを託し、死亡してしまいます。
その為、戦う意図が明確な秋山蓮の方が真司のキャラより目立ってしまい、
主人公としての存在意義が薄弱化してしまいました。
ここらへんの反省は、次作に活かされています。
プレイバック短評の第2回では、小林靖子にゃんの師匠である、
井上敏樹脚本の傑作、『555』の学術的背景について見ていきましょう。
それが大きな反響を頂いてきました。本当に有り難い限りです。
【平成仮面ライダーシリーズの考察記事】
総論 555 フォーゼ ウィザード
サブカルチャーの分野では、『エヴァンゲリオン』以降かどうかは知りませんが、
90年代後半ぐらいから、漫画・アニメ・ゲームを中心に、
難解な理論をテーマとして作中に落とし込む作品が目立つようになり、
2000年代には、難解なまま放り出さずエンターテイメントとして昇華させた、
文学作品にも比肩する極めて質の高い作品も現れ始めます。
普段から何気なく観ていた日曜朝の子供番組もその1つで、
特に平成ライダーにおいては、哲学・科学・物理学による解釈がぴたりと当てはまり、
頭をぐるぐるさせるのが大好きな道場主の脳汁はノンストップ状態。
今ではこうして考察に勤しむ事が、毎年恒例の行事になっているのです。
そんな妄言じみた誰得情報を、皆様に共有して頂けた事は、
何物にも換えがたい幸運であると勝手に思っております。
そこで当道場では、今回から不定期の連載として、
リクエストのあった平成ライダーのプレイバック短評をやろうと思います。
これまでアクセスして下さった皆様に、恩返しのつもりで書いていきますので、
生暖かく見守って頂けますよう、お願い申し上げます。
―――
↑戦わなければ、生き残れない!
平成仮面ライダーシリーズ考察の第1回目は、
『仮面ライダー龍騎』(2002年2月3日~2003
なんで最初が『クウガ』じゃないの?って思われるでしょうが、
平成シリーズ中でも初期2作品に関しては、学術的考察が当てはまりません。
当時は昭和シリーズへのオマージュが強く、ホラー色が強かったり、
蜘蛛の敵に特別な意味があったり、ホンゴウやタチバナなる人物が出てきたり、
原作者・石ノ森先生へのリスペクトが見て取れましたが、
それゆえに手堅く、極端な独自性を出す事は避けられてたのではないかと。
『龍騎』に対しても、『クウガ』や『アギト』と同じように、
ドラマ性を楽しむものとして軽~い気持ちで観てたのですが、
にしてもどこか腑に落ちない、これまで無かった妙な違和感がある。
違和感の正体には、すぐには気が付きませんでした。
私はまだ学生の時分であり、元から頭の回転が速くもなかったので、
結局1年間通して観ても、最後までずっと首を捻り続けてました。
ところが次作『555』にて、すぐにこの違和感は解消されました。
詳細については次回のライダー考察で触れるとして、
『555』に隠された学術的背景を偶然にも見つけ出した事で、
前作にも何らかの背景があったのではないかと疑問を持ったのです。
そして、それは当たりでした。
―――
『龍騎』のストーリーは、1965年にノーベル物理学賞を受賞した
ジュリアン・シュウィンガーの理論であるCPT定理と、
1980年の受賞者、ジェームズ・クローニンとヴァル・フィッチの2人が発見した、
CP対称性の非保存をベースにしていると思われます。
物理界に存在する原子および分子の左右の対称性が、
自然界ではどちらか一方しか残されてこなかったというものです。
…何のこっちゃよく分からないので、下図で説明しましょう。
↑左右が存在する分子・炭素の例。
引用:「雑科学ノート」様 - 鏡の世界の話 -
http://hr-inoue.net/zscience/topics/mirror/mirror.html
アミノ酸ダイエットが流行った時、「L-カルニチン」など、
成分の名前にアルファベットが付いてたのを覚えてる方もいらっしゃるでしょう。
物質を構成する分子には左右が存在するもの(鏡像異性体)があり、
このL=levoが、"左型"を意味する表記なのだそうです。
という事は、鏡合わせの分子である「D-カルニチン」というものもあって、
こちらはD=dextroが、"右型"を意味する表記なのだとか。
不思議な事に、地球上の生命体は左右どちらか片方の酵素しか持っておらず、
アミノ酸だと左型、糖質だと右型しか酵素反応が起きないそうです。
進化の過程でどちらか片方が選び取られたと見るべきなのか、
例えば右型カルニチンをいくら摂取しても、ダイエットにはならないんだって。
もちろんこれはアミノ酸や生物学に限った話ではありません。
物理学において、陽子⇔反陽子、電子⇔陽電子、中性子⇔反中性子と、
物質を組成する粒子には、それぞれ対称となる反物質の粒子があるのですが、
自然界ではこれらが消え去り、存在していないのです。
これについては、1957年には理由が判明しています。
物理の法則においては、「○○保存量の法則」というのがあり、
空間(パリティ)を左右に反転させても、電荷(チャージ)を+から-に裏返しても、
時間(タイム)を逆に巻き戻しても、こうした保存則が不変である事は、
数学的にも裏付け提示され、長く信じられてきました。
しかし、パリティとチャージを同時に反転(CP変換)させると、
保存則が破られ、質量などが変わってしまうケースが見つかったのです。
引用:コラムページ様 ~対称性と非対称性
http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/personal/hiroyuki/html/music/musicology3.html
対称性が崩れるという事は、鏡世界は物理法則に従っていない、
物質の組成バランスが不安定になっているという事で、
実際に反物質の粒子は、物質の粒子と比較して寿命が短いのだそうです。
物質と反物質がぶつかれば対消滅する(プラマイゼロになる)のですが、
エネルギー加速実験の結果、寿命の長い物質の方が余る事も確認されています。
つまり、物質と反物質は非対称であるという事になります。
もともと宇宙には物質と反物質の両方が存在していたと考えられていて、
対消滅が宇宙の歴史の中で気の遠くなる回数が繰り返された結果、
物質だけが残され、生命体が左右の偏りを持って生まれた、
というのが、現在の物理学において有力な説となっているそうです。
合ってるよね?わたしゃ哲学的に解釈したいだけだから、
『龍騎』が理解できればそれでいいの。
―――
さて、対称性の保存則が破られる事が、『龍騎』のストーリーと
どのように関わりがあるのか、ここから見ていきましょう。
一言で表すなら、
ライダーに変身 → CP変換
に見立てて、場の量子論を利用したエネルギー生成によって、
消えゆく運命である神崎優衣に新しい命を与えようとした、というのが、
道場主が考察するストーリーの謎を明かす鍵です。
『龍騎』における鏡像異性体の存在を見てみると、
城戸真司に対するリュウガ真司、神崎優衣に対するょぅι゛ょ優衣と、
ミラーワールドの中に存在するもう1人の自分に当てはまるのが分かります。
【左型】 【右型(鏡像異性体)】
城戸真司 リュウガ真司
神崎優衣 ょぅι゛ょ優衣
(存在せず) 神崎士郎
秋山蓮 (存在せず)
真面目に考えるとアホみたいに難しい数式を持ち出さなければならないので、
ごくごく簡単に説明すると、パリティ変換したミラーワールドでは、
チャージ変換も行われ、現実世界とは逆に、物質粒子が存在しないと考えられます。
これらは全て反物質粒子に入れ替わっていて、+は-に、-は+になってます。
現実世界の住人が、ミラーワールドに行くとどうなるか?
時間経過によって体がシュワシュワしてますよね?
これは生命体の持つ物質粒子(+)が、鏡の中の反物質粒子(-)とぶつかり、
対消滅(プラマイゼロ)を起こしていると解釈する事が出来ます。
ミラーワールドに巣食うモンスターも反物質で組成されていると想定される為、
モンスターを倒したり、これらを使役してバトルを始めれば、
相手を倒す時に放出した質量と、相手の肉体が持っていた質量が、
より高いエネルギーへと変換される為、結果として上記現象が加速され、
新たな粒子と反粒子が対生成される事が予測されます。
対消滅・対生成を繰り返せば、いつしか物質粒子だけが残されるはずです。
城戸真司とリュウガ真司がライダーキックでぶつかり合ってるのは、
対消滅のモデルとして非常に分かりやすい描写になってますね。
↑ライダー対消滅キック。
さて今度は、神崎兄妹の立場から考察してみましょう。
現実世界で1度死亡している妹・神崎優衣は、
CP変換によって生き永らえた鏡像異性体であり、
その肉体は反粒子によって組成されているものと考えられます。
しかし、反粒子の寿命は現実世界では長く続きません。
そこで考えられたのが、量子力学的なエネルギー生成法です。
対消滅・対生成によって残された寿命の長い物質粒子を、
優衣の新しい命として与えちゃおうという寸法!
ミラーワールドはさながら、衝突型のエネルギー加速器であり、
考案者の神崎士郎は、ライダーバトルを加速させて、
1つの生命体となりえる膨大なエネルギーを取り出そうとしたんですな。
まさに天才です。重度のシスコンですが。
↑神崎士郎。 妹萌え・中二病をこじらせると天才を生む。
士郎の代理として戦うラスボス・仮面ライダーオーディンは、
タイムベントカードを所持しており、CPT全てを変換出来る唯一の存在です。
フォーゼの総評で、未知なる反重力の話をしましたが、
理論上では時間に関わる粒子にも、反粒子が存在するはずなのです。
CP変換だけでは崩れてしまう物理法則ですが、
残る1つの時間対称性(T変換)までカバーされた場合においては、
物理法則が保存される事が理論的に証明されています(※)。
士郎が実践したエネルギー生成法は、このCPT定理に支えられています。
不完全な変換でその場凌ぎに補われた優衣の命を、
今度は周到に勘考した理論をもって、完全に救おうと考えたのです。
士郎からしたら、ライダーバトルを止めさせようとする真司らの動きは、
物理法則に反した想定外の現象であり、MajiでKireる5秒前だったはずです。
「ちょっ待てお前ふざけんな」と、浅倉さんを場に投入した気持ちが、
ちょっとだけ分かるような気がしないでもありませんね。
※ 『龍騎』放送終了後の現在では、CPT対称性の破れも示唆されています。
物理学者って、どんだけ頭良いんだよ。
―――
実は、『龍騎』が放送された前年の2001年に、野依良治教授が
対称性に関わる研究開発でノーベル化学賞を受賞しており、
『龍騎』のストーリーはこれをヒントに生まれたのではないかと思われます。
引用:やわらかサイエンス様 ~キラリと光るキラリティー
http://www.geolab.jp/ms-science/science30.html
素粒子論というのは、理数系大学レベルの極めて難しい学問で、
道場主もおそらく10分の1も理解してません。
ですが、『龍騎』のスタッフは『エヴァ』のように専門用語を散りばめる事をせず、
平易な表現に落とし込んで、視聴者に理解させる事を試みています。
当時としてはこれは相当な冒険であったでしょうが、勝算はあったと思います。
前作『アギト』が高視聴率を獲得し、ゴールデンタイムにも進出するほど、
大人の視聴者層からの支持を集めていたからですね。
『エヴァ』の先例もあり、難しい事をやってもイケると踏んだのでしょう。
後に『電王』で大成功を収める、小林靖子脚本の妙技です。
しかしこれには、2つの難点がありました(道場主の見立てではね)。
まず1つは、一般化されていない理論を採用した事。
CPT定理は鏡を使って出来るだけ分かりやすく説明されているものの、
なぜ鏡世界で時間が巻き戻るのかを一般化するには、別の理論が必要であり、
そしてそれは作中で1度も示唆されてはいません。
ゆえに、最終回でまさかの全てチャラにする超展開について行けず、
「???」となってしまった方も多かったと思います。
もう1つは、主人公をアンチテーゼとした事。
「戦わなければ生き残れない」としたライダーバトル全50話のうち、
龍騎に変身する城戸真司は第49話まで戦う目的を見出せず、
ヒロインを支持する形でナイトに全てを託し、死亡してしまいます。
その為、戦う意図が明確な秋山蓮の方が真司のキャラより目立ってしまい、
主人公としての存在意義が薄弱化してしまいました。
ここらへんの反省は、次作に活かされています。
プレイバック短評の第2回では、小林靖子にゃんの師匠である、
井上敏樹脚本の傑作、『555』の学術的背景について見ていきましょう。
ご清覧ありがとうございました。